2015年12月25日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 22 】 墓のある景色  / 岡田一実


曾根氏との出会いは関西の現代俳句協会青年部の勉強会だった。芝不器男俳句新人賞を受賞された直後の勉強会で、勉強会前から会場は祝福モードが漂っていた。私はどんな方なのだろうと興味津々だった。勉強会が終わった二次会から三次会への移動のときにさりげなさを装って横を陣取って話しかけたところ、どのような話題にもにこにこと応じてくださって、気遣いのある温厚な人柄が印象的だった。

『花修』を繙くとまず「墓」を題材にした句に惹かれた。

墓標より乾きはじめて夜の秋 
夕焼けて輝く墓地を子等と見る 
秋深し納まる墓を異にして 
霾るや墓の頭を見尽して 
墓場にも根の張る頃や竹の秋

墓を詠んで墓の暗さがない。そこにあるのは墓への親しみであり安らぎである。濡れた墓が乾き始める造形としての美しさ、様々な形の墓が並び輝く墓地を子等と眺め遣る優しい切なさ、死ぬときは違う墓に入るというしみじみとした諦観、黄砂に煙る最中の墓への執着、墓場とその他を分け隔てることなく根を張る竹の生の営み。どの句も実に魅力的である。
『花修』には「死」そのものを詠んだ句も多いがその世界観は重なるところもありつつより多様である。

くちびるを花びらとする溺死かな
 
快楽以後紙のコップと死が残り 
夕ぐれの死人の口を濡らしけり 
我が死後も掛かりしままの冬帽子 
死に真似の上手な柱時計かな 
桜貝いつものように死んでおり 
雨が死に触れて八十八夜かな 
金魚玉死んだものから捨てられて 
萍や死者の耳から遠ざかり 
しばらくは死人でありし箒草 
猫の死が黄色点滅信号へ 

観念としての死への憧憬、現実の死へのドライな対応、弔いに際しての叙情、死の美しさ、死の容赦なさ、そういったものが織り交ざり死の多面性を捉えようとしている。
死にまつわることを描くことで生もまた見えてくる。観念的思考の饒舌さは作者によって具現化され沈黙が訪れる。それによって読者は根源的な思索へと導かれる。

闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん

『花修』の末尾を飾る句である。氏は今後も先の見えない暗闇の中で感覚を鋭敏に保ちながら本質や根源を照らすべくひとつひとつ火を焚いてゆくだろう。
今後が非常に楽しみである。


【執筆者紹介】


  • 岡田一実(おかだ・かずみ)

1976年生まれ。「100年俳句計画」賛同、「らん」同人、「小熊座」会員。現代俳句協会会員。句集に『小鳥』マルコボ.コム『境界―border―』マルコボ.コム。共著に「関西俳句なう」本阿弥書店

【曾根毅『花修』を読む 21 】 たどたどしく話すこと / 堀下翔



曾根毅の句について書こうとしているのだが、この人の句にいつもまとわりついている奇妙な言葉の手触りを、はたして正確に言い得ることができるだろうかと、考えだすと、とりとめがない。

とりそぎ、

薄明とセシウムを負い露草よ    曾根毅『花修』深夜叢書社/2015

の句を頭にうかべ、これはやはり曾根毅の『花修』に通底する言葉づかいで書かれているよなあ、と思う。そんなところから始めてみる。漢語・外来語・和語という質感の異なった三つの名詞がどうにかバランスを取ろうとしているこの句を、まずひといきに読みくだしてみると、そこに、微妙に言葉の角が落とされていないような、表現が粗暴であるような印象を覚える。

一句の真ン中に置かれる「セシウム」という単語が、生硬で、忽然としていて、「薄明」「露草」という他の名詞と並べたてられると、異物めいた感じを読者に与えるのが、まず一つにはある。「セシウム」というと、時事の言葉で、詩語としてはもとより、われわれの生活の上にあってさえ、いまださほど多くの人の手を経ていないので、どうしても他の、われわれが普段触り慣れた言葉とは、うまく響かない。

だけれども、この句がうち隠している言葉のこなれなさは、「セシウム」という名詞の性質にのみ立脚しているのではない。こんどは句の骨格、つまり、名詞どうしがどのように結びつき合っているのかという点を見てみる。

問題は「負い」と「よ」の対応にある。

「よ」というと、言葉を遠くに投げて、それをもって言葉の響きとするような間投助詞で、上五・中七・下五のいずこに置かれるかによって働きは異なろうが、下五にあっては、まず一つには、ずらずらと連なる十七音全体に接続し、一句に流れる一筋の勢いを引き受け、大きな詠嘆を生むもの、もう一つには、中七まででいったん弱い切れが入り、一呼吸置いたあと、下五の四音ぶんが「よ」に掛かる、すなわち、「よ」の圧力を短い単語が独占し、さながら下五の言葉のイメージが異様に輝き、それが感動の中心として声高に語られているような効果を生むものとがある。

曾根の掲句は中七の末尾が「負い」と、連用形になっている。句意としては、「薄明」と「セシウム」とを「負」っているのは、ひとまずは「露草」なのだが、韻文の中で連用形を用いると、意味の上では結びついていても、表現上は、すこし切れた感じが出るので、先の分類でいえば、後者にあたる。この〈下五の「や」〉型では、下五に大きな負荷がかかるほか、中七から下五にかけて、前の言葉から次の言葉へうつるときに、時間的なマが生まれて、そのマに静謐さが生じたりもする。この句の場合も、中七ののちに一瞬の無言があるので、下五の名詞の現われによってその緊張が解かれる安堵に、「露草」という言葉のかそけさもひとしおとなる。

だが、この句の言葉どうしの結びつきは、上記の効果を最大に引き出しては、実はいない。〈薄明とセシウムを負い露草よ〉は、何度くちずさんでも、何度くちずさんでも、どうにも言葉の坐りが悪いような、述べ方の反射神経が鈍いような気がしてならない。その理由は、「負い」に「て」がないことではなかろうか。「て」というと、接続助詞であり、付属語であり、だからもちろん自立語である「負う」や「露草」とは明確に区別され、そうであるがために、もしここに「て」が接続されていたとしたら、「負い」と「露草よ」とのはざまにある時間的なマは、はっきりとしたシルエットを持っていただろう。だが、ここに「て」はない。「負い」の「い」という活用語尾によって切れている。動詞の連用形はいきもののように次の動詞を待つ。明確な切れとなりきれぬまま、なまなまと、「負い」は「露草よ」に隣る。結果として、中七から下五にかけて、言葉どうしはきびきびとした脈をうしない、言い難い読後感を湛えている。

曾根の句は、こんなふうに、きびきびとしていない。日本語が少しへたな感じがする。

くちびるを花びらとする溺死かな

の「―をーとする」に見られる、説明っぽさ。

水吸うて水の上なる桜かな

の「―てーなる」に見られる、言葉の流れの向きのばらつき。

その、一句ずつが語られるときのたどたどしさが、曾根の句を決定的に支えているものだ。情感と表現は表裏一体である。うれしい歌はうれしく歌い、かなしい歌はかなしく歌ってこそなのである。たどたどしい曾根の句を読むと、ああ、現代ってこんな感じだったな、と思う。奇妙であいまいな現実の生きごこちをおぼろげに考えながら、自分に言えることと言えないことの選別もうまくできないままに話し出してしまう、いまがそんな時代であったことに『花修』は思い至らせてくれるし、何十年かしてもう一回読みなおしたときにもやっぱり、ああ、そうだったなあ、と思い出すことができるような気がするのである。



【執筆者紹介】

  • 堀下翔 (ほりした・かける )

1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。

2015年12月18日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 20 】 きれいにおそろしい / 堀田季何



曾根毅の第一句集『花修』を読み、原発事故や戦争といった現代社会の負の側面を詠む仲間がまだいることに強く勇気づけられた。

そういった素材の面でも曾根毅はその師である鈴木六林男を継いでいると云える。六林男の句のような生々しさ、不気味さ、迫力にやや欠ける分、もう少し言葉寄り、観念寄りである毅の句はかわりに「きれいさび的な怖ろしさ」という魅力を獲得している。毅の句はひたすらに美しく、エロやグロといった類とは無縁である。しかしながら、言葉と観念の操作が真骨頂に達した時、毅の句は禍々しくかがやき、六林男の句にも太刀打ちできる域に達する。

そういう意味で、集中、特に言葉が重層的に作用する句に惹かれた。

鶴二百三百五百戦争へ

数字の増加は、「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に」(高濱虚子)、「牡丹百二百三百門一つ」(阿波野青畝)、「筍や雨粒ひとつふたつ百」(藤田湘子)といった先行句があるので、用法が確立されたレトリックの一つとして使っていると思われる。実際、この句で注目すべきは数字の増加でなく「鶴」の多義性である。

桃の花までの逆立ち歩きかな

「桃の花」からユートピア的な桃花源(桃源郷)や西王母の桃園を連想した。いずれも不老不死かつ平和の象徴である。そこまでの逆立ち歩き、一向に到達しそうもない、いや、到達できずに死ぬであろう。それでも逆立ち歩きを続けて理想郷を目指すのだ。

玉虫や思想のふちを這いまわり

思想という形而上のものに、玉虫が這いまわるふちという形而下の属性を持たせ、思想そのものを形而下に引きずりおろしているのか、それとも、玉虫を形而上のものに昇格させているのか。「玉虫」「這いまわり」の象徴性が効いている。

影と鴉一つになりて遊びおり

「寒鴉己が影の上におりたちぬ」(芝不器男)の本歌取りだと思われる。降り立ったのち、鴉が地上を歩き回ったり跳ねたりしながら、その鴉につかず離れずの影と一体化しているように遊ぶ、という解釈が常識的であろう。しかし、個人的には、己が影の上におりたった鴉は、そのまま足から影に吸い込まれ、やがて一体化し、遊びはじめ……といった解釈の方に惹かれる。いずれにせよ、不器男句と違って、毅句では「鴉」や「影」が象徴性を帯びている。

佛より殺意の消えし木の芽風

「佛より/殺意の消えし木の芽風」という解釈も可能だが、「佛より殺意の消えし/木の芽風」という解釈で読んだ。佛(仏)より殺意が消えた、ということは佛に殺意があったということ。衆生を救うべき佛に殺意があるという発想には一読驚くが、佛の存在理由を改めて考えてみるとこの発想は意外にも腑に落ちる。「木の芽風」も意味的にリンクしていて効いている。

手に残る二十世紀の冷たさよ

梨の銘柄と前世紀の時代を掛けている、洒落た言葉遊びの句。もちろん、内容は深刻であり、「手に残る」「冷たさ」が少し前に終わった二十世紀に少しでも生きていた実感を総評している。二十二世紀に別の俳人が二十一世紀を形容した場合、同じような実感になるのだろうか。

ロゴスから零れ落ちたる柿の種

形而下の柿の種は、言葉(ロゴス)を発した口から零れ落ちたのであろう。形而上の柿の種は、その言葉(ロゴス)からそのまま零れ落ちたのであろう。柿の種とはどういった性質のものであろうかと考えながら、聖書の「創世記」及び「ヨハネによる福音書」の第1章を読んでみると慄然とする。

春すでに百済観音垂れさがり

丑丸敬史が「花は笑う」という文章で提示した解釈にほぼ賛同する。加えて、「春すでに/百済観音垂れさがり」と読むのが普通であるが、「春/すでに百済観音垂れさがり」と読むと更に不気味である。

鶏頭を突き抜けてくる電波たち

われわれの肉体を日々刻々と突き抜けていく億兆の携帯端末メッセージ等の電波を考えると、なかなかおぞましい。肉体のあらゆる部分を痴話喧嘩の会話や殺人予告のメールが貫通していっているのだ。自分で通話したりする場合など、電波は頭を直撃している。それだけでなく、(ゲーム機器、テレビ、パソコンを含む)電波を発する機器の普及、蔓延により、多くの国民が思考力を奪われている、という事実も想起される。掲句の「鶏頭」は花の名前でありながら、鶏並みの脳を持った愚民の頭でもあり、鶏頭の花のような血の色に染まった国や組織の頭領(ヘッド)でもあろう。

祈りとは折れるに任せたる葦か

「祈」と「折」という字の類似に着目した句。右側の旁が「斧旁」であるところも効果的。「をりとりてはらりとおもきすすきかな」(飯田蛇笏)といった句やパスカルが『パンセ』で述べた「人間は考える葦である」(正確な訳は「人間は一茎の葦にすぎず、自然界で最も弱きものでありながら、それは考える葦である」といったものであるらしい)という箴言、聖書「イザヤ書」第42章に出てくる「傷ついた葦を折ることなく」等を下敷きとして句を読むと味わい深い。信仰や救済についても考えさせられる。


【執筆者紹介】

  • 堀田季何(ほった・きか)

「澤」「短歌」各同人。歌集『惑亂』

【曾根毅『花修』を読む 19 】 彼の眼、彼の世界 / 仮屋賢一




なぜ、彼――曾根毅氏は俳句を選んだのだろう。

鶴二百三百五百戦争へ
この国や鬱のかたちの耳飾り
佛より殺意の消えし木の芽風
憲法と並んでおりし蝸牛
手に残る二十世紀の冷たさよ
山鳩として濡れている放射能
日本を考えている凧
秋霖や神を肴に酒を酌み
十字架に絡みつきたる枯葉剤

 生物も無生物も、物も事も、実像も虚像も抽象も具象も現象も本質も……彼の眼にはまるで違いなく映る。

殺されて横たわりたる冷蔵庫

擬人でない。

くちびるを花びらとする溺死かな

比喩でもないし、見立てでもない。彼にとっては、歴然とした事実のありのままの描出。

原子まで遡りゆく立夏かな

彼には原子が見えている。意図的でなく、原子まで遡れるのが彼の眼。

彼に評価を与えるとすれば、それは文章表現の妙に与えられるものではなく、彼の眼そのものに与えられるべきであろう。

 それでは、彼の世界の秩序を保っているものは? それは、ことば。彼の世界の要素は、名前を与えられ、あるいは、ことばで描出され、それによって理性的に把握され得る。名前がありさえすれば、ことばで描出できさえすれば、それ以上に個々の要素が区別される必要はない。

薄明とセシウムを負い露草よ
燃え残るプルトニウムと傘の骨
原子炉の傍に反りだし淡竹の子

震災詠、なのだろうか。このように作品として描出された契機にはもちろん震災があるだろう。一方で、特別な意図をもってして震災を詠ずるという姿勢があったようには思えない。作品として描出されたのは、ただ彼の眼前に存在していたから。震災詠、と特別取り立てるのは、ナンセンスなことである。

さて、いよいよ。なぜ、彼は俳句を選んだのだろう。

滝おちてこの世のものとなりにけり
影と鴉一つになりて遊びおり
体温や濡れて真黒き砂となり
秋風や一筆書きの牛の顔
滝壺や都会の夜に埋もれて
暗室や手のぬくもりを確かめて

おそらく。彼の世界は十七音で十分だった。そして、自らのものの眺め方、自らの呼吸、そういったものが俳句の型やリズムと響きあったのだろう。彼は、俳句で表現することを選んだのではない。自分の描出の方法が、たまたま俳句と類似していた。そのように思えてならない。

 『花修』という句集は、俳句の作られた時系列で並んでいる。読者として純粋に作品を楽しむなら、いつ作られたかなんてどうでもいい、というのも本音なのだけれども、見方を変えれば、この句集は作者の半生を描いた自伝のようにとらえることができる。この句集については特に強くそう思える、というのも、句集たった一冊の中であるにもかかわらず、彼の作品の変化が伺えるのだ。そしてその変化の契機に、東日本大震災というものがあることを否定することが出来ない。早い時期では、「俳句として作品を作っていた」彼は、いつしか自分の眼を信じるようになった。

祈りとは折れるに任せたる葦か

 もしかしたら、自身の独自の型を作ろうとしているのではないだろうか。一度俳句から離れ、自由になり、そして俳句の世界に戻ってきた。そんな軌跡を、彼は辿っているのかもしれない。

繋ぎ止められたるものや初明り

なぜ、彼は俳句を選んだのか。それは彼が、俳句に繋ぎ止められているというだけのことなのかもしれない。自分が俳句に繋ぎ止められていることを知った彼は、これからどのような俳句を作っていくのだろうか。それは、これから先のお話。

『風姿花伝』から採られたというタイトル『花修』――「花」を修める、というのは、俳句に対する彼のこれからの決意を表したものなのかもしれない。




【執筆者紹介】

  • 仮屋賢一(かりや・けんいち)

1992年京都府生まれ。「天下分け目の~」の枕詞で有名な天王山の麓に在住。関西俳句会「ふらここ」代表。作曲の会「Shining」会員。
現在、【およそ日刊・俳句新空間】で「貯金箱を割る日」と題した日替わり鑑賞執筆中。

2015年12月11日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 18 】 思索と詩作のスパイラルアップ  / 堺谷真人



曾根さんが「花曜」に入会した2002年、主宰の鈴木六林男氏が第2回現代俳句大賞を受賞した。大阪の天王寺都ホテルで開かれた祝賀会は壮観であった。俳壇関係者のみならず、小説家や外国文学研究者など多彩なジャンルの錚々たる知性が顔を揃えていたのである。

特に印象的だったのは今年93歳で他界した鶴見俊輔氏。『思想の科学』を創刊し、ベトナム反戦運動の先頭に立った「行動する哲学者」がなぜ招かれていたのか。無論、この日の主人公である鈴木氏が多年各界人士と育んできた幅広い交友の結果には相違ないが、俳句関係の席でよもや高名な哲学者と親しく酒杯を挙げようとは夢にも思わなかった。

同時に筆者は少し冷めた見方もしていた。「どや、わしはこんなごつい人らとも付き合いがあんねんで」という鈴木氏の素朴な友達自慢を感じたからである。

それから13年たって曾根さんの『花修』が世に出た。「あとがき」には

  句集名は、世阿弥の『風姿花伝』第六章の名から拝借しました。初学時  
  代に学んだ俳誌「花曜」の花、その修学期間の思いを込めています。先 
  師・鈴木六林男からは、基本を十年、急がば回れと教わりました。
とある。至極簡潔な書きぶりだが、曾根さんが亡き師の教えをしっかりと胸に刻んで俳句と取り組んで来たことが分かる。

