2015年12月25日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 22 】 墓のある景色  / 岡田一実


曾根氏との出会いは関西の現代俳句協会青年部の勉強会だった。芝不器男俳句新人賞を受賞された直後の勉強会で、勉強会前から会場は祝福モードが漂っていた。私はどんな方なのだろうと興味津々だった。勉強会が終わった二次会から三次会への移動のときにさりげなさを装って横を陣取って話しかけたところ、どのような話題にもにこにこと応じてくださって、気遣いのある温厚な人柄が印象的だった。

『花修』を繙くとまず「墓」を題材にした句に惹かれた。

墓標より乾きはじめて夜の秋 
夕焼けて輝く墓地を子等と見る 
秋深し納まる墓を異にして 
霾るや墓の頭を見尽して 
墓場にも根の張る頃や竹の秋

墓を詠んで墓の暗さがない。そこにあるのは墓への親しみであり安らぎである。濡れた墓が乾き始める造形としての美しさ、様々な形の墓が並び輝く墓地を子等と眺め遣る優しい切なさ、死ぬときは違う墓に入るというしみじみとした諦観、黄砂に煙る最中の墓への執着、墓場とその他を分け隔てることなく根を張る竹の生の営み。どの句も実に魅力的である。
『花修』には「死」そのものを詠んだ句も多いがその世界観は重なるところもありつつより多様である。

くちびるを花びらとする溺死かな
 
快楽以後紙のコップと死が残り 
夕ぐれの死人の口を濡らしけり 
我が死後も掛かりしままの冬帽子 
死に真似の上手な柱時計かな 
桜貝いつものように死んでおり 
雨が死に触れて八十八夜かな 
金魚玉死んだものから捨てられて 
萍や死者の耳から遠ざかり 
しばらくは死人でありし箒草 
猫の死が黄色点滅信号へ 

観念としての死への憧憬、現実の死へのドライな対応、弔いに際しての叙情、死の美しさ、死の容赦なさ、そういったものが織り交ざり死の多面性を捉えようとしている。
死にまつわることを描くことで生もまた見えてくる。観念的思考の饒舌さは作者によって具現化され沈黙が訪れる。それによって読者は根源的な思索へと導かれる。

闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん

『花修』の末尾を飾る句である。氏は今後も先の見えない暗闇の中で感覚を鋭敏に保ちながら本質や根源を照らすべくひとつひとつ火を焚いてゆくだろう。
今後が非常に楽しみである。


【執筆者紹介】


  • 岡田一実(おかだ・かずみ)

1976年生まれ。「100年俳句計画」賛同、「らん」同人、「小熊座」会員。現代俳句協会会員。句集に『小鳥』マルコボ.コム『境界―border―』マルコボ.コム。共著に「関西俳句なう」本阿弥書店

【曾根毅『花修』を読む 21 】 たどたどしく話すこと / 堀下翔



曾根毅の句について書こうとしているのだが、この人の句にいつもまとわりついている奇妙な言葉の手触りを、はたして正確に言い得ることができるだろうかと、考えだすと、とりとめがない。

とりそぎ、

薄明とセシウムを負い露草よ    曾根毅『花修』深夜叢書社/2015

の句を頭にうかべ、これはやはり曾根毅の『花修』に通底する言葉づかいで書かれているよなあ、と思う。そんなところから始めてみる。漢語・外来語・和語という質感の異なった三つの名詞がどうにかバランスを取ろうとしているこの句を、まずひといきに読みくだしてみると、そこに、微妙に言葉の角が落とされていないような、表現が粗暴であるような印象を覚える。

一句の真ン中に置かれる「セシウム」という単語が、生硬で、忽然としていて、「薄明」「露草」という他の名詞と並べたてられると、異物めいた感じを読者に与えるのが、まず一つにはある。「セシウム」というと、時事の言葉で、詩語としてはもとより、われわれの生活の上にあってさえ、いまださほど多くの人の手を経ていないので、どうしても他の、われわれが普段触り慣れた言葉とは、うまく響かない。

だけれども、この句がうち隠している言葉のこなれなさは、「セシウム」という名詞の性質にのみ立脚しているのではない。こんどは句の骨格、つまり、名詞どうしがどのように結びつき合っているのかという点を見てみる。

