2015年7月31日金曜日

【俳句新空間No.2】 神谷波の句 /もてきまり


麦秋の赤信号を牛走る 神谷波          
本当にこんな光景がまだ日本にもあるのかも知れない。赤信号なんて人間がかってに作ったもので牛には関係ない。でも、なんとなくそこを察知して走る牛。おおらかさからくる観察のおかしみがある。〈夏の夜の時計の針が逆回り〉神谷波さんのお仲間が集まれば夏の夜など、時計の針が逆回りして、皆、〈往年の少年少女水芭蕉〉になってしまう。〈遠くまでいく蟻近場ですます蟻〉この句もコンピニですます蟻とこだわって遠くの老舗に行く蟻を思わせる一方、精神的に遠くまでいく蟻と近場ですます蟻を思わせて意味の重層性とおかしみを披露している。

2015年7月30日木曜日

【俳句新空間No.2】 ふけとしこの句 /もてきまり


誘拐現場十薬の花の浮き ふけとしこ
まず俳句現場ではあまり見かけない「誘拐現場」という言葉に「えっ」と思わせるものがある。俳句用語に作者の既成概念のなさを感じた。そして「十薬の花が浮き」とは襲ってくる人の恐怖心をアナロジーしていて、それを宙吊りにしたままの終わり方もうまい。〈包帯の伸びきつてゐる夏野かな〉この句もたぶん夏野を前に洗濯物として伸びきった包帯が干してある光景なのだろうが省略効果からか、夏野と伸びきった包帯がフェイドイン、フェイドアウトしてまるでヌーヴェルヴァーグの映画の出だしのような不安や不穏を内包した景を提出している。

2015年7月29日水曜日

【俳句新空間No.2】 堀田季何の句 /もてきまり


責問や金具に締めて氷掻き  堀田季何
幾つかサドマゾ的傾向の句を拾ってみた。手回し掻き氷機という責め具。「責問や」なのでここでの氷は口を割らない容疑者と見た。で、この氷(ピン)氏を金具でガチッと締めガリガリと削りあげるのである。赤いものが滲んだ自白の掻き氷が出来上がる。〈うつくしく牛飲まれゆく出水かな〉「うつくしく」と仮名表記の韜晦。「牛乳飲まれ」に錯視させんばかりの「牛飲まれゆく」と捻り「出水かな」と残酷な着地。確かに俳とは人偏に非なので、このくらい非情の眼も面白い。(いやん、嫌いという方もいるが)表現とは孤独なもの。マゾ的な句として〈うき草や楽園といふ檻の中〉〈未来にも未来あり糞ころがせる〉楽園という檻で永遠に糞ころがしでは、さぞやお辛かろう。

2015年7月28日火曜日

【俳句新空間No.2】 高橋修宏の句 /もてきまり


完璧な死体なるべし心太 高橋修宏
これは寺山修司の詩、「昭和十年十二月十日にぼくは不完全な死体として生まれ何十年かかゝって完全な死体となるのである」の本歌どり(間テクスト)であるが、「心太」がなんとも巧だと思った。少し濁りある誕生。つーと突き出されてからの一生は短くて人に喰われてしまう。その喰った人間の一生もそのように又短いことをアナロジーさせる。〈日は生母月は養母の水くらげ〉この句も宮入聖の〈月の姦日の嬲や蓮枯れて後〉の句の形と響きあう。
水くらげというアンフォルメルな生命の形は精神的不安定な表象と取れる。確かにおおくの生命は太陽が「生母」。月は、その精神的なものを育み「養母」という把握。

2015年7月27日月曜日

【俳句新空間No.2】北川美美の句 / 小野裕三



真夜中に撫ぜて励ます冷蔵庫  北川美美
すべてが動きを止めた夜の部屋で、それでもなにやらうめき声のような低い音を立てて動いているものがある。もはや背景音のようになってしまって、それが動いていることすらも日頃は意識しづらい。それでもたまに冷蔵庫のコンセントを抜いてみると気づく。本当に無音の世界がそこにはあったのだということに。そんなわけで、冷蔵庫はあまり注目を浴びない働き者である。けっこうけなげな存在なのだ。そんなけなげなモノと過ごす真夜中の時間。たぶん作者と冷蔵庫しかいない暗い部屋で向き合う、そんな一人と一個。人間と機械とで、心が通い合うわけもなく、それでも何かが通い合っているように見える、そんな深夜の密かな光景が面白い。

2015年7月24日金曜日

【俳句新空間No.2】木村オサムの句 / 小野裕三


囀の上のコサックダンス隊 木村オサム
囀のさわさわした感じとコサックダンスの動きの感じを重ね合わせた、と言えば確かにそうで、比喩としてはそんなに突飛な範囲に属するようにも思えない。だが、「隊」がついたことでぐっと映像的になる。腕を前に組んだ男の一団が、足を突きだしてリズミカルに踊る。異国語の掛け声なども掛けながら。しかも、「囀の上」ということだから、なんだか宙空のような、足場も頼りない場所で、男たちの一団はダンスを続けるのだ。そのことの映像的な面白さと言ったらない。