さて、その『花修』の作品で、今回筆者が注目したのは次の三句である。

玉虫や思想のふちを這いまわり
曼珠沙華思惟の離れてゆくところ
老茄子思弁のごとく垂れてあり
一句目。曖昧に煌めく羽根を持ち、不意にどこかに飛び去ってしまいかねない予測不可能性を秘めた玉虫。人はその玉虫のような言葉に幻惑され、「縁」からの転落や「淵」への沈淪というリスクを敢えて引き受ける生き物なのかもしれない。

二句目。どこか幾何学的、人工的な匂いのする曼珠沙華には屹立する宇宙樹の面影もある。その鮮烈な赤を見た瞬間、思惟する主体から思惟だけが静かに剥がれてゆくような奇妙な感覚に襲われたのだ。

三句目。紫紺にうっすらと銹色が混じり始めた初冬のひね茄子。あたかも自己の存在そのものに倦んだかように垂れ下がる姿からは、不毛な思弁に疲れた魂の孤独が滲み出ている。

これらの作品で目を引く「思想」「思惟」「思弁」はいずれも高度に抽象的・概念的な語彙であり、本来、俳句表現との親和性が高いとは言い難い。「玉虫」「曼珠沙華」「老茄子」といった特徴的な色彩とくっきりした輪郭を持つ具象物を配合することにより辛くも俳句として成立しているものの、実はセンターラインぎりぎりの問題作なのである。

曾根さんは以前、まるで自動書記のように大量の俳句が「降って来た」体験について語ってくれたことがある。あくまでも推測に過ぎないが、「思想」「思惟」「思弁」は、推敲を重ねる過程で取っ換え引っ替え試着した言葉の中から選ばれたものではなく、「降って来た」句の中に最初から入っていたのではないか。もしそうだとすれば、曾根さんの無意識は何故これらの言葉を選択したのであろうか。

筆者はこう考える。きっと曾根さんには俳人のあるべき姿として思索と詩作という二つの精神的営為がスパイラルアップしつつ互いに高みを目指すという循環構造がイメージされているのだ。Aならんと欲すればBならず、Bならんと欲すればAならずという二律背反の関係ではなく、思索と詩作は
両々相俟って作家主体を豊饒へと導く。そんな俳句観が「思想」「思惟」「思弁」という普通の俳人なら思いつかない、あるいは敬遠する言葉を呼び寄せ、かつ最後まで捨てさせなかったのだと思う。
冒頭のシーンにもどる。

鈴木氏が受賞祝賀会の場に多彩なジャンルの名士を多数招いたのは単なる自慢ではなく「俳人は俳句だけ見とったらあかん」というメッセージを「花曜」の弟子や俳壇関係者に伝えたかったからかもしれない。鶴見氏がそこに座っているだけで「自分の頭で考え抜いた思想を持たなあかん」「思想と生きざまは別々のもんやない」という強烈なメッセージが発信される。祝賀会は端倪すべからざる俳人・鈴木六林男が仕掛けた教育プログラムの一環でもあった。

曾根さんには先師の遺訓のエッセンスをきちんと継承した上で更に突き抜けた世界を見せてほしいと切に願う。分厚い思索や思惟の岩盤を透過して磨き抜かれたポエジーの清冽な湧出を心待ちにしている。

                                  
【執筆者紹介】
堺谷真人(さかいたに・まさと)
1963年、大阪生まれ。「豈」「一粒」同人。現代俳句協会会員。

【曾根毅『花修』を読む 17 】  おでんの卵 /  工藤 惠



曾根さんとの出会いは、曾根さん自身は覚えていらっしゃるかどうか定かではありませんが、とあるメール句会の吟行でした。

第一印象は、ミステリアスな方。

そして、今もそのミステリアスな方という印象は、完全に払拭されてはいません。なので、今回は生きていくためには必要不可欠な「食材」を通して、曾根さんの生の姿に迫りつつ、彼の句を解剖していきたいと思います。

曾根さんの『花修』を拝読していますと、「食材」をテーマとした句は大別して三つのパターンがありました。

一番多かったのは、「食材」を何かを表現するための媒体としている句。

白菜に包まれてある虚空かな
おでんの底に卵残りし昭和かな
白桃や聡きところは触れずおく
明日になく今日ありしもの寒卵
晩婚や牡蠣に残りし檸檬汁
初夏の一人にひとつ生卵

一句目、白菜の句は、白菜の葉と葉の間にある空間を「虚空」と表現することで、現代人の心にある空虚を眼前に提示しました。聡きところは白桃のように柔らかなもの。晩婚は、牡蠣のエキスが残るコクのある檸檬汁のようなもの。取り合わすものによって、こんなにも鮮明なイメージを作り出せるのだ…五七五の力を存分に生かした句です。

卵の句は三句。それぞれに違う印象を生み出す卵の中で、一番共感したのはおでんの卵。私にとってのおでんの卵は大好きだからこそ、最後まで大切においていたのに、気づけば弟が横取りをして食べていたもの!それでもなお、大切なもの、お気に入りのもの、新しい服は最後まで、あるいはいざという時のために大切にとっていたのだけれど、そんな昭和が少し遠い昔となった今は、年齢を重ねたからなのか、はたまた時代のせいなのか、大切な「卵」を最初に食べるようになりました。

次は、「食材」そのものを詠んでいる句。

玉葱や出棺のごと輝いて
手に残る二十世紀の冷たさよ
停電を免れている夏蜜柑

玉葱の輝きを出棺に例えるという斬新な手法。これから調理という方法でもって成仏させられる玉葱の美しさを際立たせました。二句目は、梨を「二十世紀」と表現し、その感触を明確に言葉で表現することで、人の歴史としての二十世紀に触感が生まれました。三句目の夏蜜柑は心がほっこりした句。なぜか夏蜜柑と小学生が私の中でつながり、たまたま学校にいたがために、自宅の停電を免れた幸運な夏蜜柑と子どもたちの姿が目に浮かびました。

最後は、「食べる」あるいは「調理する」行為の対象としての食材を詠んだ句。

暴力の直後の柿を喰いけり
罵りの途中に巨峰置かれけり
玉葱を刻みし我を繕わず
音楽を離れときどき柿の種

一句目、二句目とも男性独特の視点だと感じたのは私だけでしょうか。食べ物は生命そのものであり、心も豊かに幸せにしてくれるもの。平和の象徴です。それを暴力や罵りと取り合わせるなど、想像を超えた、驚愕の範疇に属する一句でした。

と、いろいろ書いてきましたが、やっぱり食の句は人間らしさを醸し出すものですね。玉葱をみじん切りしながらぼろぼろ涙を流し、両手は玉葱まみれなので、その涙を拭うこともできず、ただ、ひたすらにみじん切りをし続ける曾根さん。音楽を聴きながら、時々、「柿の種」を口に入れてリラックスする曾根さん。ごめんなさい。きっと、「柿の種」は果物の柿の種を詠まれているのでしょうけれど、私にはこれがどうしてもおつまみとして売られている、菓子の「柿の種」にしか読めませんでした。
左手に『花修』、右手に柿の種をつまみつつ、いやいや付箋を握りしめ、二度三度と読み返した句集には読むたびに新たな発見がありました。曾根さんはこれからどんな「卵」を産み、育てていくのでしょうか。

これからも、美味しい「おでんの卵」を期待しています。



【執筆者紹介】

  • 工藤 惠(くどう・めぐみ)

 「船団の会」所属。

2015年12月4日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 16】 曾根毅という男  / 三木基史



曾根毅の俳句には対象物への愛が欠落している。分かり易く言えば、明るさの感じられる作品はあっても、じんわりと滲み出てくるような温かさが無い。俳句に対象物への愛が必要かどうかの議論は、ここではどうでもいい。様々なものに関心を寄せ、それらを体内に取り込み、普遍的な言葉に変換して吐き出そうともがく。彼の場合、その過程で対象物への愛が削ぎ落とされてしまうのだろう。それが曾根毅の戦い方だ。

彼と私は同年代である。常に意識せざるを得ない存在であり、最も信頼する句友のひとりだ。近しい仲間たちからはその実力を認められながらも、永らく賞に恵まれなかった彼は、芝不器男俳句新人賞の受賞によって俳壇の明るみに躍り出ようとしている。檻に閉じ込められていた獣が解き放たれるように、第一句集「花修」を完成させた。これは逆襲の始まり。

立ち上がるときの悲しき巨人かな 
鶴二百三百五百戦争へ

逆襲の始まりにふさわしい冒頭の二句は、私が今まで出合った様々な句集をリセットする力を持っていた。しかし、彼の作風を冒頭の第一印象だけでカテゴライズすることは危険だ。何故なら、この二句は将来的に彼の代表句となりうる可能性を秘めているものの、私の知る彼らしい俳句とはかけ離れているからである。演出が過ぎるのだ。

滝おちてこの世のものとなりにけり 
きっかけは初めの一羽鳥渡る 
おでんの底に卵残りし昭和かな 
我が死後も掛かりしままの冬帽子 
曇天や遠泳の首一列に

私が思う彼らしい俳句とは、例を挙げればこれらである。技法として近景は少し観念的にぼかして、遠景は明確にくっきりと描き、余情に寂しさが残るような作品だ。

東日本大震災の影響を受けた俳句も、彼にとっては単なる社会的事実の記録ではなく、個人的体験の記憶。先師・鈴木六林男の作品や言葉に少なからず影響を受けている彼には、個人的体験の記憶が社会性を帯びた作品として生まれたとしても、それはごく自然な感覚なのだろう。

薄明とセシウムを負い露草よ 
桐一葉ここにもマイクロシーベルト 
燃え残るプルトニウムと傘の骨 
山鳩として濡れている放射能 
原発の湾に真向い卵飲む

彼が描くことによって暴かれた現代はとても寂しい。けれども、決して現代の寂しい景ばかりを切り取っているわけではなく、彼のフィルターを通った現代の景が寂しさを漂わせるのだ。

さくら狩り口の中まで暗くなり 
この国や鬱のかたちの耳飾り 
五月雨のコインロッカーより鈍器 
十字架に絡みつきたる枯葉剤 
山の蟻路上の蟻と親しまず

もちろん彼の俳句は現在進行形である。今後の彼自身の環境の変化によって、作風も変化していくかもしれない。これからもずっと注目していきたい。最後にここで挙げなかった共鳴句を。

水吸うて水の上なる桜かな 
元日の動かぬ水を眺めけり 
般若とはふいに置かれし寒卵 
獅子舞の口より見ゆる砂丘かな 
萍や死者の耳から遠ざかり 
祈りとは折れるに任せたる葦か 
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん


【執筆者紹介】

  • 三木基史(みき・もとし)

 1974年 兵庫県宝塚市生まれ、在住
「樫」所属 森田智子に師事 現代俳句協会会員
 第26回現代俳句新人賞 共著「関西俳句なう」

【曾根毅『花修』を読む 15】 見えざるもの / 淺津大雅




存在の時を余さず鶴帰る 
玉虫や思想のふちを這いまわり 
冬めくや世界は行進して過ぎる

存在、思想、世界。それらは、あるようでいて手掴みにはできないもの、見ることのできないものである。それらの様相をうまく言い当てることはなかなか難しい。しかし『花修』の句たちは、それを小気味よく言い当ててくれている。

特に俳句という形式において、概念語を句の中に入れ込んでしまうと、成功しにくい。だが、これらの句はそういう理屈臭さとは無縁のものである。

「思想」とやらが如何なるものか、あえて語らず、ただあくまで玉虫を描くための舞台装置としてぽんと置かれている。覚悟が必要な斡旋であろう。物体たる季語=見えるものと、非物体たる「存在」や「思想」や「世界」(という漠然とした広さ)=見えざるものとの出会いにより、衝撃が生まれている。それはまさしく精神的な感動を肉体的に味わうことである。

寒鴉内なる黙を探しけり 
万緑や行方不明の帽子たち

寒鴉に内なる黙を託す、いやそれどころか、ほとんど寒鴉とそれを見ている者とはひとつになって同じ呼吸をしている。行方不明なのは、帽子たちか。それを見ている者はどこにいるのか、いないのか。帽子はあるのか、ないのか、どのくらいか。気づけば読者は万緑という雄々しい背景に飲み込まれている。

季語と概念の緊張、という仕方が火花を生んでいるとすれば、自己と対象の同一化、ともいうべきこれらの句はまた違った毛色の面白さを孕んでいる。

不定形のものに対する確かな実感が、句を通して作者から読者へとシェアされる。作者の目を、五感を、あるいは第六感を通して、私たちはそれまで見えなかったものの世界の一端に触れることができる。


天高し邪鬼に四方を支えられ 
悪霊と皿に残りし菊の花 
薄明とセシウムを負い露草よ 
桐一葉ここにもマイクロシーベルト

ふと思う。「あるかもしれないけれど見えない」ということで言うと、我々の感覚からすれば、セシウムも悪霊も同じなのかもしれない。そして見えないからこそいろいろなことを考える。考えるということは、不安になるということである。見えないものに人は言いしれない恐怖を覚えるものだ。その恐怖は、ただ目を背けたくなるような質のものではなく、どうにかして暴きたい、という好奇心を伴わせるものである。それが句の魅力に繋がっている。

ことここに来て、挙げてきた句の中に見える作者の意図ははっきり見える。繰り返すが、実態としての季語に(あるいは自己に)なんらかの見えざるもの(無色透明な放射性物質や形而上のもの)を衝突、または仮託させ、触れる者として浮き彫りにしようという試みである。しかしそれは、飽くまで季語が主体である。だからこそ見えざるものへの道が開かれる。

五七五を器として、そこにある語とある語――ここでは季語とそれに見合う何らかの見えざるもの――を選んで放り込む、ともするとそういう風な作り方をしているように見えてしまいかねない。しかし、どうやっても隠しおおせない「手づかみ感」がこれらの句にはあるように感じられる。世界の重要な隠された部分を、詩によって掬い取ろうとする意志が見え隠れするところが、曾根俳句の魅力の一つかもしれない。


【執筆者紹介】

  • 淺津大雅(あさづ・たいが)

1996年生まれ。関西俳句会「ふらここ」。

2015年11月27日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 14】 推敲というプロセス  中村安伸




薄明とセシウムを負い露草よ

この句は曾根毅句集『花修』の帯の背表紙部分に印刷されており、この句集のなかでもとくに強くその存在をアピールしている句である。作者にとっても自信作なのであろう。

しかし、私にとってはこの句は失敗作である。そして、俳句を完成させるのが読者の役割であるという考えに基づけば、失敗の責任の半分は読者である私にある。

私には「セシウム」という語をうまく扱うことができない。より正確に言うと、この句の文脈にあらわれる「セシウム」という語を、処理する方法がわからないということである。


「セシウム」という語がどういうものか考えてみると、元素として厳密に定義された語であり、科学的な文脈において誤解の余地はない。一方、日常的な、あるいは文学的な用語としてとらえた場合、非常に取り扱い困難なものとなる。2015年の日本において「セシウム」といえば、2011年3月の福島での原発事故により、大気中に放出されたさまざまな物質のうちのひとつを指している。

東日本の各地に撒かれたその物質と、その物質が放つ放射線を我々人間は五感によって感知することができない。また、それらがどのような影響を人体に与えるのかは、個別的であり、正確なところは誰も知りえない。

我々にとって不可知の物質でありながら、自身や家族の健康に直接影響することが予想されるもの、そして、その発端となった災害について、あるいは今後同様の被害をもたらす可能性のある原子力というものについて風発しているさまざまな議論に直結するもの。

この語は、少なくとも私にとっては、全体像を把握するにはあまりにも巨大で流動的であると映る。あるいは巨大なのではなく、俯瞰が難しいほど近いということなのかもしれない。


俳句作品に用いられている語をどのように受け取るか、読者ごとに差異があるのは当然である。俳句作品の最終的な仕上げを行なうのが読者であるとするなら、ひとつの俳句作品が、読者ごとにすこしづつ異なったものに仕上がっていくということも、俳句の面白さであると言える。しかし、この「セシウム」という語については、読者による受容のされ方にあまりにも大きな差があるのではないだろうか。

事故以降の放射性物質の脅威を身近に感じている人と、そうでない人では全く異なるであろうし、前者においても、事態を直視しているか、現実逃避しているかなど、態度の違いによってこの語の受け取り方は異なってくるだろう。

もちろん、この句の「失敗」の責任の残り半分は、このような扱いの困難な語を無造作に(と言っては言い過ぎかもしれないが)用いた作者にある。困難な題材は扱わないという態度に比べれば、こうした素材を積極的に取り扱った勇気は賞賛に値するとも言えるが、その危険性に見合った注意や工夫が十分に払われたとは言えないと感じる。

さて『花修』を読み、印象に残った点のひとつとして、新興俳句やその流れを汲む俳句からの影響が色濃く感じられるという点がある。

特徴的な語彙や語と語の組み合わせ方という点において、山口誓子、西東三鬼、河原枇杷男、といった人々の句を彷彿とさせる作品が散見されるのである。

おそらく曾根氏は熱心な読者として、これらの作者の作品に触れていたのだと思われる。そして、それらのなかから俳句の型を身につけ、また語彙を取り入れていったのであろう。

そのためなのだろうか、この句集における曾根氏の文体は、堅牢で、安定感がある。この文体と、彼自身のやや頽廃的ともいえる感性がうまく融合して生み出された作品には、凄みのある美を現出させているものがあって、たとえば

永き日や獣の鬱を持ち帰り 
落椿肉の限りを尽くしたる

といった作品は非常に魅力的である。
一方で、繊細な仕上げを要する作品に意外な粗さもみられる。たとえば

水吸うて水の上なる桜かな

という句は「水」のリフレインによる音楽性は素晴らしいものの「上なる」という表現はうまく働いていない気がする。

骨格のしっかりした文体をもちながら、いまひとつ洗練されない部分が残り、大きな可能性を感じさせつつも、読者としてカタルシスを得るところまで突き抜けてこない。それがこの句集の作品の多くに対して私が持っているざっくりとした印象である。

句を洗練させる、すなわち読者に良い仕上げをしてもらうために必要なのが、推敲というプロセスである。推敲とは、作者が自作に対し読者としての目をもって臨むことである。

作品の洗練度の不足が自作への客観的な批評の欠如によるとするならば、「セシウム」に代表される危険な用語を、やや軽はずみに取り扱ってしまうことも、根本原因を同じくするのかもしれない。