問題は「負い」と「よ」の対応にある。

「よ」というと、言葉を遠くに投げて、それをもって言葉の響きとするような間投助詞で、上五・中七・下五のいずこに置かれるかによって働きは異なろうが、下五にあっては、まず一つには、ずらずらと連なる十七音全体に接続し、一句に流れる一筋の勢いを引き受け、大きな詠嘆を生むもの、もう一つには、中七まででいったん弱い切れが入り、一呼吸置いたあと、下五の四音ぶんが「よ」に掛かる、すなわち、「よ」の圧力を短い単語が独占し、さながら下五の言葉のイメージが異様に輝き、それが感動の中心として声高に語られているような効果を生むものとがある。

曾根の掲句は中七の末尾が「負い」と、連用形になっている。句意としては、「薄明」と「セシウム」とを「負」っているのは、ひとまずは「露草」なのだが、韻文の中で連用形を用いると、意味の上では結びついていても、表現上は、すこし切れた感じが出るので、先の分類でいえば、後者にあたる。この〈下五の「や」〉型では、下五に大きな負荷がかかるほか、中七から下五にかけて、前の言葉から次の言葉へうつるときに、時間的なマが生まれて、そのマに静謐さが生じたりもする。この句の場合も、中七ののちに一瞬の無言があるので、下五の名詞の現われによってその緊張が解かれる安堵に、「露草」という言葉のかそけさもひとしおとなる。

だが、この句の言葉どうしの結びつきは、上記の効果を最大に引き出しては、実はいない。〈薄明とセシウムを負い露草よ〉は、何度くちずさんでも、何度くちずさんでも、どうにも言葉の坐りが悪いような、述べ方の反射神経が鈍いような気がしてならない。その理由は、「負い」に「て」がないことではなかろうか。「て」というと、接続助詞であり、付属語であり、だからもちろん自立語である「負う」や「露草」とは明確に区別され、そうであるがために、もしここに「て」が接続されていたとしたら、「負い」と「露草よ」とのはざまにある時間的なマは、はっきりとしたシルエットを持っていただろう。だが、ここに「て」はない。「負い」の「い」という活用語尾によって切れている。動詞の連用形はいきもののように次の動詞を待つ。明確な切れとなりきれぬまま、なまなまと、「負い」は「露草よ」に隣る。結果として、中七から下五にかけて、言葉どうしはきびきびとした脈をうしない、言い難い読後感を湛えている。

曾根の句は、こんなふうに、きびきびとしていない。日本語が少しへたな感じがする。

くちびるを花びらとする溺死かな

の「―をーとする」に見られる、説明っぽさ。

水吸うて水の上なる桜かな

の「―てーなる」に見られる、言葉の流れの向きのばらつき。

その、一句ずつが語られるときのたどたどしさが、曾根の句を決定的に支えているものだ。情感と表現は表裏一体である。うれしい歌はうれしく歌い、かなしい歌はかなしく歌ってこそなのである。たどたどしい曾根の句を読むと、ああ、現代ってこんな感じだったな、と思う。奇妙であいまいな現実の生きごこちをおぼろげに考えながら、自分に言えることと言えないことの選別もうまくできないままに話し出してしまう、いまがそんな時代であったことに『花修』は思い至らせてくれるし、何十年かしてもう一回読みなおしたときにもやっぱり、ああ、そうだったなあ、と思い出すことができるような気がするのである。



【執筆者紹介】

  • 堀下翔 (ほりした・かける )

1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。

2015年12月18日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 20 】 きれいにおそろしい / 堀田季何



曾根毅の第一句集『花修』を読み、原発事故や戦争といった現代社会の負の側面を詠む仲間がまだいることに強く勇気づけられた。

そういった素材の面でも曾根毅はその師である鈴木六林男を継いでいると云える。六林男の句のような生々しさ、不気味さ、迫力にやや欠ける分、もう少し言葉寄り、観念寄りである毅の句はかわりに「きれいさび的な怖ろしさ」という魅力を獲得している。毅の句はひたすらに美しく、エロやグロといった類とは無縁である。しかしながら、言葉と観念の操作が真骨頂に達した時、毅の句は禍々しくかがやき、六林男の句にも太刀打ちできる域に達する。