2015年7月23日木曜日

【俳句新空間No.2】夏木久の句 / 小野裕三



書初は遠い喇叭の水辺かな 夏木久
書初、喇叭、水辺。この三つにいったい何の関係があるのだろう。いろいろと連想を働かせてみるが、どうにもそれぞれに縁遠い関係としか思えない。いわゆる二物衝撃というのとも違う、なんだか不思議な間合いがそこにはある。書初と喇叭と水辺と、その三つのものの間にぽっかりと空いた、まるでポテンヒットを生みそうな空間。なるほど、これはつまりポテンヒット俳句なのかも知れない。三つのものの距離感を巧みに操って、読み手の意識を思ってもいなかった空白地点へと誘導する俳句。もちろん、誰もが成功するやり方でもなく、言葉に対するセンスのようなものがないと、この企みは成功しないだろうが。

2015年7月22日水曜日

【俳句新空間No.2】神谷波の句 / 小野裕三


遠くまでゆく蟻近場ですます蟻 神谷波
蟻は身近な虫で、公園などを探せばどこにでもいる。蟻のおおよその生態は大人なら知っているだろうが、でもそれはかなりの面で耳学問でしかなく、実際に蟻の巣をほじくりかえして長時間観察したことのある人はそんなにいないだろうから、実態はやはり謎に満ちている。働き蟻とは言われるけれども、実はその労働意欲には濃淡があって、その濃淡こそが、まさにどこにでもいる蟻の分布図を作っているのだとしたら。擬人法としてもなかなか高等な部類で、江戸にも通じる俳諧味がある句。

2015年7月21日火曜日

【俳句新空間No.2】 津髙里永子作品評 / 西村麒麟



育ちすぎたる病院の熱帯魚 津髙里永子
たくさん綺麗ね。えぇ、とっとも、元気そうで。そう言いつつも、心の底でわづかながら面白くない。あらいやだとその思いをまた消そうとする。熱帯魚は元気に、今日も増えたり減ったりしている。やたらに美しい魚め。

酔へるなりノンアルコールビールでも 里永子
そんなことはないだろうと思うけれど、この言葉はよく聞く。病の場合と単に酒が弱い場合とかあるが、両方悲しい。

リモコンの失せし冷房装置かな 里永子
これはよくある。そんな時にはただ煩い巨大な箱のような物で、もちろん、役に立たない。無用の用と言う言葉も虚しい。

2015年7月20日月曜日

【俳句新空間No.2】  中西夕紀作品評 / 西村麒麟

 

向かひ合ひボート漕ぐ父独り占め 夕紀
世の中の全ての父が羨ましがるに違いない。息子でも良いが、そう読むと少し甘い。やはり娘の方が句が美しい。父親とはボートを漕ぐ男の力と、娘が見るに足る面構えが必要なのだろう。娘にはそれが誇らしい。

混み合へる仏壇を閉ぢ夏蒲団 夕紀
そう言えば仏壇は混みあっている。よく見るあたり前なことだけれども、よく観察すると仏壇とは妙なものだ。パタンと閉じて、眠る。仏壇の中の人も眠る。

ゆふぐれを白扇の行く厳島 夕紀
源氏と平家では文句無しに平家の方が好きだ。源氏なら昼、平家ならゆかしい夕暮れか。白は平家で厳島は清盛の夢だ。扇とくれば那須与一め。それぞれの言葉から平家の魂がちらちらする。作者もきっと平家贔屓に違いない。

2015年7月17日金曜日

【俳句新空間No.2】 津高里永子の句 /もてきま


水音の絶え間なき駅避暑期果つ 津高里永子
「みなおとのたえまなきえきひしょきはつ」と読む。句の意味は自明。むしろ中七、下五に畳まれるように三つのki音の響き。それが避暑地の噴水のある駅の様子を思い起こさせて快い。漣のように寄せる一夏の思い出に耽り抒情詩の象徴のような水色のワンピースの女性が立っている。他に〈字のごとく打ちし蚊落ちて紙の上〉。

2015年7月16日木曜日

【俳句新空間No.2】 福田葉子の句 /もてきまり


脈拍はレゲエのリズム海晩夏 福田葉子
「レゲエのリズム」という捉え方がいい。夏も終わりの海での出来事。かなり疲れがでて脈拍が速くなってしまった経験。深刻でなくむしろ少し滑稽というかキッチュに近い味。〈死後のごと湯船に赤いバラ浮かべ〉この句もいい。白いバラでは付きすぎで、ダメ。黄色もピンクもいただけない。赤でないといけない。なんかここまで書いて作者の一側面がみえてきたような、だって「レゲエ」「赤いバラ」に次に披露するのは「恋」。〈茅花野に仮の一夜を恋わたる〉ひたむきな茅花のせつなさ。「仮の一夜を恋わたる」ああ、もう涙なくしては語れない。