人々に多大な影響を与えつつ、激しく変容し、立場によって多様な受け止められ方をする生々しい言葉を、必要な配慮をしながら表現に用いていくということを、今後の私自身の問題としても考えていきたいと思った。
そのためには従来の文体を変容させることや、発表の形式を変化させることも検討しなければならない。また、作品が俳句という形式であるべきかどうかという地点にまで遡って考える必要もあるかもしれない。

『花修』は私自身のものでもある課題について考えるきっかけになったという点でも、私にとって重要な句集となった。



【執筆者紹介】

  • 中村安伸(なかむら・やすのぶ)

1971年、奈良県生まれ。
2010年、第三回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞受賞。
共著に『無敵の俳句生活』(ナナ・コーポレートコミュニケーション)
『新撰21』(邑書林)

【曾根毅『花修』を読む 13】  震災詠は苦手だった   大池莉奈




第18回俳句甲子園大阪大会が、曾根氏と言葉を交わした最初のときであった。
審査員である曾根氏は、OGスタッフであるわたしにも気さくに話しかけてくださった。さらに大会直後に、担当した行司(司会進行)業務等のことを褒めていただいた。なんて優しい方だろうとわたしは感銘を受けた。その曾根氏から直接いただいた『花修』である。句集名や氏の人柄を象徴するかのように、装丁には、花や草木が囲む道が描かれていて、どのような俳句に触れられるのか楽しみであった。

しかし、わたしはページを捲ってすぐに衝撃を受けることとなった。

この句集は、第4回芝不器男俳句新人賞受賞の副賞として上梓された。東日本大震災について真っ向から読んだことが最も注視されたといっても過言ではないだろう。

震災詠、つまり震災を詠んだ俳句は、ときにそれだけで心が揺さぶられる。曾根毅氏一個人の作品である前に、震災の詠んだ文芸作品であることがどうしても目立ってしまう。神戸の阪神淡路大震災や新潟中越地震、最近では各地で火山噴火も起きている。もちろん地震だけではない。かつて、日本は戦争を経験した。広島や長崎には原爆が落とされ、沖縄では日本で唯一地上戦が行われた。また、東京を始め各地で大空襲が起きた。詠むだけでおのずと力をもってしまう地域事情は確かにある。そのような句を感情に流されず、また背景を一旦置いておいて、俳句として正面から向き合うことがどれだけできているか。自戒を大いに込めて、警笛を鳴らしたい。

しかし句集の冒頭には、曾根氏の本質を垣間見られるような、俳句が並ぶ。

永き日のイエスが通る坂の町  
滝おちてこの世のものとなりにけり 
冬めくや世界は行進して過ぎる 
快楽以後紙のコップと死が残り
曾根氏はものごとを「常識」に沿って真っすぐは見ようとはしない。普段見慣れているものでも新たな一面があるのではないかと探す。いつもと同じ坂道も、今日はイエス・キリストが通ったことがあるかのように感じる。滝は落ちて初めて姿を現す。クリスマスやお正月と浮き立つ初冬は目まぐるしく過ぎていく。まるで世界が行進しているかのように。「快楽」の後に残るものが、死だけならまだ美しいのに、紙コップとなると妙に生々しく、日常と切り離すことができない。
日常句などと安易な言い方は実に失礼であった。そもそも日常句とは何かと真意を問われているような気にもなる。


阿の吽の口を見ている終戦日 
敗戦日千年杉の夕焼けて
同じことが起きた日であっても季語によって意味は異なる。

前者は疲れ果てて呆然とする人々の姿をありありと描き、後者は荒地に一本だけ残った千年杉を前に、やっと終わった戦争に安堵する。

曾根氏は戦後生まれであるが、どちらもまるでその現場にいたかのようにリアリティがある。季語の力を確認するかのような二句。ぜひ季語研究の教材にしたい。

さらに、

くちびるを花びらとする溺死かな 
墓標より乾きはじめて夜の秋 
冬銀河本日解剖調査拒否 
憲法と並んでおりし蝸牛
「溺死」「墓標」「解剖」「憲法」。印象的でアンダーグラウンドな言葉を果敢に使っておきながら、曾根氏の句はどこか寂しげである。

そして件の震災詠である。
塩水に余りし汗と放射能 
放射状の入り江に満ちしセシウムか 
原子炉の傍に反りだし淡竹の子
直接的なのはこれまで挙げてきた句と変わらない。しかし使われている語は、震災以後やっとメディアで使われ始めた専門用語である。

草いきれ鍵をなくした少年に
「塩水に余りし汗と放射能」の3句後にあるこの句、少年がなくしたのは鍵だけか。「少年に」で終わる余韻から、鍵以外になにか大きなものをなくしたのではないかと読者は想像力を働かせる。

桐一葉ここにもマイクロシーベルト
曾根氏は出張先の仙台で震災に揉まれた被災者である。

震災直後は、資源的にも体力的にも精神的にも、俳句どころではなかったことは容易に想像できる。しかし、それでも氏は詠んだのだ。未曾有だとか非現実的だとか、被災地以外が悲観的になって「自粛モード」に陥っているときに、この日常の中に起きた非日常を忘れはしないよと俳句作品にした。「桐一葉」の句は、桐という、見上げて探さなくてはいけない小高い木の葉が、落ちてゆく様にこの葉にも放射線が飛んでいるのか、と気づく。なんて力強い句なのか。震災詠とひとまとめに区別するのは、実に愚直であった。



【執筆者紹介】

  • 大池莉奈(おおいけ・りな)


1995年生まれ。別俳号:柚子子(ゆずこ)。関西俳句会「ふらここ」所属。現在、立命館大学文学部2回生。




2015年11月20日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 12】 花は笑う  / 丑丸敬史



曾根毅は筆者が所属する同人誌LOTUSの若手のホープであり、その縁もあり今回筆を執らせていただく機会を得た(ちなみに筆者の方が遅れて入会)。

今回は、曾根の「怪作」を採上げる。

 春すでに百済観音垂れさがり

句集一の怪作である。鑑賞者は「観音」ときて、「垂れさがり」とくれば、観音様の纏うお召し物を想起する。それを観音自体が垂れ下がり、と来た。この諧謔が楽しい。更に言えば、「春すでに」の措辞は、早春ではなく、仲春、もしくは晩春を感じる。枝垂梅、枝垂桜、枝垂桃、春を彩る枝垂何々はたくさんあろうが、やはり、何と言っても枝垂桜だろう。つまり、「百済観音垂れさがり」と言った瞬間、枝垂桜がダブルイメージとして脳裏に浮かぶ。勿論、これは作者も計算済みである。

しかし、観音が垂れさがりと言った際のイメージが春爛漫の好ましいイメージというよりは、腐った魚の肉がぶら下がっているようなおぞましいイメージを想起させる。また、人間になぞらえてみると、肉が垂れ下がった広島・長崎の被爆者の写真をイメージしてしまう力強さがある。「垂れ下がる」という言葉自身が美しい言葉ではなく、元来マイナスイメージを喚起する言葉であることに由来しよう。この句は、プラスとマイナスのイメージの双方を同時に少ない言葉で想起させるという仕掛けを持っている。

観音様と言えば慈悲、慈悲と言えば観音様というくらいだ。民間信仰として絶大な人気を誇る仏教界のトップスターである。その観音様が慈悲の御手を差し伸べながら、自身が垂れ下がっているというシュールさ。というよりは、救済者自身がずり落ちそうになっている。これではとても御手を摑めたとしても一緒に落ちてゆきそうだ。

そして「百済観音」という固有名詞をもってきたところにこの俳句の更なる手柄がある。百済観音は左手を「垂らして」水瓶を優雅に持つ。この手の形から変奏されてできた俳句かもしれないと思わせる。作られた経緯はともかく、この俳句が奏でているシュールな風景に滑稽さを感じさせるのは、この俳句の手柄である。<物干しに美しき知事垂れてをり>の攝津幸彦の俳句を想起させる。この攝津句もシュールであり滑稽であるが、攝津幸彦は、加藤郁乎が創始した(?)ナンセンス俳句の名手であり、本句も明瞭な像を結ばない、結ばせないところに滑稽を目指している。一方、曾根は正当な諧謔俳句の後継者である(笑)。

 しばらくは仏に近き葱の花

葱の花に仏性をみた。葱の花の別名が「葱坊主」と種明かしをしてしまうと、理に落ちてしまう句にも見えようが、もしこの句の結縁がそこにあったとしても(多分ないと思うのであるが)、葱坊主を上にいただく葱(これは、細々とした奴葱などではなく、立派な白葱でなくてはならない)の立ち姿に仏性を見た曾根の眼力は鋭く、正しい。

実家のある群馬は葱の産地であり、高級葱の下仁田葱もある。実家の家庭菜園では下仁田葱こそ育てていないが、立派な白葱が常に生えている。葱の花は小さい頃からの良く見ていたが、愛嬌のあるその面白い形が印象的である。葱の花にはそのような諧謔味がある。それを踏まえて、仏を見るところが俳句である。

今回は曾根毅諧謔味のある怪作を鑑賞した。俳諧味がある俳句にこそ、曾根毅の力量を確かに認めることができる。曾根が今後どのように大化けしてゆくのか、今後の更なる怪作を待望する。


【執筆者略歴】

  • 丑丸敬史(うしまる・たかし)

「LOTUS」同人、「豈」同人。句集『BALSE』


















【曾根毅『花修』を読む 11】 水のように  / 藤田亜未



曾根氏とは、堺谷真人氏の送別会で出会った。

そこから俳句談義をするようになり、句会でも一緒になることが増えた。

芝不器男俳句新人賞に応募する時、応募締め切りのぎりぎりまで粘って句を練ったという話も聞いた。こつこつと努力する人という印象を受けた。

春の水まだ息止めておりにけり

生き物がまだ動き出さずに息を止めているのを、作者も息をのんで待ってるのかもしれない。
東日本大震災の被害を受けた水の中の命が動き出していないのを案じて祈っているように感じる。

永き日のイエスが通る坂の町

だいぶ日が長くなってきた。ゴルゴダの丘へ行く坂道を上るイエスのようにゆっくり
ゆっくり上っていく。イエスはこの坂を上るときどのような気持ちだったのだろうか。
刑を執行される前のイエスの気持ち。今作者も重い十字架を背負って歩いている。
日本中が地震や災害の後の復興という重いものを背負っているのだ。

この国や鬱のかたちの耳飾り

日本は今耳飾りのように不安定に揺れている。大きな揺れではないけれど、いつも不安を抱えて過ごしている。鬱という漢字はごてごてして複雑な漢字だ。
その漢字を使ったことで複雑なもののいろいろ詰まった日本を憂いているようにも見える。

滝おちてこの世のものとなりにけり

滝というとスピリチュアルなイメージ。どこか神秘的な滝が勢いよく落ちてきて初めてこの世のものと実感できる。それが実感できるのが滝が落ちた水音やしぶき。
滝に魂があるとするなら、それを感じる瞬間が滝が落ちてきたとき。生の激しさをも
感じる句。

ところで、作者には水に関連した俳句が多いように思う。

塩水に余りし汗と放射能 
水吸うて水の上なる桜かな 
水すまし言葉を覚えはじめけり 
水風呂に父漂える麦の秋

水というのは、地球上の生命が生きるのには欠かせないもの。震災に遭ってからはより一層その思いが増したのではないだろうか。水がつく言葉を多く使うことで作者は、今を生きているという実感が欲しかったのかもしれない。

春の川を流れる水のように、俳句の才能と情熱がゆっくり、でもしっかりと溢れ出している作者にエ-ルを送りたい。


【執筆者紹介】


  • 藤田亜未(ふじた・あみ)

「船団の会」所属。句集「海鳴り」創風社出版。共著に「関西俳句なう」本阿弥書店






2015年11月13日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 10】 『花修』立体花伝 ―21世紀の運歩―  /男波弘志



曾根さんとの出会いは、数年前の現代俳句協会の吟行、そのときは五十人近くが集っていたであろうか。句会の席上、沢山の句の中から私の駄句を拾って下さった方が三人おられた。曾根毅、杉浦圭祐、彌榮浩樹、句会が終わった後、私はこの三人に「家で句会をしませんか」と持ちかけた。一瞬で事は決した。現在私は、「啐啄(そったく)童子(どうじ)」句会の代表として断続的に句会を行っている。啐啄同時は、雛鶏が卵の殻の内側を、母鶏が卵の殻の外側を、互いにつつき、それを破ること、「同時」を「童子」に変えたのは、永遠に尽きることのない創作の修練を戯画的に顕したまでである。

今回の曾根毅の偉業を、私は勝手に「啐啄童子(そったくどうじ)」句会の中から出現したものと、やや独善的に考えているのだが、それには確かな根拠がある。句会発足当時の曾根の句は、観念を即物に映像化することを、殊更意識してはいなかったと思うのだが、昨今は抽象を具象へ、具象を抽象へ自在に行き来し、メンバー一同が舌を巻くほどの作句力を発揮しておられる。この句会では一句一句を俎上にあげ、徹底的につつきまわす、四、五人の句会で五時間以上かかるのだから、その凄まじさが想像されるであろう。誰一人声高にものを言う者はいない、皆一点を凝視し、一言、一言、本質を語り、人のことばをしずかに聴いている。議論など噴飯ものである、ここにあるのは確かな対話だけである。根源のない議論が得意な人は、一刹那もこの場にいることは出来ぬ、勇気のある方は是非、句座に連なってほしい。わけても曾根の沈黙はある美的な律動をもって、一空間を厳粛に彩っている。聞くべきことは聞く、唾棄すべきは唾棄する。唾棄といっても、曾根の唾棄は執拗である。唾棄すべきその理由が腑に落ちるまで自問自答をくり返す。それが納得できなければ、家に居ても、道を歩いていても思惟、しつづけているであろう。

句会でいつも取捨を悩まされるのは社会性俳句である。

薄明とセシウムを負い露草よ 
桐一葉ここにもマイクロシーベルト 
原発の湾に真向い卵飲む

これらの問題に対して、作者はどれだけの拘りがあるのか、又今後どれ程の拘りをもって対処していくのか、そのことを知らずして、問はずして、易々と採るわけにはいかぬ、と言うのが私の率直な考え方である。普遍性をもった根源俳句には政治的な問題は、当然無化されなければならぬ、政治的に啀み合っている国同士が、芸術、文芸に於いては華々しく交流をつづけている例はいくらでもあるのである。原発の問題は顕かに政治の問題である、であるならば原発を詩歌に変容させることは、政治の問題を真向から抱え込む覚悟がある。その意志表明と受けとられても仕方がないのである。私はこのことを曾根に問うたことがないのだが、今は、どこまでも自己の問題として長考しつづけている。しかし、

原発の湾に真向い卵飲む

の、この一句だけは、奇跡的に政治問題が詩的情操に無化され、呑み込まれている。政治などという、狭量な人為操作は、常に詩歌の、文芸の器の中に呑み込まれ、宙空を散華する鳥に変容するという、詩人の、芸術の理想を高々と謳歌して見事である。誰もが華麗なる賛辞を送るであろう場に、やや苦言めいたことを申し上げたが、これは身辺にいる、本当の意味での親友にしか、書くことのできぬ、直の、生身の心栄えとして受けとめていただきたいのである。

畢りに御句集『花修』の中で永劫に生きつづけるであろう。名句、秀句を挙げておく。曾根さん本当におめでとう。

春の水まだ息止めておりにけり 
十方に無私の鰯を供えけり 
夕桜てのひらは血を隠しつつ 
水吸うて水の上なる桜かな 
ふと影を離れていたる鯉幟 
白桃や聡きところは触れずおく 
徐に椿の殖ゆる手術台 
葱刻むところどころの薄明り


【執筆者紹介】

  • 男波弘志(おなみ・ひろし)

北澤瑞史 創刊 俳誌「季」元会員
岡井省二 創刊 俳誌 「槐」元同人
永田耕衣 創刊 俳誌「琴座」マンの会 元会員
現在 俳誌「海程」「里」会員

【曾根毅『花修』を読む 9】 つぶやき、あるいは囁き   /  安岡麻佑



この句集を読み終えたとき私の心の中には余韻のように静かな言葉だけが残った。曾根毅『花修』に収められた言葉たちからは大袈裟な感傷やエゴイズムなどは感じられない。そこには無駄な言葉はない。あるのは、ただ何気なくつぶやかれた言葉だ。しかし、そこには驚くほどの奥行きと饒舌な沈黙がある。彼の句を鑑賞していると突如一人、広い広い無辺の世界に、しかし、その言葉とともに放り出され一人と一句として見つめ合い、そのものの在り方だけを見据えることになる。
 
かたまりし造花のあたり春の闇 
葉桜に繋がっている喉仏

それぞれ無機質な造花に艶めかしく生暖かい春の闇がこごっているという不思議とも不気味と言える存在感、葉桜と喉仏の同化あるいは反発ともとれる両者の動きを感じさせる句である。読者はそれぞれの花の魅力に直線的に引き込まれる。

また、「花修」を私が秀逸と感じ入ったのは特に以下に挙げる句で一般的には不快ともとれるような表現で詠むことでむしろ混沌とした季節への複雑な愛情を感じ取ることができる点にある。

獣肉の折り重なりし暑さかな 
家族より溢れだしたる青みどろ

写生か空想かというところで別れる二句ではあるが、「暑さ」「青みどろ」という一種の不快の感じられる季語であるにもかかわらず、嫌悪や不快というよりも読者である私はこの詩句に魅入り、生命の営為というものの醜さと崇高さに心を打たれるのだ。

五月雨や頭ひとつを持ち歩き 
夏風や波の間に間の子供たち 
髪濡らしつつ遠火事を見ておりぬ 
木枯に従っている手や足ら 
或る夜は骨に躓き夏の蝶

そして面白いことに「花修」の中では肉体や生命、魂を美しく囁くとともに、それらを客体として自分から切り離し突き放すような言葉も見られるのであった。先ほどとは打って変わってまるで他人事のように「人間」である自分やその他の事物を淡々と見据える視線。この葛藤はどんな人の心の中にもあるのではないだろうか。