そういう意味で、集中、特に言葉が重層的に作用する句に惹かれた。

鶴二百三百五百戦争へ

数字の増加は、「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に」(高濱虚子)、「牡丹百二百三百門一つ」(阿波野青畝)、「筍や雨粒ひとつふたつ百」(藤田湘子)といった先行句があるので、用法が確立されたレトリックの一つとして使っていると思われる。実際、この句で注目すべきは数字の増加でなく「鶴」の多義性である。

桃の花までの逆立ち歩きかな

「桃の花」からユートピア的な桃花源(桃源郷)や西王母の桃園を連想した。いずれも不老不死かつ平和の象徴である。そこまでの逆立ち歩き、一向に到達しそうもない、いや、到達できずに死ぬであろう。それでも逆立ち歩きを続けて理想郷を目指すのだ。

玉虫や思想のふちを這いまわり

思想という形而上のものに、玉虫が這いまわるふちという形而下の属性を持たせ、思想そのものを形而下に引きずりおろしているのか、それとも、玉虫を形而上のものに昇格させているのか。「玉虫」「這いまわり」の象徴性が効いている。

影と鴉一つになりて遊びおり

「寒鴉己が影の上におりたちぬ」(芝不器男)の本歌取りだと思われる。降り立ったのち、鴉が地上を歩き回ったり跳ねたりしながら、その鴉につかず離れずの影と一体化しているように遊ぶ、という解釈が常識的であろう。しかし、個人的には、己が影の上におりたった鴉は、そのまま足から影に吸い込まれ、やがて一体化し、遊びはじめ……といった解釈の方に惹かれる。いずれにせよ、不器男句と違って、毅句では「鴉」や「影」が象徴性を帯びている。

佛より殺意の消えし木の芽風

「佛より/殺意の消えし木の芽風」という解釈も可能だが、「佛より殺意の消えし/木の芽風」という解釈で読んだ。佛(仏)より殺意が消えた、ということは佛に殺意があったということ。衆生を救うべき佛に殺意があるという発想には一読驚くが、佛の存在理由を改めて考えてみるとこの発想は意外にも腑に落ちる。「木の芽風」も意味的にリンクしていて効いている。

手に残る二十世紀の冷たさよ

梨の銘柄と前世紀の時代を掛けている、洒落た言葉遊びの句。もちろん、内容は深刻であり、「手に残る」「冷たさ」が少し前に終わった二十世紀に少しでも生きていた実感を総評している。二十二世紀に別の俳人が二十一世紀を形容した場合、同じような実感になるのだろうか。

ロゴスから零れ落ちたる柿の種

形而下の柿の種は、言葉(ロゴス)を発した口から零れ落ちたのであろう。形而上の柿の種は、その言葉(ロゴス)からそのまま零れ落ちたのであろう。柿の種とはどういった性質のものであろうかと考えながら、聖書の「創世記」及び「ヨハネによる福音書」の第1章を読んでみると慄然とする。

春すでに百済観音垂れさがり

丑丸敬史が「花は笑う」という文章で提示した解釈にほぼ賛同する。加えて、「春すでに/百済観音垂れさがり」と読むのが普通であるが、「春/すでに百済観音垂れさがり」と読むと更に不気味である。

鶏頭を突き抜けてくる電波たち

われわれの肉体を日々刻々と突き抜けていく億兆の携帯端末メッセージ等の電波を考えると、なかなかおぞましい。肉体のあらゆる部分を痴話喧嘩の会話や殺人予告のメールが貫通していっているのだ。自分で通話したりする場合など、電波は頭を直撃している。それだけでなく、(ゲーム機器、テレビ、パソコンを含む)電波を発する機器の普及、蔓延により、多くの国民が思考力を奪われている、という事実も想起される。掲句の「鶏頭」は花の名前でありながら、鶏並みの脳を持った愚民の頭でもあり、鶏頭の花のような血の色に染まった国や組織の頭領(ヘッド)でもあろう。

