2015年12月18日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 19 】 彼の眼、彼の世界 / 仮屋賢一




なぜ、彼――曾根毅氏は俳句を選んだのだろう。

鶴二百三百五百戦争へ
この国や鬱のかたちの耳飾り
佛より殺意の消えし木の芽風
憲法と並んでおりし蝸牛
手に残る二十世紀の冷たさよ
山鳩として濡れている放射能
日本を考えている凧
秋霖や神を肴に酒を酌み
十字架に絡みつきたる枯葉剤

 生物も無生物も、物も事も、実像も虚像も抽象も具象も現象も本質も……彼の眼にはまるで違いなく映る。

殺されて横たわりたる冷蔵庫

擬人でない。

くちびるを花びらとする溺死かな

比喩でもないし、見立てでもない。彼にとっては、歴然とした事実のありのままの描出。

原子まで遡りゆく立夏かな

彼には原子が見えている。意図的でなく、原子まで遡れるのが彼の眼。

彼に評価を与えるとすれば、それは文章表現の妙に与えられるものではなく、彼の眼そのものに与えられるべきであろう。

 それでは、彼の世界の秩序を保っているものは? それは、ことば。彼の世界の要素は、名前を与えられ、あるいは、ことばで描出され、それによって理性的に把握され得る。名前がありさえすれば、ことばで描出できさえすれば、それ以上に個々の要素が区別される必要はない。

薄明とセシウムを負い露草よ
燃え残るプルトニウムと傘の骨
原子炉の傍に反りだし淡竹の子

震災詠、なのだろうか。このように作品として描出された契機にはもちろん震災があるだろう。一方で、特別な意図をもってして震災を詠ずるという姿勢があったようには思えない。作品として描出されたのは、ただ彼の眼前に存在していたから。震災詠、と特別取り立てるのは、ナンセンスなことである。

さて、いよいよ。なぜ、彼は俳句を選んだのだろう。

滝おちてこの世のものとなりにけり
影と鴉一つになりて遊びおり
体温や濡れて真黒き砂となり
秋風や一筆書きの牛の顔
滝壺や都会の夜に埋もれて
暗室や手のぬくもりを確かめて

おそらく。彼の世界は十七音で十分だった。そして、自らのものの眺め方、自らの呼吸、そういったものが俳句の型やリズムと響きあったのだろう。彼は、俳句で表現することを選んだのではない。自分の描出の方法が、たまたま俳句と類似していた。そのように思えてならない。

 『花修』という句集は、俳句の作られた時系列で並んでいる。読者として純粋に作品を楽しむなら、いつ作られたかなんてどうでもいい、というのも本音なのだけれども、見方を変えれば、この句集は作者の半生を描いた自伝のようにとらえることができる。この句集については特に強くそう思える、というのも、句集たった一冊の中であるにもかかわらず、彼の作品の変化が伺えるのだ。そしてその変化の契機に、東日本大震災というものがあることを否定することが出来ない。早い時期では、「俳句として作品を作っていた」彼は、いつしか自分の眼を信じるようになった。

祈りとは折れるに任せたる葦か

 もしかしたら、自身の独自の型を作ろうとしているのではないだろうか。一度俳句から離れ、自由になり、そして俳句の世界に戻ってきた。そんな軌跡を、彼は辿っているのかもしれない。

繋ぎ止められたるものや初明り

なぜ、彼は俳句を選んだのか。それは彼が、俳句に繋ぎ止められているというだけのことなのかもしれない。自分が俳句に繋ぎ止められていることを知った彼は、これからどのような俳句を作っていくのだろうか。それは、これから先のお話。

『風姿花伝』から採られたというタイトル『花修』――「花」を修める、というのは、俳句に対する彼のこれからの決意を表したものなのかもしれない。




【執筆者紹介】

  • 仮屋賢一(かりや・けんいち)

1992年京都府生まれ。「天下分け目の~」の枕詞で有名な天王山の麓に在住。関西俳句会「ふらここ」代表。作曲の会「Shining」会員。
現在、【およそ日刊・俳句新空間】で「貯金箱を割る日」と題した日替わり鑑賞執筆中。