繋ぎ止められたるものや初明り

「私」はいったいどこに繋ぎ止められているのか、それとも何を繋ぎ止めているのだろうか。あそこにある光は誰のものなのだろうか。『花修』は現代社会を生きている私たちにとって最も遠くて最も近い疑問をささやくように問いかけてくるのだ。



【執筆者紹介】


  • 安岡 麻佑(やすおか・まゆ)

 関西俳句会「ふらここ」所属

2015年11月6日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 8 】 セシウムに、露草 /  天野慶




曾根毅さんに初めてお会いしたのは、「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の会場で。
5月に行われた小池正博さん主宰のイベントでした。

私と小池さんの「川柳をどう配信するか」という対談を、にこにこと
聞いてくださっている男性がいらっしゃるなあ、と思っていたら、その方が曾根さんでした。
ご挨拶をしたときに「もうすぐ、本が出るんです」と仰って。

ほほう、と楽しみにしていたらしばらくして美しい一冊が届きました。


普段、作品を読むとき(1)作品、そのあとに(2)作者、という順番で出会うことが
ほとんどです。結社誌で、ネットで、本で。印刷物は「マス」コミュニケーションですから、
ひとりしかいない人間よりも圧倒的な確率で「先に」出逢うことになります。
本人と会うより先に、作品を読む場合、作者が女性か男性か、
年齢は、職業は、「作中主体」とどれほど重なっているのか。
推理しながら読む楽しみ。プロフィールだって、詳しく書いていなければ
犯人、…ではなく本人に出逢うまで、その答えは分かりません。
そのままズバリ!だったり、想像とまったく違ったり。


そして、曾根さんと、『花修』。
先に出会ったのはめずらしくもご本人。
ミステリで言うならば、先に犯人が分かっている倒錯もの。
「刑事コロンボ」や「警部補・古畑任三郎」のようなものですね。


くちびるを花びらとする溺死かな

滝おちてこの世のものとなりにけり

羽衣の松に別れを習いけり

雪解星同じ火を見て別れけり

消えるため梯子を立てる寒の土

薄氷地球の欠片として溶ける


一読して、付箋を貼ったのはこんな句。

対象を見つめる目線が穏やかで、そうそう、確かに曾根さんはこんな目をされていた、と思いだしました。

対象に迫って句にするのではなく、ちょうどよい距離を探りながら、
相手が不快にならない、絶妙な距離で17音に切り取る。
そして、


塩水に余りし汗と放射能

薄明とセシウムを負い露草よ

燃え残るプルトニウムと傘の骨




福島第一原子力発電所の事故を扱った作品。
私は、やはりこの事件については、俳句でも短歌でも、作品にするべきだと思っています。
それぞれの立場も違って、どんな切り取り方をするのか。難しい題材です。
「フクイチ」ののちの世の中を扱った自作をいくつか、


見慣れない単位が身近な単位へと変わってしまった世界を生きる


ナウシカのようなマスクね、そうだね、とほほ笑みあって早める歩み


タイベックス着用義務の草原で摘んだ四つ葉を挟む小説




作品として成立させるときの、現実と、創作の距離感。

体験をそのまま書くことは、詩ではないと思う。それでは実録になってしまう。
現実の密度、そしてそこに何を添えるのか。

悩みながら、探りながら作ったことを覚えています。

曾根さんは、セシウムに露草を添えました。

昔から詩や短歌や俳句に美しく詠われてきた露草に。

現代は、露草に恋人の涙でも真珠の珠でもなく、セシウムが並ぶ世界なのだと、静かに差しだしてきます。

傘の骨は、もっと直接的。傘の布が、原子炉の水が、なくなった後の姿。

もう、役に立たない。そして取り返しがつかないのだということ。

その差しだし方は「本を出すんです!読んでください!」とぐいぐい寄ってくるのではなく、
「もうすぐ、本が出るんです」とそっと告げてきた犯人、ではなく本人の
たたずまいと、「放射能」「プルトニウム」という現実を作品にする距離の取り方が
ゆっくりと重なって。




春すでに百済観音垂れさがり




「倒錯ミステリ」のように読み始めた一冊を閉じたときに、
最後に心に残ったのは、やはりこの一句でした。

「すでに」以外の言葉だったら成立しない、百済観音と曾根さんの立ち位置が完璧な、この一句。



【執筆者紹介】

  • 天野慶(あまの・けい)

1979年生まれ。歌人。「短歌人会」同人。
最新刊は『はじめての百人一首ブック』(幻冬舎)。









【曾根毅『花修』を読む 7 】 眩暈 / 藤井あかり




句集を開くとまず、寂しそうな巨人が現れる。

立ち上がるときの悲しき巨人かな

立ち上がる瞬間、巨人は巨人たることをいっそう意識し、孤独を深める。

五月雨のコインロッカーより鈍器

 取り出したら誰かを殴り殺してしまいそうな鈍い光、冷え、湿り、重み。

近づいて更なるしじま杜若
辿り着くと、この辺りの静寂はかきつばたが放つ静けさだった。


手に残る二十世紀の冷たさよ
二十世紀にやってきたこと、もしくはやらなかったことを思い起こすとき、かじかむような罪悪感が滲む。

我が死後も掛かりしままの冬帽子
寒々と死後に思いを馳せているうちに、自身よりもラックに掛けられた帽子の方が存在感を持ち始めてしまった。

白桃や聡きところは触れずおく
白桃には、軽く触れただけでも崩れそうな部分がある。そこに触れかけて止めた自分と、触れてほしくない白桃との間に、かすかな緊張が走る。


春すでに百済観音垂れさがり
百済観音の立ち姿と、春の駘蕩とした気分が相まって、「垂れさがり」という弛緩した言葉が漏れた。

壮年を松葉の影と思いけり
針のごとき松葉の影を見つめながら、血気に逸りそうな自分を感じている。

罵りの途中に巨峰置かれけり
罵る最中、ふいに巨峰の皿が置かれた。罵りは中断してもよいし、巨峰を摘まみつつ、あるいは巨峰を無視して続けられてもよい。ただそれだけの存在。

能面は落葉にまみれ易きかな
わずかな角度の違いにより、様々な変化を示す能面。その表情を捉えようとするが、落葉に埋もれてしまうかのように捉えどころがない。


『花修』から十句引いた。
この句集を読んだときの感じが何かに似ている気がして、よく考えてみると、それは乗り物酔いなのかも知れなかった。乗り物酔いは揺れや加速、更には視覚や心理的なものにも影響されるという。車窓に流れる景色を眺めているうちに胸騒ぎを覚え、冷や汗が滲み、目まいがしてくる。ふらつきながら降り立った後も、体の軸を取り戻すまでには時間が掛かる。それでもまた車窓にもたれて景色を眺めたいと思う。『花修』は私にとってそういう句集だった。



【執筆者紹介】


  • 藤井あかり(ふじい・あかり)

1980年生まれ。「椋」会員。句集『封緘』。








2015年10月30日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 6】  『花修』のありか  / 青木亮人



■現在、「現代詩手帖」で俳句時評欄(タイトル「俳句遺産」、2014年1月~)を担当しており、本年十月号に曾根毅氏の句集を紹介した。「東アジアから考える」の特集号だったため、それに沿った形でまとめたのが下記文章である。

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「俳句遺産22 詩情と俳句 曾根毅『花修』」

■東アジアも様々で、各地域の「詩」の差異と共通項を体感するのは興味深いところだ。仮に戦前の日本語俳句で考えると、台湾在住の俳人が「まさをなる一葉飛び来ぬ霧の中」と詠んだ時、高浜虚子は次のように評した。

「『※(女+査)媒』とか『榕樹』とかいふ言葉を使ひさへすれば台湾の写生句になる如く考へて居る人が沢山あるやうであるが、(略)台湾の句と思へばさうもとれる、又内地の句と思へばさうもとれないことはない、といふやうな句が本当の台湾の写生句であらうと思ふ。この句の『まさをなる』といふ文字は巧まずしてその地方の特色を出して居る」(「ホトトギス」昭和四年三月号)。

含蓄のある評で、各地域の文化や風景、歴史等の差異を含みつつそれらを蒸溜した有季定型句こそ「俳句」と見なした虚子の眼には、現代より多様な文化の諸相が映っていたかもしれない。

 各国や土地に独自の感性があるように、同一言語の文学ジャンルにも差異があり、同時にそれらを越えて伝わる詩情もあろう。俳句と詩でいえば、一種の「写生」句や有季定型を駆使した句は詩人に伝わりにくく、逆に芭蕉等の古典や、昭和の前衛俳句等は感じとりやすいかもしれない。その点、曾根毅(一九七四~)は現代詩に心を寄せる人士にも受け入れられやすい俳人であるかに感じられる。

 曾根は最晩年の鈴木六林男――「追撃兵向日葵の影を越え斃れ」等を詠み、大阪で結社「花曜」を率いた前衛系俳人――に師事し、六林男没後も句作を続ける。二〇一四年に第四回芝不器男俳句新人賞を受賞し、その副賞として句集『花修』を上梓した。曾根が新興・前衛俳句の系譜を継承する俳人としては、句集中の次の句群が分かりやすいだろう。

  この国や鬱のかたちの耳飾り
 悪霊と皿に残りし菊の花
  爆心地アイスクリーム点点と
 少女また桜の下に石を積み
 五月雨や頭ひとつを持ち歩き
 原発の湾に真向い卵飲む

 これらに見える語彙や取り合わせ等は「ホトトギス」系の俳句観に見られないもので、師匠の鈴木六林男が戦前から属していた新興俳句系の雰囲気が濃厚であり、また俳句業界以外でも理解されやすいかもしれない。無論、これのみが曾根の特色ではなく、次の句群は季語が条件付けられた有季定型の興味深い側面が見られる。
   
 教室の家族写真や花曇
 どの部屋も老人ばかり春の暮
 家族より溢れだしたる青みどろ
 水風呂に父漂える麦の秋
 神官の手で朝顔を咲かせけり

 これらは言葉の目指すべきコンテクストが奇妙にぶれており、先の引用句群と異なる特徴を湛えている。ただ、それは俳人と詩人では受け取り方が異なるであろう。

 ところで、『花修』所収の次の句は他言語に翻訳しても「詩」として理解されやすい可能性が高い。深刻、ユーモラス、超現実、感傷…いずれが強調されるかは、文化やジャンルによって異なるかもしれないが。

 我が死後も掛かりしままの冬帽子  毅

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以上である。補足的に加えると、「この国や~」句以下の引用句は、おそらく俳句を専門としない文学関係者にも魅力的に感じられる可能性が高い。それは、氏が「新興・前衛俳句の系譜を継承する」(上記本文)措辞や趣向をよく身につけた俳人であることと無関係ではあるまい。

一方、「教室の家族写真や~」以下の引用五句は、「この国や~」以下の六句と位相が異なるかに感じられる。
 
まず、奇妙な実感が痕跡のように句に宿っている点だ。それも「家族写真」「水風呂」「神官」等の名詞でなく、下記の

・「家族写真『や』」
・「家族『より』溢れ『だしたる』」
・「水風呂に父『漂える』」

…の『 』に見られる動詞や助詞に作者の割り切れない実感が宿っている。「割り切れない」というのは句の内容や意味、または取り合わせの新鮮さや既視感といった論者側の判断からこぼれ落ちる類の作者の実感の痕跡に他ならない。

それらは、奇妙な「何か」として作品内に安らいつつも何物かの残余として佇んでおり、その足元から伸びる影はそれぞれの句の季語の詩情をいささか変質させているかに感じられる。

例えば、「教室の家族写真『や』」というある感情のクライマックスが示されつつ、それらを引き取るとともに一句を締めくくるのは「花曇」であった。なぜ、「花曇」でなければならなかったのだろうか。作者はなぜ、季語「花曇」をあしらうことで一句は完成したと判断しえたのであろう。

無論、そこから何かの意味や物語を見出すことはできようし、この取り合わせに説明を付すこともできよう。ここで述べているのは、一句に「説明を付す」以前に作品のありようである。

 加えて、「教室の~」以下の六句は、私見では作者の述べたかった何物かと、結果として有季定型に助けられつつ出来上がった作品の間にはいささか溝があるかに感じられる。これを否定的に捉えるのではなく、むしろ曾根氏のある種の作品に見られる奇妙な齟齬として肯定的に見なした方が、「俳句」として面白いかに感じられる。


■以上、補足的にとりとめなく私見を綴った。芝不器男俳句新人賞受賞作ということもあり、世間的には称賛か批判、または肯定や否定といった判断が性急に下されることが多いかもしれない。
 
 「私は『花修』が好きだ」
「私には『花修』はさほど面白くなかった」
 「『花修』の佳作を挙げると、○○、○○である」云々

 ……と、これらのように価値判断を性急に下すのはある意味簡単ではある。そうではなく、肯定や否定等の判断の手前に留まり、句集『花修』の句群はどのようなあり方で、なぜそのようなあり方でなければならなかったのか、あるいは作品が見せる表情と作者が見せたかった表情は合致していたのか否か、仮にずれがあるならばそれは意図的なのか、無意識であったのか…等々を検討することで曾根毅という俳人の佇まいを考察することは、『花修』に対する価値判断とはおよそ別の営為であろう。




【執筆者紹介】

  • 青木亮人(あおき・まこと)
1974~、近現代俳句研究。現在、愛媛大学。単著に『その眼、俳人につき』(邑書林)、編著に『都市モダニズム詩誌22 俳句・ハイクと詩2』(ゆまに書房)、学術論文に「スケート場の沃度丁幾 山口誓子の連作について」(『スポーツする文学』所収)、「明治の蕪村調、俳人漱石の可能性について」(「日本近代文学」)など。









【曾根毅『花修』を読む 5】  ネガの貫之 / 橋本小たか


          
正岡子規が大いにくさしたせいで俳人にも有名になった。

『古今和歌集』であって、四季の巡りと朝廷の繁栄を予祝する、我が国はじめての勅撰和歌集。歌いぶりはめでたく大らか。たとえば素性法師の「見わたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける」。

どうしてめでたく大らかな気がするのだろう。もちろん『新古今』ほどに内容が込み入ってないということもある。しかし、先ほどの歌を声に出してみれば、あるいは、

霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける
というような紀貫之の春の歌を口すさんでみれば、もっとシンプルな秘密にわれわれは気づかないだろうか。アカサタナなど、「ア列」の多用である。

貫之の歌は「かすみたち」とはじまる。「このめも」とくぐもったかと思うとすぐさま「はるのゆき」。「ふれば」を前ふりのようにして、「はななきさともはなぞ」と「ア列」が怒濤のように連続する一首のサビにむかう。そして「ちりける」と収束。

貫之の秋の歌を見てみよう。

やどりせし人のかたみか藤袴わすられがたき香ににほひつつ

先ほどの「霞たち」と「ア列」の使い方がよく似ている。ほとんど「ア列」を際立たせることに主題を置いた、言葉の音楽のように見えてこないだろうか。

あのころの歌は宴など大勢が集まるパブリックな場で披露され、喝采を浴びるための芸だったから、花やかな調子が必要だった。四季の運行を司る神様を鼓舞するにも明るさは必要だったに違いない。アイウエオの中で最もひらかれた「ア列」の音は朗朗と人へ神へ歌い上げるための要だった。

そして曾根俳句もまた、「ア列」でできている。

立ち上がるときの悲しき巨人かな


のっけから「たちあがる」「かなしき」。その他、句集前半から「ア列」多用の句をざっと拾ってみよう。

桃の花までの逆立ち歩きかな
かかわりのメモの散乱夕立雲
玉虫や思想のふちを這いまわり
影と鴉一つになりて遊びおり
かたまりし造花のあたり春の闇
初夏の海に身体を還しけり
玉葱や出棺のごと輝いて
墓場にも根の張る頃や竹の秋
五月雨や頭ひとつを持ち歩き
或る夜は骨に躓き夏の蝶

引用句を飛ばさずまじめに読んだ人には、そのほとんどが「ア列」ではじまり中七でくぐもってまた「ア列」に還るという不思議にパターン化された音楽となっていることが分るだろう。ちょうど、貫之のように。

曾根が『古今集』その他王朝和歌から、宴の調子を学んだとは言わない。

ただ「ア列」の多用によって無意識に感じさせられる明るさ・めでたさ・大らかさの中で、われわれ読者はその予感を裏切るいささか不吉な言葉の連なりを見守ることになる。めでたい口調で不吉なことを詠むこの調子は、きっとオーウェルの『1984』ではなく、ハックスリーの『すばらしい新世界』に近い味だ。

そしてもう一つ、この「ア列」多用のため、曾根の句のパブリックな性格が高まるという事情も重要だ。それは一個人のつぶやきというよりも、ちょうど宴で披露されたあの宮廷歌人たちの和歌に似て、音がひらかれている。貫之の歌の声量が大きかったように、その入れ込まれている内容自体はポジとネガのように明暗反転しながら、曾根の句もまた声量が大きいのだ。曾根俳句は二十一世紀という宴に参加せざるをえないみんなのための歌だった。そういえば、例のセシウムの句も「薄明と…」と、めでたく「ア列」から始まる。

おもしろいのはこうしたスタイルが、『花修』という(そう、「ア列」はじまりの)タイトル及び表紙の美しいイラストと、その中身の関係にも当てはまることだろう。ここにもまた、からっと不吉な「すばらしい新世界」がひろがっている。彼は本の形式を利用して自らの句風を再現した。


さて、ことのついでに曾根の作品から上五に使われた「ア列」はじまりで且つ曾根らしいマイナスイメージの単語を拾ってみよう。

爆心地、敗戦日、悪霊、墓場、般若、化野、断崖、三界、暗室

つぎは、唐突な出だしシリーズ。

かたまりし、限りなし、ありありと、傾いて、やがて微塵の

※『古今和歌集』の歌は岩波文庫版(佐伯梅友校注)から引いた。ただし一文字開けは反映していない。




【執筆者紹介】

  • 橋本 小たか(はしもと・こたか)







2015年10月23日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 4】  「この世」の身体によって  『花修』覚書   岡村知昭