祈りとは折れるに任せたる葦か

「祈」と「折」という字の類似に着目した句。右側の旁が「斧旁」であるところも効果的。「をりとりてはらりとおもきすすきかな」(飯田蛇笏)といった句やパスカルが『パンセ』で述べた「人間は考える葦である」(正確な訳は「人間は一茎の葦にすぎず、自然界で最も弱きものでありながら、それは考える葦である」といったものであるらしい)という箴言、聖書「イザヤ書」第42章に出てくる「傷ついた葦を折ることなく」等を下敷きとして句を読むと味わい深い。信仰や救済についても考えさせられる。


【執筆者紹介】

  • 堀田季何(ほった・きか)

「澤」「短歌」各同人。歌集『惑亂』

【曾根毅『花修』を読む 19 】 彼の眼、彼の世界 / 仮屋賢一




なぜ、彼――曾根毅氏は俳句を選んだのだろう。

鶴二百三百五百戦争へ
この国や鬱のかたちの耳飾り
佛より殺意の消えし木の芽風
憲法と並んでおりし蝸牛
手に残る二十世紀の冷たさよ
山鳩として濡れている放射能
日本を考えている凧
秋霖や神を肴に酒を酌み
十字架に絡みつきたる枯葉剤

 生物も無生物も、物も事も、実像も虚像も抽象も具象も現象も本質も……彼の眼にはまるで違いなく映る。

殺されて横たわりたる冷蔵庫

擬人でない。

くちびるを花びらとする溺死かな

比喩でもないし、見立てでもない。彼にとっては、歴然とした事実のありのままの描出。

原子まで遡りゆく立夏かな

彼には原子が見えている。意図的でなく、原子まで遡れるのが彼の眼。

彼に評価を与えるとすれば、それは文章表現の妙に与えられるものではなく、彼の眼そのものに与えられるべきであろう。

 それでは、彼の世界の秩序を保っているものは? それは、ことば。彼の世界の要素は、名前を与えられ、あるいは、ことばで描出され、それによって理性的に把握され得る。名前がありさえすれば、ことばで描出できさえすれば、それ以上に個々の要素が区別される必要はない。

薄明とセシウムを負い露草よ
燃え残るプルトニウムと傘の骨
原子炉の傍に反りだし淡竹の子

震災詠、なのだろうか。このように作品として描出された契機にはもちろん震災があるだろう。一方で、特別な意図をもってして震災を詠ずるという姿勢があったようには思えない。作品として描出されたのは、ただ彼の眼前に存在していたから。震災詠、と特別取り立てるのは、ナンセンスなことである。

さて、いよいよ。なぜ、彼は俳句を選んだのだろう。

滝おちてこの世のものとなりにけり
影と鴉一つになりて遊びおり
体温や濡れて真黒き砂となり
秋風や一筆書きの牛の顔
滝壺や都会の夜に埋もれて
暗室や手のぬくもりを確かめて

おそらく。彼の世界は十七音で十分だった。そして、自らのものの眺め方、自らの呼吸、そういったものが俳句の型やリズムと響きあったのだろう。彼は、俳句で表現することを選んだのではない。自分の描出の方法が、たまたま俳句と類似していた。そのように思えてならない。

 『花修』という句集は、俳句の作られた時系列で並んでいる。読者として純粋に作品を楽しむなら、いつ作られたかなんてどうでもいい、というのも本音なのだけれども、見方を変えれば、この句集は作者の半生を描いた自伝のようにとらえることができる。この句集については特に強くそう思える、というのも、句集たった一冊の中であるにもかかわらず、彼の作品の変化が伺えるのだ。そしてその変化の契機に、東日本大震災というものがあることを否定することが出来ない。早い時期では、「俳句として作品を作っていた」彼は、いつしか自分の眼を信じるようになった。

祈りとは折れるに任せたる葦か

 もしかしたら、自身の独自の型を作ろうとしているのではないだろうか。一度俳句から離れ、自由になり、そして俳句の世界に戻ってきた。そんな軌跡を、彼は辿っているのかもしれない。

繋ぎ止められたるものや初明り

なぜ、彼は俳句を選んだのか。それは彼が、俳句に繋ぎ止められているというだけのことなのかもしれない。自分が俳句に繋ぎ止められていることを知った彼は、これからどのような俳句を作っていくのだろうか。それは、これから先のお話。

