2016年12月30日金曜日

【俳句新空間No.3】真矢ひとみ作品評 / 大塚凱


  林檎植うこと穢土に子をもたぬこと
「植う」は連体形の「植うる」としたいところではあるが、林檎を植えることと子をもたないことの並列が抑制して書かれた作者の感情を伝える。それは淋しさ、切なさ、気楽さなどと言った単語では表せないいびつな塊であろう。「林檎植う」が繋ぐ原初からの生命のイメージだ。

  人に添ふ冥きところに雪降り積む
「人に添ふ冥きところ」とはどこであろうか。影法師か、ひょっとしたら、それはもっと内的な「冥きところ」かもしれない。雪は眼前のものすべてに降りかかる。人間の影にも、そして、こころの影にまでも等しく降り積もる。雪はその「冥さ」を弔うように、慰めるように清らかに白い光を放つのである。

  電波か魂か初空のきらきらす
初空はなぜきらめいているのか。「電波」と「魂」の交錯がそのきらめきであるのだ、と独断した作者の把握である。電波と魂、つまり物理の世界と精神の世界のものがひとつの空の下で飛び交っているというドライな空想が面白い。初空の明るさを分析的に想像する視点のユニークである。様々なきらめきを包み込む初空の大きさが見えてくる。

2016年12月23日金曜日

【俳句新空間No.3】堀本吟作品評 / 大塚凱


  蟻地獄臨月の身を乗り出すな
「蟻地獄」と「臨月」という言葉の衝突に惹かれた。他者の死を待つものと、他者の生を湛えるものとの対比が鮮やかだ。きっと蟻地獄を「覗く」程度の動作であろうが、「乗り出す」と大胆に表現したことで蟻地獄と人間のスケール比に不思議な狂いが生まれ、あたかも蟻地獄から人間を見上げているかのような視点すら感じられる。「乗り出す」という言葉の選択で既に句の面白さは十分に生まれているのだから、個人的には「乗り出すな」と述べてしまうよりも、臨月の身が蟻地獄に乗り出していると素直に描いた方がドライな詠みぶりで過不足ないと思うのだが、どうだろうか。

  堂々とででむし遅れ月は缺け
この句も「ででむし」と「月」のオーバーラップが面白い。「堂々と」「遅れ」ているという言葉の捻じれが巧みである。ででむしの存在感やある種の滑稽さも感じられるだろうか。缺けた月の動きがそのようなででむしのスピードと重ねあわされているかのようで、句に静謐さが満ちている。月もまた缺けながらも堂々たる光を放っているのであろう。作者の無聊なまなざしまでもが感じられる点に加え、珍しく夜のででむしが詠まれているという興もある。

2016年12月16日金曜日

【俳句新空間No.3】 大本義幸の句 / もてきまり


夕暮れがきて貧困を措いてゆく  大本義幸
「夕暮れ」の擬人化。「貧困」という観念の物質化に成功している。昼間は、人それぞれに生きるに忙しく、やれやれと一息つく夕暮れ時になるとなにやら佇まいの貧しさが気になるのである。あるいは人類の夕暮れ時、類としての貧困がどんと卓上に課題として措かれていく意にも取れる。時間的な遠近法といい、こうした句は作れそうでなかなか作れないものだ。他に〈ノンアルコールビールだねこの町〉日本中、どこへ行っても、やや安普請のノンアルコールビールふう町並が増えた。

2016年12月9日金曜日

【俳句新空間No.3】 神谷波の句 / もてきまり



久々に叩きをかける山眠る  神谷波
ここでは何に叩きをかけるのかが省略されていている事が面白い。最初布団に叩きをかけるのかなと思ったが、いや自分自身に喝をいれる意の顔に叩きをかけるかなとつぎつぎと想像してしまう。されど人が何をしようと「山眠る」。中七の「叩きをかける」の終止形と「山眠る」の二連続の「る」が句に強靭さを与えた。他句に〈初夢の鶴につつかれ覚めにけり〉そりゃあ、あなた、あの鶴の口ばしでつつかれたら起きてしまいますよ。しかし、その鶴は初夢の中のめでたき鶴で、良き目覚め。