 
 夏のはじまる前に届いたこの一冊を、秋の真っただ中で読み返しながら、ある一句からもたらされる手ごたえの拠って立つところはいったい何なのか、この一冊がもたらそうとする「手ごたえ」はどこへ読み手を連れていこうとしているのかを、しきりに考えさせられてしまうのであった。もちろん読んだあとに「つかみとった」と感じとった「手ごたえ」のありようはいくらでも存在して、そのたびに言葉を尽くそうとするのに、かえって言葉を選びだせずじまいとなってしまう。そんな鑑賞という行為の苦心の繰り返しから、『花修』に収められた作品たちがもたらしてくれた「手ごたえ」として、まずはっきりとしているのは、作品中に登場する「もの」たちそのものが持ち合わせている質感の確かさ、いわゆる「物に託す」からもたらされる(と思われている)像や抒情からはどこかはみ出しているように思えてしまう、そんな「物」たちの姿である。

 いつまでも牛乳瓶や秋の風

 この一句を読んだときに浮かび上がってきたのは、牛乳瓶を形作っているガラスの分厚さであり、曲線と直線を併せ持った瓶そのものの形なのであった。この一句と出会う前に、牛乳瓶をモチーフとしたほかの方の作品は見かける機会が多かったのだが、これまでの「牛乳瓶」の作例を見てみると、空っぽになった牛乳瓶に季節の花を挿そうとしているものが目立っていたように思われる(わたしも試みたことがあるのもので)。しかし、この一句における牛乳瓶は「いつまでも」あくまでも、徹底して「牛乳瓶」であり「牛乳瓶」以外の何ものでもない。分厚いガラスによって形づくられたびんそのものの質感は秋風をかき分けながら、読み手へ向かって押し寄せてくる。そこにはかつてよく見かけていたのに、今ではなかなか見ることができなくなっている「牛乳瓶」へのノスタルジーも含まれているかもしれない。だが、そんなノスタルジーすらも、この一句の「牛乳瓶」はたちまち跳ね返してしまい、さらに己が質感をはっきりと示してやまないのである。

 殺されて横たわりたる冷蔵庫

 この一句における「冷蔵庫」の質感も、普段の冷蔵庫のそれとは大きく異なっているように感じられる。「殺されて横たわ」っている冷蔵庫ということは、すでに本来の役割を果たしていないだけでなく、これから解体され、捨てられることがあらかじめ定められている、つまり殺されるだけでなく、これまでの働き、これまでの存在を徹底的に存在しなかったことにされてしまうのだ。

 だが、死体同然の見立てられ方をされてしまった冷蔵庫は、それがゆえに物としての質感を増し、さらなる重みを手に入れている。まるで電気が通わなくなってしまったことによって、新たな命を吹き込まれたかのようだ。「殺されて」は自分自身のことではないか、との読みも可能なのだが、そのときも冷蔵庫は「殺されて」しまた自分自身の目に、これまでにない、恐るべき質感を持って立ち現われてしまっている。それはそうだろう、なにしろ冷蔵庫は生きているのに、自分は生きていないのだ。

 玉虫や思想のふちを這いまわり 
 暴力の直後の柿を喰いけり

 玉虫と思想、柿と暴力、どちらも一見したところ物が概念に押しつぶされてしまいかねない危惧を抱かせてしまう取り合わせなのにも関わらず、玉虫は「思想」に対し、柿は「暴力」に対し、そのくっきりとした質感を持って拮抗し、むしろ押し返してしまっているかのような印象を与えている。

人によって生み出されたにもかかわらず、逆に数多くの人の命を呑みこんだり、操ったり、そしてさまざまに装いを変えながら、なおも飽きもせずにさまざまな意味での支配の道具となってしまっている「思想」の数々の うつろさ、いかがわしさ。そのような人の営みのまわりをただ這いまわることのみで痛烈な一撃を与える玉虫たちこそが、真に「思想」を行っている存在であるのかもしれない、との恐れは、玉虫たちの蠢きのまぶしさがくっきりしているからこそである。

一方、圧倒的な「暴力」にさらされていくつもの傷を負っているのであろう柿。季節の営みによるものか、それとも人の手によるものなのかは、ついにわからないままに木の枝からもぎ取られ、これから人によって喰われるという、さらなる「暴力」にさらされている柿。しかし、終わることのない危機、逃れられない絶望が、柿の質感にさらなる深みを与え、たくましさと眩しさとを兼ね備えた存在への変身を可能なものにした。この柿はどこまでもこの世において「柿」でありつづけるのである。

ここまで一句の中でモノがもたらしている質感を軸に見直してきて、『花修』のハイライトのひとつとなっている、震災と原発事故を背景とした作品群への賛否が分かれる理由がようやく見えてきたように思われた。

薄明とセシウムを負い露草よ 
桐一葉ここにもマイクロシーベルト 
山鳩として濡れている放射能

 
 「薄明とセシウム」を背負わされてしまった露草は、露草であり続ける危機を背負い続けなくてはならない、つまり露草はすでに敗れてしまっているのだ。「桐一葉」も「マイクロシーベルト」という単位の前にひれ伏さなければならない、なぜならこの桐の葉に注がれる視線は大きく変わってしまったから。雨に濡れた山鳩は合わせて「放射能」をもその身にまとってしまい、山鳩が放射能を浴びたのか、それとも放射能が山鳩に取り憑いてしまったのか、との好奇のまなざしにさらされたまま、立ち尽くしているかのように濡れ続けなければならない。だがこのとき、真に質感を発揮しているのは、露草なのかセシウムなのか、山鳩なのか放射能なのか、その疑問に対する答えが鮮明に立ち現われない印象がどうしても残ってしまう。

これらの作品たちにおいて、もともと質感がより露わとなって読み手に迫ってこなければならないのは「セシウム」「マイクロシーベルト」「放射能」といった、まぎれもなく人々と世界に危機を及ぼしている物たちであるはずなのだ。しかし、「セシウム」も「放射能」も確かに抽象ではないが、確かに目に見える形を持ってはいない。その上、一気に押し寄せてきたこれらの語彙を、なんとか受け止めようとする作業の困難さはいまもなお計りしれない。そのため一句の中で取り合わせる作業がくっきりと行われにくくなってしまい、一句の中における物の質感を高めるまでの効果がもたらされているかについて、読み手に一句そのものの質感に対する疑問を抱かせてしまう結果へと、つながっているのではないだろうか。以下のような、物たちが充実した質感を持っていることによって成立している作品が揃っているだけに、懸命さが及ばなかったと思われる点が、より目立ってしまったのはいたしかたないのではあるのだが。

木枯の何処まで行くも機関車なり
白菜に包まれてある虚空かな
死に真似の上手な柱時計かな
停電を免れている夏蜜柑
木枯に従っている手や足ら
威銃なりし煙を吐き尽し
葱刻むところどころの薄明り
ところてん人語は毀れはじめけり

 そして読み手は考えさせられるのである。豊かな質感を与えられている『花修』の「物」たちは、いったい何を語りだそうとしているのか、いやほんとうは語ろうとなどしていないのではないのか、と。

 滝おちてこの世のものとなりにけり

 「この世のもの」などともったいぶった書き方は、普段のこの作者ならまず選ぶことなどないはずの代物のはずだ。しかし「落ちて」でなく「おちて」を選んだのと合わせて、この危うい「この世のもの」との把握を選び取った。いま滝から落ちてきた水も、滝を見ている自分も、神秘でもなく、驚異でもなく、悟りや諦念といったいくらでも付け加えることのできそうな意味付けなどを乗り越えて、「滝から水は落ち、私はここに立っていて、すべて「この世」のことである。そのようにつかみとったとき、滝の水はひたすらに水として、「この世」にむかってまっすぐに落ちてくる。滝から落ちてくる水の質感の豊かさはいうまでもないのだが、その豊かさによって「この世のもの」との書き方がもたらそうとする饒舌を、なんとか食い止め、そこから滝を見る私の質感へ広がりを見せようとする。その先にあるのは「この世」そのものが持つ質感をより確かなものとしようとする試みとなるのだろう。

 祈りとは折れるに任せたる葦か

 「人は考える葦である」というよく知られた箴言を踏まえながらも、この一句で見出そうとしているのは人がなにものかに「祈る」ときの姿勢のもろさ、危うさそのものなのである。両手を合わせたり、あるいは組んだり、ひざまづいたり、座ったり、頭を下げたり、とさまざまな姿勢をとる人々を見守りながら、そのときの身体の「折れ」を見逃さないのは、敬虔な祈りの裏側にもしかしたら「祈り」によって「考える」ことを見失ってしまっているのかも、との疑いから、どうしても逃れられなくなってしまったからだ。だからといって「祈り」という行為へと人々を突き動かす弱さを、責め立てようとするのでは決してない。「折れる」ばかりなのは、いまこのときの自分自身の姿であるかもしれないのだ。だがいかなる「祈り」も現世を乗り越えることはできない。それを承知で身体を折り曲げ、祈り続ける美しさに、「この世」そのものが持つ豊かな質感を見出そうとしているのだ。もちろんそれは、当然のことなのだ、『花修』は作品によって何かを語りだそうとする以前に、「この世」が持つ豊かな質感の数々に突き動かされながら、書き継がれてきた句集であるのだから。
 



【執筆者紹介】

  • 岡村知昭(おかむら・ともあき)

1973年生まれ。「豈」「狼」「蛮」所属、現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(邑書林)





【曾根毅『花修』を読む 3 】 行進する世界  小鳥遊栄樹



以前( )俳句通信第五号にて「花修」の句集評を掲載させていただいたので今回はそれとは違うことを書こうと思う。興味がある方は( )俳句通信のバックナンバーもチェックしていただきたい。

くちびるを花びらとする溺死かな
墓標より乾きはじめて夜の秋
夕焼けて輝く墓地を子等と見る
暴力の直後の柿を喰いけり
快楽以後紙のコップと死が残り

 掲句は花(平成十四年~十七年)から引用した。序盤から「溺死」「墓標」「墓地」「暴力」「死」など、決して明るいとは言えない句材が多く見られるのが「花修」の特徴だと思う。背景に「震災」を匂わせているところが大きいのだろうか。暗い句集なのかと思えば、


きっかけは初めの一羽鳥渡る

 一匹の鳥が飛び立った。その後を追うように三羽四羽五羽…と飛び立っていく。爽やかさを感じる句や、

おでんの底に卵残りし昭和かな
恐らく屋台だろう、おでん出汁の底からぬっと顔を出す煮卵が電球に照らされてつやつやと光っている。懐かしさにも似た曾根氏の実感が下五に表れているような暖かい句や、


天牛の眼が遊び始めたる
地球より硬くなりたき団子虫
一句目、眼をキョロキョロさせているのだろうか。僕はどちらかというと触角を揺らしているような景が思い浮かんだ。

 二句目、丸まっている団子虫の気持ちを代弁したような語り方に面白味を感じる。
このような面白味のある句など、他にもバリエーション豊富に掲載されている。

「花修」のもう一つの特徴として、俳句であまり使われることがない言葉が多く見受けられる。セシウムやマイクロシーベルト、プルトニウム等に関しては( )俳句通信の方に掲載させていただいたので割愛する。

玉虫や思想のふちを這いまわり
憲法と並んでおりし蝸牛
玉葱や出棺のごと輝いて
樹脂管を探しておりし稲光
これらの「思想」「憲法」「出棺」「樹脂管」などは俳句で使われることがほとんどないように思う。それらの言葉を無理なく自然に詠み込んでるのは「花修」の特徴であり、魅力であろう。


冬めくや世界は行進して過ぎる
俳句は瞬間を詠む文学である、とよく言われる。「花修」の世界は一句一句の瞬間と瞬間とが緩やかに繋がって、まるで行進する世界のように一つの物語として読者を楽しませてくれる。




【執筆者紹介】

  • 小鳥遊栄樹(たかなし・えいき)

「里」同人、「群青」同人、「若太陽」所属、「ふらここ」所属





2015年10月16日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 2 】  ‐超現代アニメ的技巧‐    川嶋ぱんだ




曾根毅句集『花修』を評する前に言いたいことがある。それは近年のアニメの仕掛けが凝っているということだ。先日『輪わるピングドラム』というアニメを見ていた。その中で荻野目苹果という少女が「プロジェクトM」という計画を実行しようとする。この「プロジェクトM」の実態について始めは分からないのであるが、物語の中に「M」という頭文字のキーワードがいくつか存在している。視聴者はこの「M」が何を表しているのか推測しながらストーリーを観ていくのだ。『花修』の話に戻る。この『花修』は大阪中崎町にある葉ね文庫で初めて見た。店長さんと「句集なのに花修なんだね」と話したことを記憶している。この花修というタイトルは歌集とのダブルミーニングを意識しているのかと思いきや、「あとがき」で別のところからの引用であることを明らかにしている。しかしどこまで考えられているのか。曾根さんの術中にある気がする。やっと句について触れるが

桐一葉ここにもマイクロシーベルト 
薄明とセシウムを負い露草よ 
燃え残るプルトニウムと傘の骨

それまで知らなかったマイクロシーベルトやセシウムといった言葉が理解語彙になるまで福島の原発の影響は大きかった。それは否めないし、強烈な句である。しかし、私が最も気になったのは

快楽以後紙のコップと死が残り

という句だ。実はこの句、超現代アニメ的一句でないかと私は思っている。「紙のコップと死が残り」というフレーズは絶望を感じさせるが、同音で「神のコップと詩が残り」とすると一転、救いになるのだ。つまりこの一句の中に現代アニメ的なダブルミーニングが仕掛けられていると私は思っている。強烈なことばを用いた原発俳句の中に潜んでいる仕掛けが新たな俳句を切り開いていくかもしれない。




【執筆者紹介】

  • 川嶋ぱんだ(かわしま・ぱんだ)






【曾根毅『花修』を読む 1 】 ー事象の裏側への肉迫― 寺田人



句をメモしながら読み進め、目にした瞬間、手が、目が、心臓が止まった句がある。

この国や鬱のかたちの耳飾り

この句が、日本列島の形状について言及するものか、この国の政治・国際的な立場について言及するものかはわからない。だが、この国について言及する上で「鬱のかたちの耳飾り」という比喩の使用、さらに鬱という無形のものをそのメタファーのシンボルとして扱う技量に驚愕した。


「花修の句は良し悪しの判断ができない」「スラスラと読めない」そう思いながら読み進めていた私の思考が停止したのはまさしくこの句を読み下した瞬間。良し悪しの判断、好悪の判断をしながら句集を読むのは私の悪癖であるかも知れないが、それ以前に「解釈ができない」。脳髄に言葉を叩きつけられたような心地だった。


「あれだけの衝撃を与えられては読み進められない」「しかし、もっと読み進めたい」という自己矛盾を結局のところ一ヶ月近く抱え、公私ともに万全の状態でトライしたところ、なんとか通読できた。そして、掲句に対して自身なりの解釈を手に入れることも。

くちびるを花びらとする溺死かな 
暴力の直後の柿を喰いけり 
地に落ちてより艶めける八重桜 
五月雨のコインロッカーより鈍器 
水吸うて水の上なる桜かな 
凍蝶の眠りのなかの硬さかな
殺されて横たわりたる冷蔵庫


被災詠の色濃いものは、全て除外した。「天災に遭った後の人間の詠ずるものは全て被災詠である」という持論があるからである。被災詠であることをモチーフで表現しなくとも曾根さんの句には十二分に被災詠の要素が盛り込まれているのではないか。


福島ほどの被害ではないが、私も幼くして阪神大震災を経験した身。精神や心、魂と呼ばれるものがあれば、そこに染み付いていることだろう。それほどに、自然の暴力は強く激しく恐ろしい。そして、被災後の句全てにその被災の経験がもたらした魂の傷が表れているのではないか。

そしてまた思う、被災詠以上に着目されるべき曾根さんの句の魅力があるのではないか、と。死を、暴力を、人間や事物の暗闇を捉えた句が多く、胸が苦しくなるような重厚な、そして、どこか後ろめたさのある読後感は、それによる物だろう、と。出てくる数々の句の「事象の裏側」に肉迫する句風が、ニヒルでもあり、またシュールでもある。


曾根さんの句風の特徴として「事象の裏側」というものを提示したが、それだけではない。「比喩・擬人化の効果的な利用」「句材として新鮮なものを俳句に浸透させる力」「事象の裏側ゆえの理不尽」「観念的・空想的な句であっても現実へ回帰させる技量」など、様々な手法が見える一冊だ。


今回最も収穫が大きかったのは曾根さんにとっての「事象の裏側」、つまり「常に自身が抱いている思想を句に反映させることが可能である」ということだった。私はまだまだ初学の身、写生を心がけよ、と言われるが、「見たままを描くのであればそこに自身の思想が入り込んでしまうのはむしろ当然」という着想を得たように思う。それができたのは、後述の句のおかげかも知れない。

明日になく今日ありしもの寒卵

事象の裏側を詠む、今日あるもののシンボルとして寒卵を効果的に利用する、寒卵の現実感で実感を持たせるなど、曾根さんの持つ句風の真骨頂だ。


今日当たり前だと思っていたことが、明日は当たり前ではないかも知れない。それは被災後の曾根さんの魂の古傷でもあり、現在抱いていらっしゃる思想かも知れない。この日常という平凡なものが突如として非日常へと変化する可能性があるという「事象の裏側」に心を揺さぶられた。そしてまた同時に、「私の思想もまた、句の中に反映されるのではないか」という新たな期待を私に抱かせてくれた。


明日になく今日ありしものがあるならば、今日になく明日ありしものもまたあるはず。大きな収穫とともに素敵な時間を過ごさせていただいたこの「花修」という句集を生涯傍らに置きたい。



【執筆者紹介】

  • 寺田人(てらだ・じん) 
句歴:4年 所属広島大学俳句研究会H2O、関西俳句会ふらここ、Skype句会くかいぷち運営




【曾根毅『花修』を読む 】  掲載インデックス (連載期間 2015/10/2-2016/4/22 )

※日付は掲載日
2015/10/2
■ (序)    …筑紫磐井 》読む

2015/10/16
【曾根毅『花修』を読む 1 】   ー事象の裏側への肉迫―  …寺田人  》読む
2015/10/16
【曾根毅『花修』を読む 2 】  ‐超現代アニメ的技巧‐   …川嶋ぱんだ 》読む
2015/10/23
【曾根毅『花修』を読む 3 】 行進する世界  …小鳥遊栄樹  》読む
2015/10/23
【曾根毅『花修』を読む 4】  「この世」の身体によって 『花修』覚書  …岡村知昭 》読む
2015/10/30
【曾根毅『花修』を読む 5】   ネガの貫之   …  橋本小たか 》読む
2015/10/30
【曾根毅『花修』を読む 6】  『花修』のありか …  青木亮人 》読む
2015/11/6
【曾根毅『花修』を読む 7 】 眩暈  …   藤井あかり  》読む
2015/11/6
【曾根毅『花修』を読む 8 】    セシウムに、露草 … 天野慶  》読む
2015/11/13
【曾根毅『花修』を読む 9 】  つぶやき、あるいは囁き … 安岡麻佑  》読む
2015/11/13
【曾根毅『花修』を読む 10 】  『花修』立体花伝 ―21世紀の運歩―   …男波弘志  》読む