『風姿花伝』から採られたというタイトル『花修』――「花」を修める、というのは、俳句に対する彼のこれからの決意を表したものなのかもしれない。




【執筆者紹介】

  • 仮屋賢一(かりや・けんいち)

1992年京都府生まれ。「天下分け目の~」の枕詞で有名な天王山の麓に在住。関西俳句会「ふらここ」代表。作曲の会「Shining」会員。
現在、【およそ日刊・俳句新空間】で「貯金箱を割る日」と題した日替わり鑑賞執筆中。

2015年12月11日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 18 】 思索と詩作のスパイラルアップ  / 堺谷真人



曾根さんが「花曜」に入会した2002年、主宰の鈴木六林男氏が第2回現代俳句大賞を受賞した。大阪の天王寺都ホテルで開かれた祝賀会は壮観であった。俳壇関係者のみならず、小説家や外国文学研究者など多彩なジャンルの錚々たる知性が顔を揃えていたのである。

特に印象的だったのは今年93歳で他界した鶴見俊輔氏。『思想の科学』を創刊し、ベトナム反戦運動の先頭に立った「行動する哲学者」がなぜ招かれていたのか。無論、この日の主人公である鈴木氏が多年各界人士と育んできた幅広い交友の結果には相違ないが、俳句関係の席でよもや高名な哲学者と親しく酒杯を挙げようとは夢にも思わなかった。

同時に筆者は少し冷めた見方もしていた。「どや、わしはこんなごつい人らとも付き合いがあんねんで」という鈴木氏の素朴な友達自慢を感じたからである。

それから13年たって曾根さんの『花修』が世に出た。「あとがき」には

  句集名は、世阿弥の『風姿花伝』第六章の名から拝借しました。初学時  
  代に学んだ俳誌「花曜」の花、その修学期間の思いを込めています。先 
  師・鈴木六林男からは、基本を十年、急がば回れと教わりました。
とある。至極簡潔な書きぶりだが、曾根さんが亡き師の教えをしっかりと胸に刻んで俳句と取り組んで来たことが分かる。

さて、その『花修』の作品で、今回筆者が注目したのは次の三句である。

玉虫や思想のふちを這いまわり
曼珠沙華思惟の離れてゆくところ
老茄子思弁のごとく垂れてあり
一句目。曖昧に煌めく羽根を持ち、不意にどこかに飛び去ってしまいかねない予測不可能性を秘めた玉虫。人はその玉虫のような言葉に幻惑され、「縁」からの転落や「淵」への沈淪というリスクを敢えて引き受ける生き物なのかもしれない。

二句目。どこか幾何学的、人工的な匂いのする曼珠沙華には屹立する宇宙樹の面影もある。その鮮烈な赤を見た瞬間、思惟する主体から思惟だけが静かに剥がれてゆくような奇妙な感覚に襲われたのだ。

三句目。紫紺にうっすらと銹色が混じり始めた初冬のひね茄子。あたかも自己の存在そのものに倦んだかように垂れ下がる姿からは、不毛な思弁に疲れた魂の孤独が滲み出ている。

これらの作品で目を引く「思想」「思惟」「思弁」はいずれも高度に抽象的・概念的な語彙であり、本来、俳句表現との親和性が高いとは言い難い。「玉虫」「曼珠沙華」「老茄子」といった特徴的な色彩とくっきりした輪郭を持つ具象物を配合することにより辛くも俳句として成立しているものの、実はセンターラインぎりぎりの問題作なのである。

曾根さんは以前、まるで自動書記のように大量の俳句が「降って来た」体験について語ってくれたことがある。あくまでも推測に過ぎないが、「思想」「思惟」「思弁」は、推敲を重ねる過程で取っ換え引っ替え試着した言葉の中から選ばれたものではなく、「降って来た」句の中に最初から入っていたのではないか。もしそうだとすれば、曾根さんの無意識は何故これらの言葉を選択したのであろうか。