2015年7月15日水曜日

【俳句新空間No.2】 堀本吟の句 /もてきまり


ポリフォニーひそむ水田つばくらめ 堀本吟
ここでのポリフォニーは間テクスト性詩学のルーツであるバフチンのポリフォニーかなと。(←Wikipedia知識〈汗〉)「ポリフォニーひそむ」とはつまりいろいろな声、考え方、感じ方がひそんでいるくらいの意味。じゃあ「水田」とは何?となるのだが、私は、ここは大胆に俳句現場の表象としての「水田」という事にしたい。日本特有の「水田」には春夏秋冬があるし、畦でしきられるブランドもあり、♪こっちの水は甘いぞ的要素があったりする俳句のトポスとしての「水田」。でね、吟さんが、水田を高く低く飛んで批評などを書いている姿「つばくらめ」。でも時に〈超新星死に体じゃあと叫び声〉のスランプも。このキュチュな表現も又、愛すべし。

2015年7月14日火曜日

【俳句新空間No.2】 神谷波の句 2 / 前北かおる


麦秋の赤信号を牛走る  神谷波
季題は「麦秋」で夏。初夏、新緑とともに麦は黄色に熟します。作者は、車に乗っているのでしょう。赤信号で停止していると、牛舎から放牧場への移動でしょうか、牛が横断しはじめたのです。牧場スタッフの誘導で、おしまいの方の牛は急がされて、走って渡っていきます。作者は、田舎ならではののんびりとした光景に半ば呆気にとられながら、牛たちを見送ったことでしょう。
 この句を一読した時には、インドあたりを思い浮かべても鑑賞可能かと考えました。けれども、「赤信号」を走らせて渡るところはいかにも日本的で、実はそれほど景の揺れる句ではないと考え直しました。

2015年7月13日月曜日

【俳句新空間No.2】  神谷波の句 1 / 前北かおる



照り雨に桐咲く能登の崖つぷち  神谷波
季題は「桐咲く」で夏。照り雨を降らせる空高くに桐の花が咲き、目の前には照り翳りする日本海が広がる、そんな能登の崖の上に作者は立っているのです。足下では、荒波が大きな音とともに砕け散っています。圧倒されるような雄大な景を、「崖つぷち」という口語の勢いも借りて力強く描いた一句です。同時に、近景の「桐咲く」という気品ある季題を掴まえることで、ひとまとまりの情景に仕上げてあります。作者の高揚した気持ちをそのまま詠い上げているようで、行き届いた写生によって読者を句の世界に導く周到な仕掛けが施されているのです。

2015年7月10日金曜日

【俳句新空間No.2】 佐藤りえの句 /もてきまり


奥よりも裏側である海酸漿 佐藤りえ
海酸漿を鳴らすのは意外に難しく、そう奥よりも舌の裏側で鳴らすのよというぐらいの句意なのだが、これは「奥」「裏側」という言葉が曲者で、ずばり言えば性的な意味で受け取る殿方も多いのではと思った。なにしろタイトルも「麝香」。作者はけっこう無意識にその領域をさらっと表出する。〈濡れている闇から帰り瓜を切る〉この句も男女の営みとしての「濡れている闇」から帰りと取れば「瓜を切る」の瓜がメロウな匂いを微かに放ち始める。攝津幸彦が密かに喜びそうな句。〈飽きられた人形と行く夏野かな〉この句の不思議さも妙。「飽きられた人形」とは作者の一部分である事は確かなのだが・・・。

2015年7月9日木曜日

【俳句新空間No.2】 中西夕紀の句 /もてきまり


昼顔に目覚めて口のにがきかな 中西夕紀
夏の午後、ちょっとうたた寝して目覚めてみるとあの昼顔の花になっていた。口がにがいから確かに私なのだけどと「変身」(カフカ著)の昼顔版と読むのはおおいなる誤読なのだが、そうとも読めてしまうシュールな表出。

波打つて大暑の腹の笑ひをり〉ステテコ姿の七福神の一人に似た老人が檜の縁台などで大笑いしている姿。なんといっても「大暑の腹」という把握が玄人。〈混み合へる仏壇を閉じ夏布団〉実家に帰省すると時に仏間に寝かせられるときがある。老母などは「先祖代々南無むにゃむにゃチーンッ!」と拝むのだが、確かに仏壇の中には「先祖代々」が入っているのでそうとう混み合っている。