2015/11/20
【曾根毅『花修』を読む 11 】  水のように  … 藤田亜未  》読む
2015/11/20
【曾根毅『花修』を読む 12 】  花は笑う  … 丑丸敬史  》読む
2015/11/27
【曾根毅『花修』を読む 13 】  震災詠は苦手だった … 大池莉奈  》読む
2015/11/27
【曾根毅『花修』を読む 14 】  推敲というプロセス … 中村安伸  》読む
2015/12/4
【曾根毅『花修』を読む 15 】  見えざるもの …  淺津大雅 》読む
2015/12/4
【曾根毅『花修』を読む 16 】  曾根毅という男 … 三木基史  》読む
2015/12/11
【曾根毅『花修』を読む 17 】  おでんの卵 … 工藤 惠  》読む
2015/12/11
【曾根毅『花修』を読む 18 】  思索と詩作のスパイラルアップ … 堺谷真人 》読む
2015/12/18
【曾根毅『花修』を読む 19 】  彼の眼、彼の世界 … 仮屋賢一 》読む
2015/12/18
【曾根毅『花修』を読む 20 】  きれいにおそろしい … 堀田季何  》読む


2015/12/25
【曾根毅『花修』を読む 21 】  たどたどしく話すこと … 堀下翔  》読む
2015/12/25
【曾根毅『花修』を読む 22 】  墓のある景色 … 岡田一実  》読む
2016/1/1
【曾根毅『花修』を読む 23 】  永久らしさ  … 佐藤文香   》読む
2016/1/1
【曾根毅『花修』を読む 24 】  続〈真の「写生」〉  … 五島高資  》読む
2016/1/8
【曾根毅『花修』を読む 25 】   「対立の魅力」 …  野住朋可  》読む
2016/1/8
【曾根毅『花修』を読む 26 】   「花修」雑感  …  杉山 久子  》読む 
2016/1/15
【曾根毅『花修』を読む 27 】  贈られた花束 … 若狭昭宏  》読む
2016/1/15
【曾根毅『花修』を読む 28 】  終末の後に   … 小林かんな  》読む
2016/1/22
【曾根毅『花修』を読む 29 】  たよりにしながら …  宮﨑莉々香  》読む

2016/1/22
【曾根毅『花修』を読む 30 】  飲むしかない   … 宮本佳世乃  》読む
2016/1/29
【曾根毅『花修』を読む 31 】  極めて個人的な曾根毅様へのメール  … 家藤正人  》読む
2016/1/29
【曾根毅『花修』を読む 32 】  二度目の日常 … 田島健一  》読む
2016/2/5
【曾根毅『花修』を読む 33 】   現状と心との距離感 … 山下舞子  》読む
2016/2/5
【曾根毅『花修』を読む 34 】  ソリッドステートリレー … 橋本 直  》読
2016/2/12
【曾根毅『花修』を読む 35 】   還元/換言   …    久留島元  》読む
2015/2/12
【曾根毅『花修』を読む 36 】  虚の中にこそ  … キム・チャンヒ  》読む
2016/2/19
【曾根毅『花修』を読む 37 】  絶景の絶景 …  黒岩徳将  》読む
2016/2/19
【曾根毅『花修』を読む 38 】  変遷の果てとこれから … 宇田川寛之  》読む
2016/2/26
【曾根毅『花修』を読む 39 】  凶暴とセシウム  ・・・    佐々木貴子 》読む

2016/2/26
【曾根毅『花修』を読む 40 】  曾根毅句集『花修』を読む  … わたなべじゅんこ  》読む
2016/3/4
【曾根毅『花修』を読む 41 】  2016年2月、福岡逆立ち歩きの記―鞄の中に『花修』を入れて― … 灯馬  》読む
2016/3/4
【曾根毅『花修』を読む 42 】 世界の行進を見る目 … 大城戸ハルミ  》読む
2016/3/11
【曾根毅『花修』を読む 43 】  『花修』の植物と時間 … 瀬越悠矢  》読む
2016/3/11 
【曾根毅『花修』を読む44】   伝播するもの  … 近 恵  》読む
2016/3/18
【曾根毅『花修』を読む45】  まぶしい闇 … 矢野公雄 》読
2016/3/18
【曾根毅『花修』を読む46】  Giant Steps … 九堂夜想  》読む
2016/3/25
【曾根毅『花修』を読む47】  夜の端居  …  西村麒麟  》読む
2016/3/25
【曾根毅『花修』を読む48】  得体のしれないもの … 山岸由佳  》読む
2016/4/1
【曾根毅『花修』を読む49】  残るのか、残すのか … 表健太郎 》読む
2016/4/1
【曾根毅『花修』を読む50】 最後の弟子―『花修』をめぐる鈴木六林男と曾根毅 ・・・ 田中亜美 》読む

2016/4/8
【曾根毅『花修』を読む51】  「花修」を読む(「びーぐる」30号より転載)  … 竹岡一郎  》読む
2016/4/21
【およそ日刊俳句新空間より】  人外句境 38 [曾根毅] … 佐藤りえ 》読む


2016/4/22
■  評者を読む … 曾根 毅  》読む








2015年10月2日金曜日

【俳句新空間No.3】 大本義幸の句 / もてきまり



夕暮れがきて貧困を措いてゆく  大本義幸

「夕暮れ」の擬人化。「貧困」という観念の物質化に成功している。昼間は、人それぞれに生きるに忙しく、やれやれと一息つく夕暮れ時になるとなにやら佇まいの貧しさが気になるのである。あるいは人類の夕暮れ時、類としての貧困がどんと卓上に課題として措かれていく意にも取れる。時間的な遠近法といい、こうした句は作れそうでなかなか作れないものだ。他に〈ノンアルコールビールだねこの町〉日本中、どこへ行っても、やや安普請のノンアルコールビールふう町並が増えた。


<冊子【俳句新空間No.3】2015(平成27)年1月作品詠,新春帖所収>

2015年9月30日水曜日

【俳句新空間No.2】北川美美の句 / 陽美保子


片蔭の突然切れているところ    北川美美
暑い盛りであれば、片蔭を選んで歩くことは自然の行為。今まで意識することもなく片蔭を歩いてきたが、片蔭が突然切れて、はっと目覚めたように道を見つめ直す。そして、これからどこを歩こうかと途方に暮れる。「突然切れているところ」で終わっているのが心憎い。

2015年9月28日月曜日

【俳句新空間No.2】 仲寒蟬作品評ーひとところをー / 津髙里永子



 作者、仲寒蟬氏は多作という修業を日々続けておられる荒武者。その手応えと手ざわり、切れ味、そして包容力のある俳句にいつも圧倒されている。忙しさにかまけて弁解ばかり言っている私には眩い存在である。

木漏日のそのまま春の水の底 仲寒蟬
午前中の診察が一段落した作者は、街路樹のある歩道を気分転換に歩いてみた。雨も上がって遅い昼下り、午後三時ごろであろう、その光に、ああ、日差しが柔らかくなったなあ、ずいぶんと日が伸びたねと呟きながら、ひとところ、舗装が崩れて水溜りになったところに立ちどまる。車や人の往来の激しい道なのに、木の葉が沈んでいるぐらいのあまり濁っていない水溜り、その小さい水溜りをちょっと覗いただけの作者なのに、掲句のような「春の水」の本意を捉えたような一句に仕立て上げる。その凄腕は、「春の水」で終わらせず「春の水の底」ときちっと気持ちを水底まで沈めたあたりにある。「水温む」の感覚をまずは思わせ、水底の浅さ、それに映っているものの揺らぎが春そのものであることを読者が感じとれるようにする。そして、なお、「底」ということばによって、「春愁」の気分まで漂わせる重層的な句なのである。

   橋わたるたび夏めいてゆく心地  寒蟬 
夏を大づかみして表わすために、掲句一句目のように橋を介在させるというのは、じつに聡明である。太陽の強い光、その白い反射をより身近に体感させれば、町の中の橋で充分であろうが、作者は「橋わたるたび」となんども橋をわたったことを強調、そのたびにますます夏の雰囲気にひたれる境地へと深まっていったことを歓喜しておられるようであるから、足元に流れる川の勢いに身がすくんでしまうような山間の細い橋をわたっていっての一句と考えるべきであろう。スリル感を楽しめるのは、やはり、夏の季節の間であろう。場所を限定させる言葉、たとえば「山中の」とか「峡谷の」とか、はたまた「海近き」などの条件を言わずとも、情景が目に浮かび、作者の詩ごころが伝わってくる句こそ、まさしく俳句精神に則ったものといえるのではないか。

   釣り人の夏を釣らむとしてゐたり  寒蟬
ぴんぴん跳ねながら目の前に降参した姿を見せる魚を想像しながら釣糸を投げる釣り人。小さい魚など要らぬと、完全に彼の頭の中の映像は大きな魚しか結ばれていない。両足をふんばって構える釣り人を遠景としてみつめる作者。どこかに「釣りは趣味の中の窮極である」というようなことが書かれていたのを見たことがあるが、魚との駆け引きに賭け、ひたすら自分を信じて、長時間、ひとところに居続ける根性に作者はしばし、言葉もなくして見つめていたのであろう。 
ポイントを摑まえた、多くを語らない句はそれぞれ読者の思い出を甦らせる。このようなサービス精神のある、プロとしての俳句に私は心を奪われた次第である。

2015年9月25日金曜日

【俳句新空間No.2】 津高里永子の句 11 / 仲寒蟬



水音の絶え間なき駅避暑期果つ  津高里永子
「夏果つ」でも「休暇果つ」でもなく「避暑期果つ」である。これによって作者がいま避暑地にいると分かる。避暑の客が去った後の避暑地の駅、そこに水音が絶えない。もう水の秋が来ているのだ。夏の終りや夜の秋と水音との取合せは珍しくないが「避暑期果つ」とずらしたのが効いた。フェードアウトしていくような終わり方は最初の句と呼応して読者を大景へと連れてゆく。
 全体を通して読んで爽快感を覚える。引きずる感じがなくテンポがいいのだ。力まずに季節の移り変わり、生活の流れを淡々と、しかし作者の存在感をしっかりと刻む形で詠まれている。それが出来るにはかなりの力量が必要なのだが。

2015年9月24日木曜日

【俳句新空間No.2】 北川美美の句 /もてきまり


麦畑刈られ巨人が来る気配   北川美美
旅先で麦畑の刈られた風景にでくわした。広大な自然の中に麦藁を直径1.5mぐらいの幾何学的な円筒形に圧縮したストローベイルなるものが点々と置いて在り、初めて見る者には不思議な光景だった。確かに「巨人が来る気配」だった。それも旅人を喰う一つ目のキュクロプス。日本ばなれした麦刈り後の風景を彷彿とさせる「巨人が来る気配」。他に〈夏草を踏みしめている乗用車〉等。 

2015年9月23日水曜日

【俳句新空間No.2】 津高里永子の句 10 / 仲寒蟬



羽抜鶏搔きし砂場の砂黒し 津高里永子
連作では終わり方もまた大事。このような光景は羽抜鶏の句としては珍しいのではないか。羽抜鶏そのものの風情や哀れさに注目するのが常道であろうが、鶏が引っ掻いた砂場の砂が黒いという発見だけを詠んだ。しかし肩透かしを食ってもあまり嫌な気分ではない。それは目の前の景がきちんと書かれているから、作者が、従って読者もそこにいるという臨場感が味わえるから、であろう。

2015年9月18日金曜日

【俳句新空間No.2】 作品鑑賞/五島高資



  星々を招き入れたる植田かな 仲寒蟬
農村の夜景が目の前に広がる。ちょうと田植えしたばかりだから田圃には水面が多く見える。そこに星影が映えるという風情には、単なる実景を超えた天人合一の詩境を感じる。「招き入れたる」所以である。

  万緑や長き鉄橋わたりける 仲寒蟬
渓谷にかかる一本の鉄橋と山々の万緑がとても印象的な風景である。しかし、それだけではなく、「わたりける」という措辞から、一粒万倍に展開する豊かな詩情が感じられる。

  空へ出る仕掛としての青岬 仲寒蟬
たしかに岬の果てへ至ればその先は海原が広がるのみである。しかし、「海」と「天」が同じ「あま」と考えるならば、たしかに岬は「御崎」として神々の住む高天原へと繋がっているような気がする。青葉が茂る頃ならなおさらである。
 ほかの感銘句を以下に列挙する。

  波打つて大暑の腹の笑ひをり 中西夕紀
  泉湧く木の葉一枚踊らせて 福田葉子
  日の沖へ向かう柩の中に瀧 高橋修宏

2015年9月16日水曜日

【俳句新空間No.2】 夏木久の句 /もてきまり


TOKYOや海市となりて流れ寄り 夏木久 
「見渡せば花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの秋のゆふぐれ」という藤原定家の歌が前詞として置かれている。今、繁栄の絶頂期にある東京。それを毀れやすいブロックのようなローマ字で「TOKYO」と表記。前詞の「見渡せば花ももみぢもなかりけり」に対応する部分の「TOKYO」である。榮枯盛衰は世のならいと言うが如く、そこはかとなく花も紅葉もない廃墟の東京のイメージが浮き上がる。原因は浜岡原発かどうかは、誰もわからない。すでに「海市となりて流れ」寄る東京。「TOKYOや」といちようは切れているものの、私には「TOKYO」と「海市」がオーバラップして見えた。他の好きな句に〈旅人や袖にサハラの月を入れ〉。

2015年9月14日月曜日

【俳句新空間No.2】 筑紫磐井の句 /もてきまり


炎天のエミュウは我を見くびれる 筑紫磐井
エミュウはダチョウに似て大きく、翼を失くした鳥。─ここは新宿百人町。夜8時頃、男はたまに行くバー「エミュウ」に入る。そこには炎天にいるような服装のマダム・エミュウが居て、いつものグラスを出す。黒メガネを外した顔でぽつりぽつりと会話。「そう、あんたはまだ翼を持っているのね」とエミュウ。男は密かに見くびられていると意識する。(配役/マダム・エミュウ=美輪明宏、男=筑紫磐井)Film『黒エミュウ』予告編より抜粋─この続きも書きたかったが字数制限迫り、清く諦める。次は〈賢きはをんな をとこは茸である〉納得。これは古来より普遍原理でいたしかたない。〈蒼古たる歴史の上に敗戦忌〉「蒼古たる歴史の上に」が見セ消チでわざと消されている表記。「敗戦忌」は造語。もはや戦前かも。

2015年9月11日金曜日

【俳句新空間No.2】作品詠鑑賞(堀田季何の句) / 夏木 久



鮨握るうちにバッハの拍となる 堀田季何
バッハだ!この魔術から音も詩も脱出出来るか?心地良い和音メロディと説明しやすい意味の言葉、二足歩行で鍛えたこの大脳は、それで満足に漂えるのか、現を。

2015年9月10日木曜日

【俳句新空間No.2】作品詠鑑賞(網野月をの句) / 夏木 久



あの世にて師に見ゆまで熱帯夜  網野月を

今は昔、師がいた頃が懐かしい。詩に師は要らぬ、がモットーだったが、知人に言われ、とある師の誌に参加した。袂を分ったが、この先そのことは熱帯夜を漂うようなものだろうか、俳句の世界に足を入れてる限り?