筆者はこう考える。きっと曾根さんには俳人のあるべき姿として思索と詩作という二つの精神的営為がスパイラルアップしつつ互いに高みを目指すという循環構造がイメージされているのだ。Aならんと欲すればBならず、Bならんと欲すればAならずという二律背反の関係ではなく、思索と詩作は
両々相俟って作家主体を豊饒へと導く。そんな俳句観が「思想」「思惟」「思弁」という普通の俳人なら思いつかない、あるいは敬遠する言葉を呼び寄せ、かつ最後まで捨てさせなかったのだと思う。
冒頭のシーンにもどる。

鈴木氏が受賞祝賀会の場に多彩なジャンルの名士を多数招いたのは単なる自慢ではなく「俳人は俳句だけ見とったらあかん」というメッセージを「花曜」の弟子や俳壇関係者に伝えたかったからかもしれない。鶴見氏がそこに座っているだけで「自分の頭で考え抜いた思想を持たなあかん」「思想と生きざまは別々のもんやない」という強烈なメッセージが発信される。祝賀会は端倪すべからざる俳人・鈴木六林男が仕掛けた教育プログラムの一環でもあった。

曾根さんには先師の遺訓のエッセンスをきちんと継承した上で更に突き抜けた世界を見せてほしいと切に願う。分厚い思索や思惟の岩盤を透過して磨き抜かれたポエジーの清冽な湧出を心待ちにしている。

                                  
【執筆者紹介】
堺谷真人(さかいたに・まさと)
1963年、大阪生まれ。「豈」「一粒」同人。現代俳句協会会員。

【曾根毅『花修』を読む 17 】  おでんの卵 /  工藤 惠



曾根さんとの出会いは、曾根さん自身は覚えていらっしゃるかどうか定かではありませんが、とあるメール句会の吟行でした。

第一印象は、ミステリアスな方。

そして、今もそのミステリアスな方という印象は、完全に払拭されてはいません。なので、今回は生きていくためには必要不可欠な「食材」を通して、曾根さんの生の姿に迫りつつ、彼の句を解剖していきたいと思います。

曾根さんの『花修』を拝読していますと、「食材」をテーマとした句は大別して三つのパターンがありました。

一番多かったのは、「食材」を何かを表現するための媒体としている句。

白菜に包まれてある虚空かな
おでんの底に卵残りし昭和かな
白桃や聡きところは触れずおく
明日になく今日ありしもの寒卵
晩婚や牡蠣に残りし檸檬汁
初夏の一人にひとつ生卵

一句目、白菜の句は、白菜の葉と葉の間にある空間を「虚空」と表現することで、現代人の心にある空虚を眼前に提示しました。聡きところは白桃のように柔らかなもの。晩婚は、牡蠣のエキスが残るコクのある檸檬汁のようなもの。取り合わすものによって、こんなにも鮮明なイメージを作り出せるのだ…五七五の力を存分に生かした句です。

卵の句は三句。それぞれに違う印象を生み出す卵の中で、一番共感したのはおでんの卵。私にとってのおでんの卵は大好きだからこそ、最後まで大切においていたのに、気づけば弟が横取りをして食べていたもの!それでもなお、大切なもの、お気に入りのもの、新しい服は最後まで、あるいはいざという時のために大切にとっていたのだけれど、そんな昭和が少し遠い昔となった今は、年齢を重ねたからなのか、はたまた時代のせいなのか、大切な「卵」を最初に食べるようになりました。

次は、「食材」そのものを詠んでいる句。

玉葱や出棺のごと輝いて
手に残る二十世紀の冷たさよ
停電を免れている夏蜜柑

玉葱の輝きを出棺に例えるという斬新な手法。これから調理という方法でもって成仏させられる玉葱の美しさを際立たせました。二句目は、梨を「二十世紀」と表現し、その感触を明確に言葉で表現することで、人の歴史としての二十世紀に触感が生まれました。三句目の夏蜜柑は心がほっこりした句。なぜか夏蜜柑と小学生が私の中でつながり、たまたま学校にいたがために、自宅の停電を免れた幸運な夏蜜柑と子どもたちの姿が目に浮かびました。