2016年12月2日金曜日

【俳句新空間No.3】 網野月をの句 / もてきまり



火星人八手の花に隠れたり    網野月を

 この「火星人」という唐突さが面白かった。八手は葉が大きく日影好みの植生である。あの裏には火星人が手だけ隠せずに身を隠しているような気がして来た。そう、あのロボットの触針のような八手の花は火星人の手かもしれない。他に〈わたくしはMr.不器用日数える〉網野さんのおおらかさを想った。

2016年11月25日金曜日

【俳句新空間No.3】 佐藤りえの句 / もてきまり


ひとしきり泣いて氷柱となるまで立つ 佐藤りえ

 たぶん、若松孝二監督「実録・連合赤軍あさま山荘への道程(みち)」という映画が下敷きになって構成した二十句。一句独立の視点で読むと、この句が物語から離れても句として最も立っている気がした。「ひとしきり泣いて」という肉体性(生)から「氷柱となるまで立つ」という精神性(死)の隠喩が決まった。他句に〈霜柱踏み踏み外し別世界〉求心的な組織に、間違って入り込んでしまう悲劇。赤軍でなくても、いじめ学級やブラック企業、カルト等、どこまでも人間が抱え持つ闇というものなのだろうか。

2016年11月18日金曜日

【俳句新空間No.3】 福田葉子の句 / もてきまり


葱の鞭ときおり使う老婆いて 福田葉子
俳の象徴としての葱、それを用いての鞭。若い衆に使うのか自らに使う鞭なのか、たぶん両方に使っている。最近の老婆はとても老婆とは言えず、福田さんはもちろんのこと、金原まさ子さんはじめ、姿勢は良いしPCはこなすし、疲れた初老を凌ぐ。年を重ねることで世界の多様性に気付き自由になれる力というものがあるのではないかと最近思う。で、この鞭はけっこう痛い。他句に〈初蝶のかの一頭はダリの髭〉クールな銀の額縁に入れギャラリーに飾りたいくらい、おしゃれ。

2016年11月11日金曜日

【俳句新空間No.3】ふけとしこ作品評 / 大塚凱



  オリオンの腕を上げては星放つ
冬の澄明な夜空を見ていると、瞳にはオリオン座の、否、オリオンの姿そのものが浮き上がってくるように感じたのだろう。そのオリオンが腕を上げていると意識したとき、星座をなす星々の輝きが放たれた。本来は星が光を放つと述べるべきところを「星放つ」と敢えて強引に書いたこと、そして、オリオンの姿が浮かび上がるかのように感じられるさまを「腕を上げては」と表現したことが句のスケールを広げた。

常識に即して考えるならば、オリオン座の腕を表現する星を見つけたときにオリオンの「腕」を脳裏に描くのが素直な把握であろう。しかし、この句においては「腕を上げては星放つ」という逆転的かつ大胆な発想が魅力となっている。星の鋭い光とともに、その「腕」の力感がダイナミックに伝わってくる。

  雪の日を眠たい羊眠い山羊
雪の日には不思議な眠気を感じる。その静けさのせいか、あるいは体温が低下して疲労するからか。羊や山羊も雪を戴くかのようなその白い毛でからだを覆っているのかと思うと、いかにもあたたかそう。「眠たい羊眠い山羊」という措辞も頷ける。上五のさりげない「を」に技巧が光る。

2016年11月4日金曜日

【俳句新空間No.3】 中西夕紀の句 / もてきまり



土門拳亡し石炭の山もなし 中西夕紀
写真集『筑豊のこどもたち』を出した土門拳も今は亡く、またモノクロに映っていた石炭の山(ボタ山)も今はもう緑の山なのだが、土門拳と言えばモノクロ。石炭の山と言えばモノクロを想起させ、又、その述語で「亡し」「なし」と畳みかける技がすぐれて妙。他に〈彼岸から吹く北風もありぬべし〉子規、最晩年の〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉を遠く想う。子規(死者)のいる彼岸から吹く北風もあるだろうなぁというほどの意だが、彼岸から此岸へ俳句という現場に吹く北風は厳しい。