2015年9月9日水曜日

【俳句新空間No.2】作品詠鑑賞(大本義幸の句) / 夏木 久



 絵は抽象を、音楽は無調を、意味はリアルを超え、新たな人間存在の軽いリアルを模索する。なのに俳句はまだ写生?《ひらかなででもかけば(これは失礼!)。》
真摯に言葉に向かう、この姿勢を持って俳句に向かう(すでに近世にはあったのだが)、進歩であっても後退であっても、今はそれを考える、一番の愉しみとして。

死体を隠すによい河口の町だね 大本義幸
これは銀河の河口に違いない。口臭のきつい団塊世代の先輩が、インド旅行の思い出を―ガンジスに浮かぶ屍を見て、人生が変わった―と言っていた。そんな腐臭もこれには感じない。父母の屍も銀河まで来れば、生の香りを思い出すように謎めいて漂うようだ、曲解でも。


2015年9月8日火曜日

【俳句新空間No.2】仲寒蝉の句 / 陽美保子


木漏日のそのまま春の水の底 仲寒蝉
そのままと言えばそのままの句ではあるが、不思議な魅力がある。それは動詞を略した俳句そのものの魅力。この句に「届く」などの動詞があれば凡句となるであろう。即物的な叙述の中に、木々の葉がまだ茂っていない明るい早春の林中と、そこに流れる浅い川のきらめきが髣髴とする。

2015年9月7日月曜日

【俳句新空間No.2】神谷波の句 / 陽美保子


汗の身におそれおほくて輪島塗 神谷波
汗を拭きつつ、少し改まった席に着く。汁物の器は輪島塗。手にとれば高級な漆器にべとっと指紋が付いてしまいそうでとても手に取れない。まずはハンカチで汗を拭い、呼吸を整える。「おそれおほくて」の庶民感覚に読者はにやりとさせられる。調べ共々格調の高い〈拭ひてはもどる漆の春埃 長谷川櫂〉の漆の句とは違って、これもまた楽しい。

2015年9月4日金曜日

【俳句新空間No.2】 秦夕美作品評/真矢ひろみ



錦糸町涼しき音を放ちけり   秦夕美

 錦糸町の地名の由来は、北口にあった「錦糸堀」とも「琴糸」の工房があったなどと言われるが詳細は不明。現在、北口周辺は現代的な都市空間となっているが、南口側は古くからの歓楽街が色濃く残り、今なお猥雑な雰囲気を醸し出す。実は筆者の通学路でもあった所で、数十年前は飲み屋、ポルノ映画館、風俗店、路地に入れば安アパートなどが並び立つ、東部下町の典型的な街であり、南口方面には今なお名残りがある。

 句意は「あの『如何わしく、禍々し』かった錦糸町周辺の雰囲気もすっかり変わり、『気持ちよく涼しげ』な快音が聞こえる街になった」と、「猿蓑」凡兆の「市中は物のにほひや夏の月」と趣きを同じく、猥雑に清涼を見取る句と解されるだろうし、一方、地名という一種の呪縛から離れて「錦の糸」という表意、また「錦糸町(kinshichio)」という「i」音重複の表音からの感慨句とも取れる。「錦糸町」という言葉そのものが音となるのである。丈高く、声調が張り、作者の凛とした姿を垣間見るよう。無論、読みはどれか一つに限るわけでなく、私たちの脳はこれらを重層的に受け止めることが可能である。これが詩歌を楽しむために、神が人に与えた機能なのかもしれない。

 さらに分け入ろうとすれば、「涼しい」とした作者の心象、音を「放つ」主体と音の内容に進む。ここから先は読む側の想像に託されることとなり、読み手の「楽しみ方」にも大きく依存する。「涼しい」という季語、主体の意志を感じさせる「放つ」という言葉、いわば外枠線だけを作者はぽんと提供しているのだが、読み手にとっては、この線に沿って色を塗らなければ始まらない。

 筆者の読みは次のとおり。ある者(または作者)が南口側の雑踏の中に蹲り、大友克洋『AKIRA』のように、両手で小動物を包み隠すごとく何かを覆っていたが、その掌を少しづつ開け始める。すると、摩訶不思議な音が、パチンコ店の流行歌や風俗店の呼込む声、右翼の街頭宣伝などにかき消されながらも、円形に広がっていく。その広がりとは、観察者が音を認識したのではなく、何かに高揚する子供たち、はっとしたような表情の老夫婦、音の有りかを探ろうと周辺を見渡すキャバクラ嬢などの姿を通して、視覚的に捉えられる。神経を研ぎ澄まして微かに聞こえる音は、阿弥陀如来来迎の際に、雲中供養音薩が奏でるとされる音楽に似て、華やかとしながらも、現代音楽に慣れ親しむ者からすれば、抑揚のない単純なもの。そして、この音を放った者こそ、日常に非日常を持ち込み、空虚な心に魂をもたらす者、即ち都市に棲む「マレビト」であった。

 ・・・といった具合。『AKIRA読み』とでも言うべきか。派手なストーリー仕立ては筆者の性分であり、ご容赦いただきたい。俳人の素質にそぐわぬものかも知れぬが、これとて明白な論拠はない。


2015年9月3日木曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 9 / 仲寒蟬


友引の日か空蟬の脚欠けて 津高里永子
全体の題となった句である。「て」で終わっているせいもあって決して重くれていない。空蝉の脚の欠けたのを見て何故かそう言えば今日は友引だと思い出す。縁起でもないと思わなくもないけれども気分としては極めて軽い。

2015年9月2日水曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 8 / 仲寒蟬


勉強と仕事と眼鏡して昼寝    津高里永子

 これもどこか力の抜けたような所のある句だ。時はいま夏休み。一日のスケジュールを羅列したような軽さ。ただし勉強と仕事の両立が大変そう。だから眼鏡をしたまま昼寝する羽目になる。

2015年9月1日火曜日

【俳句新空間No.2】  神山姫余作品評  / 羽村美和子



 
タイトルの「所在」には、あるようなないような自分の「所在」、あるいは居場所を求めているような感覚がある。(レ)を巧く受け取れないでいるが、返り点のレ、チェックマークのレなどが当てはまるのかも知れない。思春期の飢えや喪失感の漂う句群である。

  海面の白い航跡や裏切りの早さ 神山姫余
「航跡」を敢えて「海面の白い」と強調し、読み手の脳裏から消えないうちに、「裏切りの早さ」とぶつける。「裏切り」は白い波が見る見る消えていくことであり、人の「裏切り」でもある。景としては当たり前なのに、意外な表現をぶつけた面白さがある。

DNA滑り落ちて僕の夏 姫余
中学生か高校生の「僕」。エネルギッシュな季節であるが故の挫折感も「夏」にはある。全速力である分、躓けば一気に沈んでいく。自己否定さえ生じる。それを「DNA滑り落ちて」と表現した。思春期の若者にとっては、決してオーバーな表現ではない。俳句は一人称とは限らない。作者は目の前の「僕」にかつての自分を重ね、その喪失感に痛いほど共感している。

ざらざらと地球に還る我が髑髏 姫余
全く関係がないのに、尹東柱(ユンドンジュ)の詩を思い出した。独立運動の嫌疑をかけられ、日本で獄死した詩人だ。自分の死を予感したような詩の一節に「…行こう行こう/追われるもののように行こう/白骨に気づかれないように/美しいもう一つの故郷に行こう」というのがある。体を離れた、精神の昇華された世界を願った詩だ。背景にあるものは全く違うのに、掲句にもそれに似たものを感じる。「我が」精神は昇華され宇宙を漂う。それに対して「我が髑髏」は「地球に還る」しかない。だから「ざらざらと」の措辞なのだろう。作者のピュアな精神の願望を感じる。地球を俯瞰している感覚も良い。

告白の今日を知らずや蝶渡る 姫余
アサギマダラであろう。揚羽より少し小さく、黒に半透明の水色と褐色の模様がある美しい蝶だ。初秋に南西諸島の方へ「渡る」とか。幼虫の時毒性の高い草を食べ、自ら体内に毒を取り込むらしい。当然成虫も体内に毒を持つ。「告白」は掲句の場合、相手からの「告白」。内容は、恋なのか懺悔なのかわからないが、いずれにせよ本人は、傷つき狂おしいほどの思いを抱き、苦しさ故の決別を決意したというところであろうか。自虐性や自己否定の象徴として、毒を持つ美しいアサギマダラを配し、「蝶渡る」とした妙。青春性漂う句である。

2015年8月11日火曜日

【俳句新空間No.2】  神谷波の句――いきものたちと人間の時間 5 / 佐藤りえ


葭切の大歓迎の水棹かな 神谷波
ここでいう水棹は舟を操舵するものではなく、釣り舟などを固定するために水底、岸などに垂直に打つ水棹の方だろうか。舟が「水棹付け」のためのポイントに向かったところ、水棹にとまっている、または周囲の水辺に集った葭切が騒ぎ出した。葭切の集団の鳴き声はけっこう喧しい。大歓迎と捉えれば、人間の楽しい時間が始まる。

2015年8月10日月曜日

【俳句新空間No.2】  神谷波の句――いきものたちと人間の時間 4 / 佐藤りえ


遠くまでゆく蟻近場ですます蟻 神谷波
「近場ですます」から、餌取りの行軍というより、巣穴から砂を持ちだし捨てにゆくところをイメージする。彼らは巣の養生をいつ果てるともなく続ける。邪魔にならないよう、砂を遠くへ捨てにゆくものとそうでないもの。賑やかな中にも異なるリズムのものが紛れ込んでいる。

2015年8月7日金曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 7 / 仲寒蟬



不公平なるが神様西瓜切る 津高里永子
これも箸休めの句だが他の句とはいささか趣が違う。上後中七では神様の不公平を謗るものの決して強い口調ではない。むしろ投げやりで諦めの雰囲気が漂う。その証拠に下五には西瓜を切るという極めて日常的な行為が付く。なるほど西瓜も公平に切ろうとしたところで機械のようにきっちりとはいかない。

2015年8月6日木曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 6 / 仲寒蟬



網戸より潮風夜間飛行の灯   津高里永子

 所謂二物衝撃の句。暑いので網戸にしてあるのだが海が近い場所らしくそれを通して潮風が入ってくる。羽田空港の近くなどを思い浮かべればよい。如何にも気持ちのいい夜だ。やがて網戸越しに夜空を横切る光が見える。ああ、あれは夜間飛行の灯なのだなと気付く。夏の夜のひと時を巧みに切り取っている。

2015年8月5日水曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 5 / 仲寒蟬


酔へるなりノンアルコールビールでも 津高里永子
これも軽い味わいの一句。しかしそれまで屋外の句であったのがこれを境にしばらく室内の句となる。場面転換の役目も果たしている。

2015年8月4日火曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 4 / 仲寒蟬



塀ぎはの紫陽花猫を濡らしけり 津高里永子
これはまた微妙な感覚の一句。塀際に植えてある紫陽花が少し前に降った雨のためまだ湿っている。猫は道の端や塀際を歩くので、紫陽花の葉に溜まった雫に触れ、濡れてしまうのだ。何気ない日常の一齣ではあるけれど、よほど注意して観察しないと中々こういう風には詠めないものだ。

2015年8月3日月曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 3 / 仲寒蟬


洗濯場暑し給湯室涼し 津高里永子
この句は対照的なものを対句のように並べるというひとつのパターン。それでもこういう息抜き的な句があると先へ読み進もうという気になる。二十句の中にはこのように軽いけれども通り過ぎるには惜しい作品がいくつかある。

2015年7月31日金曜日

【俳句新空間No.2】 神谷波の句 /もてきまり


麦秋の赤信号を牛走る 神谷波          
本当にこんな光景がまだ日本にもあるのかも知れない。赤信号なんて人間がかってに作ったもので牛には関係ない。でも、なんとなくそこを察知して走る牛。おおらかさからくる観察のおかしみがある。〈夏の夜の時計の針が逆回り〉神谷波さんのお仲間が集まれば夏の夜など、時計の針が逆回りして、皆、〈往年の少年少女水芭蕉〉になってしまう。〈遠くまでいく蟻近場ですます蟻〉この句もコンピニですます蟻とこだわって遠くの老舗に行く蟻を思わせる一方、精神的に遠くまでいく蟻と近場ですます蟻を思わせて意味の重層性とおかしみを披露している。

2015年7月30日木曜日

【俳句新空間No.2】 ふけとしこの句 /もてきまり


誘拐現場十薬の花の浮き ふけとしこ
まず俳句現場ではあまり見かけない「誘拐現場」という言葉に「えっ」と思わせるものがある。俳句用語に作者の既成概念のなさを感じた。そして「十薬の花が浮き」とは襲ってくる人の恐怖心をアナロジーしていて、それを宙吊りにしたままの終わり方もうまい。〈包帯の伸びきつてゐる夏野かな〉この句もたぶん夏野を前に洗濯物として伸びきった包帯が干してある光景なのだろうが省略効果からか、夏野と伸びきった包帯がフェイドイン、フェイドアウトしてまるでヌーヴェルヴァーグの映画の出だしのような不安や不穏を内包した景を提出している。

2015年7月29日水曜日

【俳句新空間No.2】 堀田季何の句 /もてきまり


責問や金具に締めて氷掻き  堀田季何
幾つかサドマゾ的傾向の句を拾ってみた。手回し掻き氷機という責め具。「責問や」なのでここでの氷は口を割らない容疑者と見た。で、この氷(ピン)氏を金具でガチッと締めガリガリと削りあげるのである。赤いものが滲んだ自白の掻き氷が出来上がる。〈うつくしく牛飲まれゆく出水かな〉「うつくしく」と仮名表記の韜晦。「牛乳飲まれ」に錯視させんばかりの「牛飲まれゆく」と捻り「出水かな」と残酷な着地。確かに俳とは人偏に非なので、このくらい非情の眼も面白い。(いやん、嫌いという方もいるが)表現とは孤独なもの。マゾ的な句として〈うき草や楽園といふ檻の中〉〈未来にも未来あり糞ころがせる〉楽園という檻で永遠に糞ころがしでは、さぞやお辛かろう。

2015年7月28日火曜日

【俳句新空間No.2】 高橋修宏の句 /もてきまり


完璧な死体なるべし心太 高橋修宏
これは寺山修司の詩、「昭和十年十二月十日にぼくは不完全な死体として生まれ何十年かかゝって完全な死体となるのである」の本歌どり(間テクスト)であるが、「心太」がなんとも巧だと思った。少し濁りある誕生。つーと突き出されてからの一生は短くて人に喰われてしまう。その喰った人間の一生もそのように又短いことをアナロジーさせる。〈日は生母月は養母の水くらげ〉この句も宮入聖の〈月の姦日の嬲や蓮枯れて後〉の句の形と響きあう。
水くらげというアンフォルメルな生命の形は精神的不安定な表象と取れる。確かにおおくの生命は太陽が「生母」。月は、その精神的なものを育み「養母」という把握。

2015年7月27日月曜日

【俳句新空間No.2】北川美美の句 / 小野裕三



真夜中に撫ぜて励ます冷蔵庫  北川美美
すべてが動きを止めた夜の部屋で、それでもなにやらうめき声のような低い音を立てて動いているものがある。もはや背景音のようになってしまって、それが動いていることすらも日頃は意識しづらい。それでもたまに冷蔵庫のコンセントを抜いてみると気づく。本当に無音の世界がそこにはあったのだということに。そんなわけで、冷蔵庫はあまり注目を浴びない働き者である。けっこうけなげな存在なのだ。そんなけなげなモノと過ごす真夜中の時間。たぶん作者と冷蔵庫しかいない暗い部屋で向き合う、そんな一人と一個。人間と機械とで、心が通い合うわけもなく、それでも何かが通い合っているように見える、そんな深夜の密かな光景が面白い。

2015年7月24日金曜日

【俳句新空間No.2】木村オサムの句 / 小野裕三


囀の上のコサックダンス隊 木村オサム
囀のさわさわした感じとコサックダンスの動きの感じを重ね合わせた、と言えば確かにそうで、比喩としてはそんなに突飛な範囲に属するようにも思えない。だが、「隊」がついたことでぐっと映像的になる。腕を前に組んだ男の一団が、足を突きだしてリズミカルに踊る。異国語の掛け声なども掛けながら。しかも、「囀の上」ということだから、なんだか宙空のような、足場も頼りない場所で、男たちの一団はダンスを続けるのだ。そのことの映像的な面白さと言ったらない。

2015年7月23日木曜日

【俳句新空間No.2】夏木久の句 / 小野裕三



書初は遠い喇叭の水辺かな 夏木久
書初、喇叭、水辺。この三つにいったい何の関係があるのだろう。いろいろと連想を働かせてみるが、どうにもそれぞれに縁遠い関係としか思えない。いわゆる二物衝撃というのとも違う、なんだか不思議な間合いがそこにはある。書初と喇叭と水辺と、その三つのものの間にぽっかりと空いた、まるでポテンヒットを生みそうな空間。なるほど、これはつまりポテンヒット俳句なのかも知れない。三つのものの距離感を巧みに操って、読み手の意識を思ってもいなかった空白地点へと誘導する俳句。もちろん、誰もが成功するやり方でもなく、言葉に対するセンスのようなものがないと、この企みは成功しないだろうが。

2015年7月22日水曜日

【俳句新空間No.2】神谷波の句 / 小野裕三


遠くまでゆく蟻近場ですます蟻 神谷波
蟻は身近な虫で、公園などを探せばどこにでもいる。蟻のおおよその生態は大人なら知っているだろうが、でもそれはかなりの面で耳学問でしかなく、実際に蟻の巣をほじくりかえして長時間観察したことのある人はそんなにいないだろうから、実態はやはり謎に満ちている。働き蟻とは言われるけれども、実はその労働意欲には濃淡があって、その濃淡こそが、まさにどこにでもいる蟻の分布図を作っているのだとしたら。擬人法としてもなかなか高等な部類で、江戸にも通じる俳諧味がある句。

2015年7月21日火曜日

【俳句新空間No.2】 津髙里永子作品評 / 西村麒麟



育ちすぎたる病院の熱帯魚 津髙里永子
たくさん綺麗ね。えぇ、とっとも、元気そうで。そう言いつつも、心の底でわづかながら面白くない。あらいやだとその思いをまた消そうとする。熱帯魚は元気に、今日も増えたり減ったりしている。やたらに美しい魚め。

酔へるなりノンアルコールビールでも 里永子
そんなことはないだろうと思うけれど、この言葉はよく聞く。病の場合と単に酒が弱い場合とかあるが、両方悲しい。

リモコンの失せし冷房装置かな 里永子
これはよくある。そんな時にはただ煩い巨大な箱のような物で、もちろん、役に立たない。無用の用と言う言葉も虚しい。

2015年7月20日月曜日

【俳句新空間No.2】  中西夕紀作品評 / 西村麒麟

 

向かひ合ひボート漕ぐ父独り占め 夕紀
世の中の全ての父が羨ましがるに違いない。息子でも良いが、そう読むと少し甘い。やはり娘の方が句が美しい。父親とはボートを漕ぐ男の力と、娘が見るに足る面構えが必要なのだろう。娘にはそれが誇らしい。

混み合へる仏壇を閉ぢ夏蒲団 夕紀
そう言えば仏壇は混みあっている。よく見るあたり前なことだけれども、よく観察すると仏壇とは妙なものだ。パタンと閉じて、眠る。仏壇の中の人も眠る。

ゆふぐれを白扇の行く厳島 夕紀
源氏と平家では文句無しに平家の方が好きだ。源氏なら昼、平家ならゆかしい夕暮れか。白は平家で厳島は清盛の夢だ。扇とくれば那須与一め。それぞれの言葉から平家の魂がちらちらする。作者もきっと平家贔屓に違いない。

2015年7月17日金曜日

【俳句新空間No.2】 津高里永子の句 /もてきま


水音の絶え間なき駅避暑期果つ 津高里永子
「みなおとのたえまなきえきひしょきはつ」と読む。句の意味は自明。むしろ中七、下五に畳まれるように三つのki音の響き。それが避暑地の噴水のある駅の様子を思い起こさせて快い。漣のように寄せる一夏の思い出に耽り抒情詩の象徴のような水色のワンピースの女性が立っている。他に〈字のごとく打ちし蚊落ちて紙の上〉。

2015年7月16日木曜日

【俳句新空間No.2】 福田葉子の句 /もてきまり


脈拍はレゲエのリズム海晩夏 福田葉子
「レゲエのリズム」という捉え方がいい。夏も終わりの海での出来事。かなり疲れがでて脈拍が速くなってしまった経験。深刻でなくむしろ少し滑稽というかキッチュに近い味。〈死後のごと湯船に赤いバラ浮かべ〉この句もいい。白いバラでは付きすぎで、ダメ。黄色もピンクもいただけない。赤でないといけない。なんかここまで書いて作者の一側面がみえてきたような、だって「レゲエ」「赤いバラ」に次に披露するのは「恋」。〈茅花野に仮の一夜を恋わたる〉ひたむきな茅花のせつなさ。「仮の一夜を恋わたる」ああ、もう涙なくしては語れない。