最後は、「食べる」あるいは「調理する」行為の対象としての食材を詠んだ句。

暴力の直後の柿を喰いけり
罵りの途中に巨峰置かれけり
玉葱を刻みし我を繕わず
音楽を離れときどき柿の種

一句目、二句目とも男性独特の視点だと感じたのは私だけでしょうか。食べ物は生命そのものであり、心も豊かに幸せにしてくれるもの。平和の象徴です。それを暴力や罵りと取り合わせるなど、想像を超えた、驚愕の範疇に属する一句でした。

と、いろいろ書いてきましたが、やっぱり食の句は人間らしさを醸し出すものですね。玉葱をみじん切りしながらぼろぼろ涙を流し、両手は玉葱まみれなので、その涙を拭うこともできず、ただ、ひたすらにみじん切りをし続ける曾根さん。音楽を聴きながら、時々、「柿の種」を口に入れてリラックスする曾根さん。ごめんなさい。きっと、「柿の種」は果物の柿の種を詠まれているのでしょうけれど、私にはこれがどうしてもおつまみとして売られている、菓子の「柿の種」にしか読めませんでした。
左手に『花修』、右手に柿の種をつまみつつ、いやいや付箋を握りしめ、二度三度と読み返した句集には読むたびに新たな発見がありました。曾根さんはこれからどんな「卵」を産み、育てていくのでしょうか。

これからも、美味しい「おでんの卵」を期待しています。



【執筆者紹介】

  • 工藤 惠(くどう・めぐみ)

 「船団の会」所属。

2015年12月4日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 16】 曾根毅という男  / 三木基史



曾根毅の俳句には対象物への愛が欠落している。分かり易く言えば、明るさの感じられる作品はあっても、じんわりと滲み出てくるような温かさが無い。俳句に対象物への愛が必要かどうかの議論は、ここではどうでもいい。様々なものに関心を寄せ、それらを体内に取り込み、普遍的な言葉に変換して吐き出そうともがく。彼の場合、その過程で対象物への愛が削ぎ落とされてしまうのだろう。それが曾根毅の戦い方だ。

彼と私は同年代である。常に意識せざるを得ない存在であり、最も信頼する句友のひとりだ。近しい仲間たちからはその実力を認められながらも、永らく賞に恵まれなかった彼は、芝不器男俳句新人賞の受賞によって俳壇の明るみに躍り出ようとしている。檻に閉じ込められていた獣が解き放たれるように、第一句集「花修」を完成させた。これは逆襲の始まり。

立ち上がるときの悲しき巨人かな 
鶴二百三百五百戦争へ

逆襲の始まりにふさわしい冒頭の二句は、私が今まで出合った様々な句集をリセットする力を持っていた。しかし、彼の作風を冒頭の第一印象だけでカテゴライズすることは危険だ。何故なら、この二句は将来的に彼の代表句となりうる可能性を秘めているものの、私の知る彼らしい俳句とはかけ離れているからである。演出が過ぎるのだ。

滝おちてこの世のものとなりにけり 
きっかけは初めの一羽鳥渡る 
おでんの底に卵残りし昭和かな 
我が死後も掛かりしままの冬帽子 
曇天や遠泳の首一列に

私が思う彼らしい俳句とは、例を挙げればこれらである。技法として近景は少し観念的にぼかして、遠景は明確にくっきりと描き、余情に寂しさが残るような作品だ。

東日本大震災の影響を受けた俳句も、彼にとっては単なる社会的事実の記録ではなく、個人的体験の記憶。先師・鈴木六林男の作品や言葉に少なからず影響を受けている彼には、個人的体験の記憶が社会性を帯びた作品として生まれたとしても、それはごく自然な感覚なのだろう。

薄明とセシウムを負い露草よ 
桐一葉ここにもマイクロシーベルト 
燃え残るプルトニウムと傘の骨 
山鳩として濡れている放射能 
原発の湾に真向い卵飲む

彼が描くことによって暴かれた現代はとても寂しい。けれども、決して現代の寂しい景ばかりを切り取っているわけではなく、彼のフィルターを通った現代の景が寂しさを漂わせるのだ。