2016年10月28日金曜日

【俳句新空間No.3】 坂間恒子の句 / もてきまり



水鳥の副葬品のごとき声 坂間恒子
うーん、秀句なり。水鳥のあのいっときも整わない群れの鳴き声と遠い時代の副葬品が発見された時の(人骨の一部やら壺の破片やらがばらばらに赤土に現れた)光景とがオーバラップしたのだ。水鳥の声(音)を「副葬品」という景(絵)に転換させた感性がすばらしい。ごとき俳句はいちようにダメなんてことはない。そうしたタブーを乗り越えている。〈のぼる陽と我の真中の浜焚火〉二〇一一年の津波後を非情にも繰り返し「のぼる陽」(極大の赤)と内在化された言葉の「我の真中の浜焚火」(極小の赤)が拮抗していて緊張感ある一句を仕立てた。

2016年10月21日金曜日

【俳句新空間No.3】網野月を作品評 / 大塚凱



  こっちのとそっちのこがらしごっつんこ
こがらしという風には独特の、さびしい質量を感じる。春風や秋風と比べてその強さに大きな隔たりがあるのはもちろん、青嵐や空っ風のような勢いとも異なって、街を吹き渡る。こがらしは街全体に覆いかぶさる風というよりも、街とぶつかり、その中を突き進みながら研がれてゆくような荒々しさを感じるのだ。二つの筋になったこがらしがぶつかりあうひびき、「ごっつんこ」。口語表現の作品のなかにはときに稚拙さを感じさせるものが存在する一方、この句では「ごっつんこ」という擬態語が表現するこがらしの質量をストレートに読ませている。

  駱駝の頭は瘤より低い冬至の陽
そう言われるとそんな気がする。このニ十句作品においては海外詠の匂いがしないから、この駱駝は冬至の日の人気のない動物園などを思い浮かべればよいだろうか。しかし、この一句を読む限りでは、砂漠地帯の風物として読んだ方が「冬至の陽」のスケールが一層引き出されるような気がして惜しい気もする。歩むときなどは、駱駝の頭の方が瘤よりも低いのだろうか。冬至の陽を背景に、駱駝の頭、そして瘤がシルエットとなって目の前を通り過ぎてゆく。冬至の厳しさのなかに、駱駝は屹立しているのだ。

2016年10月14日金曜日

【俳句新空間No.3】 仲寒蝉の句 / もてきまり



民草のひれ伏す上を手毬歌 仲寒蝉
民草は民の震えるさま(おそれおののく)を、草に例えていう語。そのひれ伏す上を繰返される「手毬歌」。この手毬歌はピョンヤン放送、北京放送のようにも思えたが、ひれ伏すまではいかぬものの民草が萎びつつある某国のN□Kのようにも思えた。妙に怖い「手毬歌」。他句に〈若水を闇もろともに汲み上げぬ〉初詣の折に若水を柄杓で汲む。まだ明けやらぬので「闇もろともに」汲みあげた。この「闇」が戦前という闇に繋がらぬよう願うばかりだ。

2016年10月7日金曜日

【俳句新空間No.3】 秦夕実の句 / もてきまり



死者係御中こちら八手咲く  秦夕実
いくら長寿社会になれども、実際、七十歳を超えるとまわりに冥途へ発つ人が多くなる。そんな中、あちら様へ「死者係御中」と封書おもてに書いた。中の文面は「こちら八手咲く」つまりまだまだこちらで頑張る決意。季語「八手咲く」のみごとな使用例。題は「おさだまり」つまり「御」「定」で、最初の十句には「御」、あとの十句には「定」が兼題として入っている。冥途に発つ前に「御定(おさだまり)」ではあるが俳句でおもいっきり遊ぼうという隠し味。最後の句は〈冥府への定期便出づ木菟の森〉。

2016年9月30日金曜日

【俳句新空間No.3】坂間恒子作品評 / 大塚凱


  侘助のひらけば水は水を呼び
まさにちいさな庭の趣きである。侘助の傍になんらかの水の仕掛けでもあるのだろうが、それを「水が水を呼び」と書いた。その水に誘われるように水が、水音が流れてゆくのか。侘びの世界を流れる、一縷の豊かさである。「ひらけば」の技巧が句を繋ぎとめている。