2015年7月15日水曜日

【俳句新空間No.2】 堀本吟の句 /もてきまり


ポリフォニーひそむ水田つばくらめ 堀本吟
ここでのポリフォニーは間テクスト性詩学のルーツであるバフチンのポリフォニーかなと。(←Wikipedia知識〈汗〉)「ポリフォニーひそむ」とはつまりいろいろな声、考え方、感じ方がひそんでいるくらいの意味。じゃあ「水田」とは何?となるのだが、私は、ここは大胆に俳句現場の表象としての「水田」という事にしたい。日本特有の「水田」には春夏秋冬があるし、畦でしきられるブランドもあり、♪こっちの水は甘いぞ的要素があったりする俳句のトポスとしての「水田」。でね、吟さんが、水田を高く低く飛んで批評などを書いている姿「つばくらめ」。でも時に〈超新星死に体じゃあと叫び声〉のスランプも。このキュチュな表現も又、愛すべし。

2015年7月14日火曜日

【俳句新空間No.2】 神谷波の句 2 / 前北かおる


麦秋の赤信号を牛走る  神谷波
季題は「麦秋」で夏。初夏、新緑とともに麦は黄色に熟します。作者は、車に乗っているのでしょう。赤信号で停止していると、牛舎から放牧場への移動でしょうか、牛が横断しはじめたのです。牧場スタッフの誘導で、おしまいの方の牛は急がされて、走って渡っていきます。作者は、田舎ならではののんびりとした光景に半ば呆気にとられながら、牛たちを見送ったことでしょう。
 この句を一読した時には、インドあたりを思い浮かべても鑑賞可能かと考えました。けれども、「赤信号」を走らせて渡るところはいかにも日本的で、実はそれほど景の揺れる句ではないと考え直しました。

2015年7月13日月曜日

【俳句新空間No.2】  神谷波の句 1 / 前北かおる



照り雨に桐咲く能登の崖つぷち  神谷波
季題は「桐咲く」で夏。照り雨を降らせる空高くに桐の花が咲き、目の前には照り翳りする日本海が広がる、そんな能登の崖の上に作者は立っているのです。足下では、荒波が大きな音とともに砕け散っています。圧倒されるような雄大な景を、「崖つぷち」という口語の勢いも借りて力強く描いた一句です。同時に、近景の「桐咲く」という気品ある季題を掴まえることで、ひとまとまりの情景に仕上げてあります。作者の高揚した気持ちをそのまま詠い上げているようで、行き届いた写生によって読者を句の世界に導く周到な仕掛けが施されているのです。

2015年7月10日金曜日

【俳句新空間No.2】 佐藤りえの句 /もてきまり


奥よりも裏側である海酸漿 佐藤りえ
海酸漿を鳴らすのは意外に難しく、そう奥よりも舌の裏側で鳴らすのよというぐらいの句意なのだが、これは「奥」「裏側」という言葉が曲者で、ずばり言えば性的な意味で受け取る殿方も多いのではと思った。なにしろタイトルも「麝香」。作者はけっこう無意識にその領域をさらっと表出する。〈濡れている闇から帰り瓜を切る〉この句も男女の営みとしての「濡れている闇」から帰りと取れば「瓜を切る」の瓜がメロウな匂いを微かに放ち始める。攝津幸彦が密かに喜びそうな句。〈飽きられた人形と行く夏野かな〉この句の不思議さも妙。「飽きられた人形」とは作者の一部分である事は確かなのだが・・・。

2015年7月9日木曜日

【俳句新空間No.2】 中西夕紀の句 /もてきまり


昼顔に目覚めて口のにがきかな 中西夕紀
夏の午後、ちょっとうたた寝して目覚めてみるとあの昼顔の花になっていた。口がにがいから確かに私なのだけどと「変身」(カフカ著)の昼顔版と読むのはおおいなる誤読なのだが、そうとも読めてしまうシュールな表出。

波打つて大暑の腹の笑ひをり〉ステテコ姿の七福神の一人に似た老人が檜の縁台などで大笑いしている姿。なんといっても「大暑の腹」という把握が玄人。〈混み合へる仏壇を閉じ夏布団〉実家に帰省すると時に仏間に寝かせられるときがある。老母などは「先祖代々南無むにゃむにゃチーンッ!」と拝むのだが、確かに仏壇の中には「先祖代々」が入っているのでそうとう混み合っている。

2015年7月8日水曜日

【俳句新空間No.2】 網野月をの句 /もてきまり


野生種のような長女や山ツツジ 網野月を
「野生種のような」すてきな長女さん。と言っても、もう年頃だから親としてはとても複雑。山ツツジのあの朱色を好きな方は多いのでは・・・。〈五月病むかし甕割り今ガシャン〉こちらは長男の方?大学に入りたてはとかく五月病にやられます。むかしは親と口喧嘩などしてお気に入りのアンティークの甕など割ってくれた程度でしたが、今は電話かけてもろくに会話もしないで「ガシャン」なんです。はい、我が家もそうでした。他の印象深い句に〈かたつむり殻持ち運ぶ自衛権〉。

2015年7月7日火曜日

【俳句新空間No.2】 真矢ひろみの句 /もてきまり


ぼうたんの揺るるは虐殺プロトコル 真矢ひろみ
ぼうたんの百のゆるるはゆのやうに 森澄雄〉の本歌取りである。白牡丹の沢山咲いている景はお湯がふつふつと沸いているようなというほどの意味だが、むしろ句の意味は横に置いて、漢字「百」以外は仮名表記のシニフィアン(記号表現)の美として私は享受してきた。掲句の「ぼうたんの揺るるは」というシニフィアン(ここでも意味は重要ではない)は「虐殺プロトコル」だと云う。プロトコルとはIT用語で手順とか手続きのような意味だ。想えば大量のお湯が沸騰する景は怖い。そのサブリミナル効果も入って「虐殺プロトコル」。二〇一四年五月ウクライナのオデッサで二十一世紀とは思えないほどのネオナチによる市民虐殺があった事を思い出した。他にも共鳴句が多く〈国霊やコンビニの灯を門火とす〉等。

2015年7月6日月曜日

【俳句新空間No.2】 関根かなの句 /もてきまり


夏の夜の立入禁止といふわたし 関根かな
沈丁やをんなにはある憂鬱日 鷹女〉あるいは〈閉経まで散る萩の花何匁 池田澄子〉という句が示す通り、女性は周期的に訪れる悩ましい現象を抱えながら生きている。この句もそんな時の自分を茶化して出てきた句だ。「立入禁止」という言葉がとてもユニーク。〈優曇華に場所を移してよく眠れ〉そんな日は誰も来ない優曇華でよく眠るのがベストだ。〈元彼に似ているやうな飛蝗飛ぶ〉元彼≒飛蝗のポップな把握。〈軍艦の鮨はわけられないよ好き〉という口語。実に巧みな術者だ。〈太陽のちぎれて八月十五日〉の「太陽のちぎれて」というたった九音で昭和二十年八月十五日の全てを表現し得ている。なんびとも認める佳句だと思う。

2015年7月3日金曜日

【俳句新空間No.2】中西夕紀の句 2/ 陽美保子


  混み合へる仏壇を閉ぢ夏蒲団 中西夕紀
考えてみれば、この世よりあの世の方が余程混んでいるに違いない。たとえば、仏壇ひとつに自分と配偶者の両親の位牌を引き受けたとしても四つの位牌が入ることになる。なんとも狭苦しいことだ。せいぜい長生きをして、人口密度の低いこの世でゆっくり寝たいものだ。仏壇に比べ、夏蒲団が広々と涼しげに見える。

〈骨の音涼しく傘を畳みけり〉は、仏壇の句を読んだ後のせいか、「骨の音すずしく」まで読んで、骨壺を想像したが然にあらず。「傘」ときて楽しく裏切られる。

2015年7月2日木曜日

【俳句新空間No.2】中西夕紀の句 1/ 陽美保子



  父の日の暮れて影置く畳かな 中西夕紀
何の影とは言っていないが、物自体が重要なのではない。外の方が明るいような夕暮時、まだ灯りを点けぬ薄暗い畳に落ちる物影の趣が、昔の日本の父の趣に重なる。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出す。「われらは落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。」掲句の影にはこれと同じ閑寂がある。その閑寂は、そのまま厳格で寡黙な父の姿でもある。

2015年7月1日水曜日

【俳句新空間No.2】  高橋修宏の句 2 / 後藤貴子


日の沖へ向かう柩の中に瀧 高橋修宏
寓意的に読もうとする場合、渡海船がすぐ思い浮かぶ。補陀落上陸前に、無惨にも舟に進入してくる冷たい海水。あるいは近年の大型客船。個室にプチ瀧(シャワー)が備わっており、人前に姿を現す前はエチケットとしてプチ禊を行うことが一般的なので、そのように解釈することもできる。しかし、太陽は古来から信仰の対象であり、ことに日本は伊勢神宮など天照大神信仰が強く、穢れを嫌う神道の精神が一般化しているので、この句は日本人のメンタルの発露ととらえるのが適切か。

2015年6月30日火曜日

【俳句新空間No.2】  高橋修宏の句 1 / 後藤貴子


廃炉より蛹の如き呼吸音   高橋修宏
原発先進国イギリスの認識では、原子炉を完全に安全停止するのに七十年以上の歳月がかかるとされる。原発停止後、核燃料の冷却だけで三年かかり、そこから本格的な廃炉作業に入るのだが、原子炉は活動を止めたわけではなく、蛹のごとき静止状態を保ったまま、放射線物質を空気中に放出しつづける。高橋の句業の中心には、「歴史のテクスト」をもとにした「見えづらかった何ものか」(禁忌的本質)のあぶり出しがあるように思われる。震災後の彼の作品は、散発的に原発事故を作品のモチーフに据えているものが見られるが、本作もその一つであろう。歴史は既に成されてしまった事象などではなく、現在進行形の私達の生活そのものなのだ。

2015年6月29日月曜日

【俳句新空間No.2】  神谷波の句――いきものたちと人間の時間 3 / 佐藤りえ


茅の輪くぐる宇宙遊泳の気分 神谷波
「夏越しの祓」の茅の輪のこととして読んだ。正しい作法に則ったくぐり方は、輪を中心として寝かせた8の字を描くようにまわるもので、地面に残る足跡はメビウスリングの様になる。神妙になって出入りを繰り返すうち、精神が逸脱していくような高揚感に包まれた様子がうかがえる。

2015年6月26日金曜日

【俳句新空間No.2】  神谷波の句――いきものたちと人間の時間 2 / 佐藤りえ


潜く鳰子守の鳰と分担が 神谷波
水鳥の世界でも家事分担があるのだろうか。もめたりすることもあるのだろうか。鳰は特にひなを背中に乗せて運ぶことがあるので「子守」に見えること請け合いである。潜ったほうは餌を取る係だろうが、雌雄でなく役割で言われているところが人くさい。

2015年6月25日木曜日

【俳句新空間No.2】  神谷波の句――いきものたちと人間の時間 1 / 佐藤りえ




名所の木陰にねむる通し鴨 神谷波

どこか名だたる場所を訪ね、ふとした木陰に眠る鴨を見た情景。鴨にとっては名所も名勝もないことだろう、水辺が保全されるなどして人が容易に近寄れないようなこともあるし、ならではの安全さを選んでそこにいるのかもしれない。通し鴨の束の間の休息に気づくのは、よそ見の楽しさのようでもある。

2015年6月23日火曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 2 / 仲寒蟬


育ちすぎたる病院の熱帯魚 津高里永子 

人を食ったような二句目。この病院の職員は熱帯魚を可愛がるあまり餌をやりすぎたか。それにしても場所が病院なので、具合の悪そうな患者さんの中にあって熱帯魚だけが健康そうに見え、皮肉っぽくておかしい。

2015年6月22日月曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 1 / 仲寒蟬



緑蔭にさがつて画布の木々を見る 津高里永子
連作では最初の数句が大事。その意味ではぐっと惹きつけられる始まりだ。絵を描いているのは作者だろうか、それとも絵を描いている人のすぐ近くにいるのか。いずれにせよ描き手は木々を描いているようである。全体を見渡すために画布から遠ざかって絵と風景とを見比べているのだ。すると自然にその人の身体が緑陰に包まれてゆく。読者もともに緑蔭に、そうしてこの「友引」という連作の世界へ誘われてゆく。

2015年6月19日金曜日

【俳句新空間No.2】 前北かおるの句 /もてきまり


一時間時計をもどし街薄暑 前北かおる
「香港」という題がなければ、一瞬「えっ!」と思うのだが、なるほど香港時間は日本より一時間ほど遅いのだ。でも俳句って一句独立で読ませるので、この句はなかなかに不思議なテイストを持っている。外部=内部という世界観からか、作者は多作な写生派。その多作の中にコツンと日常の結界に言葉がぶつかる時がある。〈ぶらんこを捨てて帰国の荷を詰めに〉の「ぶらんこ」がそんな例だ。カシャと撮ったスナップ写真に作者さえ意図しない無意識の領域の小道具がバッチリ映る面白さがある。(尚この詳細は『断想』関悦史「ロータス25号」参照の事)

2015年6月18日木曜日

【俳句新空間No.2】 仲寒蝉の句 /もてきまり


品なしと鯰が泥鰌笑ひけり 仲寒蝉
泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 耕衣『悪霊』〉の本歌取りである。が、観察眼の効いた皮肉な表現がたまらなくうれしい。実は鯰も泥鰌も句会仲間。で、おのずと鯰は太り気味なので動作が遅い。そこいくと泥鰌は感性的にもすぐ反応し軽い身のこなし(たぶん女性陣にも評判がいい)。そこで鯰氏は泥鰌氏のことを「品なし」と言って「笑ひけり」。この「けり」が物語の虚構性に一役かっていて妙。〈釣り人の夏を釣らむとしてゐたり〉の良質な俳味。〈浮巣から見ゆる自分がまざまざと〉と詠む作者の立ち位置はなかなかにクールなものだ。

2015年6月17日水曜日

【俳句新空間No.2】 神山姫余の句 /もてきまり


夏木立ルソーを蒼くぬってみる 神山姫余
眼前には夏木立がある。それを表現しようとすると作者の潜在意識にあるアンリ・ルソー(あの素朴派ともいわれた葉の一枚一枚に輪郭線を克明に画き、同時代の潮流とは遠く隔たっていた画家)の絵がせりあがってきたのだ。そしてルソーの絵の中の葉を作者が持っている内面的なパレットから「蒼」を選び出しぬってみるというほどの句意なのだが、夏木立を二重、三重の位相で表出しながら不思議なさやけさがある。他に〈若鮎の眼の中にある死界かな〉〈終戦記念日 無数の針が立っている〉等、異界から覗こうとする眼(まなこ)の持ち主としての姿勢を感じた。 

2015年6月16日火曜日

【俳句新空間No.2】 秦夕美の句 /もてきまり


水無月の汐留駅は黄泉の駅  秦夕美
確かに地下にある駅は、夜昼の区別なく煌々と照明がつき、まして雨の季節ともなると濡れた傘と雨に裾などを少し汚した人々が行き交う景は背景に雨が見えないだけに虚構の舞台のようで、なるほど黄泉のようだ。そんな中、自画像として〈ぽつねんと私雨の鉄砲百合〉異界にまぎれこんでぽつねんとしながらもあちこちと首をふり観察を怠らぬかのような鉄砲百合的痩身の作者を想像してしまう。そして〈波布と会ふたそがれ熱のままの指〉「波布」とはあの猛毒の蛇のことだ。この句には妖気ただようエロスがあり凡者には怖いほどだ。

2015年6月15日月曜日

【俳句新空間No.2】 大本義幸の句 /もてきまり



風が喰(は)む硝子の歯ぎしりブラザー軒   大本義幸
その昔、いぶし銀のような声の高田渡というフォーク歌手がいて「ブラザー軒」を歌った。〈♪東一番丁ブラザー軒♪硝子簾がキラキラ波うち〉その向こうには死んだ親父と妹がいるというような設定の歌詞だったと思う。〈高田渡的貧しい月がでる〉無欲天然のその声にはファンが多かった。そしてカメラは急にパンして作者の現在形に。〈わっせわせ肋(あばら)よ踊れ肺癌だ〉〈さらば地球われら雫す春の水〉私達もいずれは「雫す春の水」なのだが、「わっせわせ」と自分の癌を皮肉な手つきであやし、句をむしろ明るい絶望に化けさせた。耕衣の言葉を借りて言えば自己救済と他己救済が同時になされている秀句だ。



2015年2月13日金曜日

登頂回望・号外編(その15) [福田葉子]  /   網野月を 



密会の兄者に淡き春の雪         福田葉子
一見、艶っぽい句にも思えるが、そうではないだろう。題は「反魂歌」であるので、この「密会」はシリアスなものである。作者にとっての「兄者」かどうかは不明だが、大変ごとに遭遇している「兄者」の熱を雪が冷ましているようだ。春の雪にそうした情緒が込められている。

「反魂歌」【俳句新空間No.2】 2014(平成二十六)年[新春帖]所収



2015年2月6日金曜日

登頂回望・号外編(その14) [夏木 久]  /   網野月を 


筑紫野のガソリンスタンド匂ひけり   夏木 久
「楽浪之思賀乃辛碕雖幸有 大宮人之船麻知兼津」と前書きがある。他の九句のもすべて万葉仮名?の前書きが付されている。筆者は万葉仮名を善く読まないが、同時に船はガソリンが燃料なのかも知らない。他に「サクラサクトキニハハハニチチモサク」「ぜつぼうはふかふかしをりはるともし」など、作者の強烈な個性を同じく強烈な言葉に移して表現している。永田耕衣に「自分ともう一人が理解すればよい」というような言葉があるようだが、将にそのような潔さの上に成立している句だ。そうした自己完結的な世界の中で、表現する内容と叙述の方法が研ぎ澄まされていくのを作者本人が楽しんでいるかのようである。

「古人昔日譚・一」【俳句新空間No.2】 2014(平成二十六)年[新春帖]所収