さくら狩り口の中まで暗くなり 
この国や鬱のかたちの耳飾り 
五月雨のコインロッカーより鈍器 
十字架に絡みつきたる枯葉剤 
山の蟻路上の蟻と親しまず

もちろん彼の俳句は現在進行形である。今後の彼自身の環境の変化によって、作風も変化していくかもしれない。これからもずっと注目していきたい。最後にここで挙げなかった共鳴句を。

水吸うて水の上なる桜かな 
元日の動かぬ水を眺めけり 
般若とはふいに置かれし寒卵 
獅子舞の口より見ゆる砂丘かな 
萍や死者の耳から遠ざかり 
祈りとは折れるに任せたる葦か 
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん


【執筆者紹介】

  • 三木基史(みき・もとし)

 1974年 兵庫県宝塚市生まれ、在住
「樫」所属 森田智子に師事 現代俳句協会会員
 第26回現代俳句新人賞 共著「関西俳句なう」

【曾根毅『花修』を読む 15】 見えざるもの / 淺津大雅




存在の時を余さず鶴帰る 
玉虫や思想のふちを這いまわり 
冬めくや世界は行進して過ぎる

存在、思想、世界。それらは、あるようでいて手掴みにはできないもの、見ることのできないものである。それらの様相をうまく言い当てることはなかなか難しい。しかし『花修』の句たちは、それを小気味よく言い当ててくれている。

特に俳句という形式において、概念語を句の中に入れ込んでしまうと、成功しにくい。だが、これらの句はそういう理屈臭さとは無縁のものである。

「思想」とやらが如何なるものか、あえて語らず、ただあくまで玉虫を描くための舞台装置としてぽんと置かれている。覚悟が必要な斡旋であろう。物体たる季語=見えるものと、非物体たる「存在」や「思想」や「世界」(という漠然とした広さ)=見えざるものとの出会いにより、衝撃が生まれている。それはまさしく精神的な感動を肉体的に味わうことである。

寒鴉内なる黙を探しけり 
万緑や行方不明の帽子たち

寒鴉に内なる黙を託す、いやそれどころか、ほとんど寒鴉とそれを見ている者とはひとつになって同じ呼吸をしている。行方不明なのは、帽子たちか。それを見ている者はどこにいるのか、いないのか。帽子はあるのか、ないのか、どのくらいか。気づけば読者は万緑という雄々しい背景に飲み込まれている。

季語と概念の緊張、という仕方が火花を生んでいるとすれば、自己と対象の同一化、ともいうべきこれらの句はまた違った毛色の面白さを孕んでいる。

不定形のものに対する確かな実感が、句を通して作者から読者へとシェアされる。作者の目を、五感を、あるいは第六感を通して、私たちはそれまで見えなかったものの世界の一端に触れることができる。


天高し邪鬼に四方を支えられ 
悪霊と皿に残りし菊の花 
薄明とセシウムを負い露草よ 
桐一葉ここにもマイクロシーベルト

ふと思う。「あるかもしれないけれど見えない」ということで言うと、我々の感覚からすれば、セシウムも悪霊も同じなのかもしれない。そして見えないからこそいろいろなことを考える。考えるということは、不安になるということである。見えないものに人は言いしれない恐怖を覚えるものだ。その恐怖は、ただ目を背けたくなるような質のものではなく、どうにかして暴きたい、という好奇心を伴わせるものである。それが句の魅力に繋がっている。

ことここに来て、挙げてきた句の中に見える作者の意図ははっきり見える。繰り返すが、実態としての季語に(あるいは自己に)なんらかの見えざるもの(無色透明な放射性物質や形而上のもの)を衝突、または仮託させ、触れる者として浮き彫りにしようという試みである。しかしそれは、飽くまで季語が主体である。だからこそ見えざるものへの道が開かれる。

五七五を器として、そこにある語とある語――ここでは季語とそれに見合う何らかの見えざるもの――を選んで放り込む、ともするとそういう風な作り方をしているように見えてしまいかねない。しかし、どうやっても隠しおおせない「手づかみ感」がこれらの句にはあるように感じられる。世界の重要な隠された部分を、詩によって掬い取ろうとする意志が見え隠れするところが、曾根俳句の魅力の一つかもしれない。


【執筆者紹介】

  • 淺津大雅(あさづ・たいが)

1996年生まれ。関西俳句会「ふらここ」。