2015年7月8日水曜日

【俳句新空間No.2】 網野月をの句 /もてきまり


野生種のような長女や山ツツジ 網野月を
「野生種のような」すてきな長女さん。と言っても、もう年頃だから親としてはとても複雑。山ツツジのあの朱色を好きな方は多いのでは・・・。〈五月病むかし甕割り今ガシャン〉こちらは長男の方?大学に入りたてはとかく五月病にやられます。むかしは親と口喧嘩などしてお気に入りのアンティークの甕など割ってくれた程度でしたが、今は電話かけてもろくに会話もしないで「ガシャン」なんです。はい、我が家もそうでした。他の印象深い句に〈かたつむり殻持ち運ぶ自衛権〉。

2015年7月7日火曜日

【俳句新空間No.2】 真矢ひろみの句 /もてきまり


ぼうたんの揺るるは虐殺プロトコル 真矢ひろみ
ぼうたんの百のゆるるはゆのやうに 森澄雄〉の本歌取りである。白牡丹の沢山咲いている景はお湯がふつふつと沸いているようなというほどの意味だが、むしろ句の意味は横に置いて、漢字「百」以外は仮名表記のシニフィアン(記号表現)の美として私は享受してきた。掲句の「ぼうたんの揺るるは」というシニフィアン(ここでも意味は重要ではない)は「虐殺プロトコル」だと云う。プロトコルとはIT用語で手順とか手続きのような意味だ。想えば大量のお湯が沸騰する景は怖い。そのサブリミナル効果も入って「虐殺プロトコル」。二〇一四年五月ウクライナのオデッサで二十一世紀とは思えないほどのネオナチによる市民虐殺があった事を思い出した。他にも共鳴句が多く〈国霊やコンビニの灯を門火とす〉等。

2015年7月6日月曜日

【俳句新空間No.2】 関根かなの句 /もてきまり


夏の夜の立入禁止といふわたし 関根かな
沈丁やをんなにはある憂鬱日 鷹女〉あるいは〈閉経まで散る萩の花何匁 池田澄子〉という句が示す通り、女性は周期的に訪れる悩ましい現象を抱えながら生きている。この句もそんな時の自分を茶化して出てきた句だ。「立入禁止」という言葉がとてもユニーク。〈優曇華に場所を移してよく眠れ〉そんな日は誰も来ない優曇華でよく眠るのがベストだ。〈元彼に似ているやうな飛蝗飛ぶ〉元彼≒飛蝗のポップな把握。〈軍艦の鮨はわけられないよ好き〉という口語。実に巧みな術者だ。〈太陽のちぎれて八月十五日〉の「太陽のちぎれて」というたった九音で昭和二十年八月十五日の全てを表現し得ている。なんびとも認める佳句だと思う。

2015年7月3日金曜日

【俳句新空間No.2】中西夕紀の句 2/ 陽美保子


  混み合へる仏壇を閉ぢ夏蒲団 中西夕紀
考えてみれば、この世よりあの世の方が余程混んでいるに違いない。たとえば、仏壇ひとつに自分と配偶者の両親の位牌を引き受けたとしても四つの位牌が入ることになる。なんとも狭苦しいことだ。せいぜい長生きをして、人口密度の低いこの世でゆっくり寝たいものだ。仏壇に比べ、夏蒲団が広々と涼しげに見える。

〈骨の音涼しく傘を畳みけり〉は、仏壇の句を読んだ後のせいか、「骨の音すずしく」まで読んで、骨壺を想像したが然にあらず。「傘」ときて楽しく裏切られる。

2015年7月2日木曜日

【俳句新空間No.2】中西夕紀の句 1/ 陽美保子



  父の日の暮れて影置く畳かな 中西夕紀
何の影とは言っていないが、物自体が重要なのではない。外の方が明るいような夕暮時、まだ灯りを点けぬ薄暗い畳に落ちる物影の趣が、昔の日本の父の趣に重なる。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出す。「われらは落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。」掲句の影にはこれと同じ閑寂がある。その閑寂は、そのまま厳格で寡黙な父の姿でもある。

2015年7月1日水曜日

【俳句新空間No.2】  高橋修宏の句 2 / 後藤貴子


日の沖へ向かう柩の中に瀧 高橋修宏
寓意的に読もうとする場合、渡海船がすぐ思い浮かぶ。補陀落上陸前に、無惨にも舟に進入してくる冷たい海水。あるいは近年の大型客船。個室にプチ瀧(シャワー)が備わっており、人前に姿を現す前はエチケットとしてプチ禊を行うことが一般的なので、そのように解釈することもできる。しかし、太陽は古来から信仰の対象であり、ことに日本は伊勢神宮など天照大神信仰が強く、穢れを嫌う神道の精神が一般化しているので、この句は日本人のメンタルの発露ととらえるのが適切か。