  数え日の貌あらわれる大硝子
大硝子は窓、おそらく作者は窓越しにある家の中を一瞥しているところなのだろうと詠んだ。その家の者は大掃除をしているのかもしれない。「貌あらわれる」という表現に、その貌の動き様にとどまらず、作者のドキッとするような一瞬までが読み取れる。「顔」ではなく「貌」と書いたことも上手い。

  血を曳いて鴨現れる勝手口
鴨が現れるような場所であるから、自ずと沼地や小流れの傍にある疎らな家々、そのひとつの勝手口だろうと想像される。「血を曳いて」という表現が読者の注意を惹きつけるが、そんな哀れな鴨をドライに捉えているところに、作者のまなざしの尤もらしさを感じるのだ。「勝手口」という下五も即物的な力強さを感じさせる。

 〈葱剥けば白の疾走燈台は〉〈陽炎のなかの釦を食べに行く〉という冒険句もあったが、この一連においては掲句のような句柄の方が魅力的に感じられた。

2016年9月23日金曜日

【俳句新空間No.3】 ふけとしこの句 / もてきまり



成人の日硝子切る音どこよりか ふけとしこ
「硝子切る音」とは思わず耳を塞いでしまういやな音がするものだ。その音が成人の日にどこよりかすると云う。式典で市長がブチ切れ、騒ぐ新成人に「出て行きなさい!」と怒鳴ったニュースなどが記憶に新しいが、成人の日は祝日であるものの不穏な日。他句に〈日脚伸ぶ宗右衛門町に研師来て〉「日脚伸ぶ」という奥行きを与えられて「宗右衛門町(そえもんちょう)」「研師」という輪郭線の太い木版画のような一句。

2016年9月16日金曜日

【俳句新空間No.3】 堀本吟の句 / もてきまり



声のみをまじわらせおる花すすき 堀本吟
「花すすき」穂がでたすすきに出会うたびに、いにしえ人がすでに白髪となり老婆老翁となり群立っているように見える。中にはあの五百年生きている安達ヶ原の鬼婆もまじっているように思えるのは私だけだろうか。そこは、古語ともつかぬ声がかすかに聞こえる幽玄の世界。他句に〈その真ん中に空蝉の観覧車〉「その真ん中に」なので都心梅田ファションビルのあの真っ赤な観覧車か。観覧車のゴンドラを「空蝉」に見立てた吟さんの内的世界を想う。

2016年8月26日金曜日

【俳句新空間No.3】平成二十六年甲午俳句帖 [黒岩徳将]/東影喜子



飲めそうな飲めなさそうな清水かな 黒岩徳将
なんともとぼけた魅力のある一句。山道を歩いていて、なんだか空気も水もおいしい所に来たような気がする。さてこのあたりの水なら大丈夫なのではないか、いやまだダメだろうか。冗談めかしているようで、不思議なリアリティーのある句である。作者と一緒に山を歩いているような気分になる。

2016年8月19日金曜日

【俳句新空間No.3】平成二十六年甲午俳句帖 [高勢祥子]/東影喜子



仰向けや死にゆく蝉も眠る子も  高勢祥子
ものすごい並列である。仰臥、という姿勢の一致を認めてしまうこと、それを一つの作品の中で、ぽんと並べて見せること。俳句という詩形だからこそできてしまう有無を言わせぬ迫力がある。

2016年8月12日金曜日

【俳句新空間No.3】平成二十六年甲午俳句帖 [山田露結]/東影喜子


大きさの違ふ三つの枯野かな 山田露結
不思議な把握の句である。一度に三つの枯野を捉えることは難しい。上空から見ているのだろうか。しかしそれでは枯野の味が落ちてしまうような気がする。記憶の中の枯野と、眼前のそれとを比較しているのであろうか。それでは三という数字が引っ掛かる。親子三人で枯野を見ているというのはどうだろうか。幼い子の視界と大人の視界で、感じられる大きさも異なってくる。子には広大な枯野も、親には果てまで見渡せるかもしれない。そんな「三つの枯野」・・・・・・拡大解釈になってしまったかもしれない。とても惹きつけられた作品。

2016年8月5日金曜日

【俳句新空間No.3】平成二十六年甲午俳句帖 [杉山久子]/東影喜子


秋の蚊の脚のふれゆく広辞苑 杉山久子
秋の蚊から垂れている頼りない脚が広辞苑に触れる。やや力のなくなってきた飛行を見て、作者がそう感じたのかもしれない。広辞苑の印字を見つめていると、広大な海に迷い混んでしまったかのような気持ちに、ふとなることがある。秋の蚊のその後を、私は見たことがない。広辞苑に触れた脚は、この後どこに降り立ったのだろう。それともどこかで迷ったまま帰ってこないのだろうか。

2016年7月29日金曜日

【俳句新空間No.3】平成二十六年甲午俳句帖 [浅津大雅] /東影喜子



みづうみの底に日あたる涼しさよ 浅津大雅

湖の底は、何かそれだけで詩情を感じさせる題材である。底が見えるのだから、よほど澄み切った透明度の高い水なのだろう。幾筋もの日矢が差し込み、揺らぎながら夏の時間が過ぎていく。いつまでも見つめていたくなるその瞬間、自分の体も湖底にいるかのようにひんやりと涼しく感ぜられる。今年の夏も遠くに行きたいと思わされた作品。

2016年7月22日金曜日

【俳句新空間No.3】前北かおる作品評 / 大塚凱


 新年の季語は交えず、雪に降り積もる日光・湯西川の冬景色を素直に詠った二十句作品である。写実的な句の数々であった。

  河原石まるまる太る冬日かな
石がまるまるとしている、というだけではなかなか一句には成りえないが、「太る」という一語が句の主眼を成した。摩耗してゆく運命を逃れ得ない河原の石から「太る」という言葉を得たのは、まさに冬日のぬくもりのなかであったからだろう。ゆたかな冬の陽射しを吸うかのような石の有り様、無機物の物体にそこはかとない「いのち」を感じているような作者のまなざしが感じられて眩しい。

  踏む人のなくて汚き霜柱
霜柱が踏みしだかれている無残な光景はしばしば目にするところだが、それを逆転的に発想した。踏む人のない全き霜柱はうつくしいものだと思われているが、その霜柱も土の汚れを免れ得ない。そんな霜柱の一面を切り取っている。

  漆黒の水に蓮の枯れ残る
冬の水の昏さを「漆黒」とやや大袈裟に表現し、枯蓮の色彩が浮かび上がるかのような構図が生まれた。「漆黒」という一語の力である。



2016年7月15日金曜日

【俳句新空間No.3】 前北かおるの句 / もてきまり



苔むして落葉の中のタイヤかな 前北かおる
題は「日光・湯西川」。古タイヤは再利用されよく小公園などで見かける。見ると落ち葉の中のタイヤが「苔むして」いた。キッチュな景の発見。他句に〈踏む人のなくて汚き霜柱〉句意は明瞭。「踏む人のなくて」というひねりが効いて、自然界「霜柱」を堂々と「汚き」と詠む。この眼差しはなかなかに貴重。嘱目吟とは不条理劇の一場にあるリアルさとどこか通ずるような気がする。

2016年7月8日金曜日

【俳句新空間No.3】 中西夕紀初春帖(二十句詠)鑑賞/前北かおる


  
光塵の中に鹿立つ枯野かな  中西夕紀
「枯野」が季題で冬。「光塵」は耳慣れない言葉ですが、おそらく日差しによって浮遊する塵が光って見える状態を表しているのでしょう。逆光気味に低く差す日の中に無数の塵が輝いて見えている、その中に一頭の鹿が日を背負って立っている、そんな枯野よという俳句です。鹿は神の使いとされますが、ここに詠われた立ち姿には現実を超越したような神聖さが備わっています。「光塵」という漢語の響き、そして季題「枯野」の静けさが、この鹿の気高さを神々しさにまで高めています。

狐火を見しひとり欠け二人欠け  中西夕紀
「狐火」が季題で冬。昔、親しい数人で狐火を見たのでしょう。旅先か何かでさびしい夜道を歩いてというような状況を思い浮かべました。作者は、何十年か経って遠い記憶を思い出しているのです。その場所を再訪したのか、そうでなくても似たような夜道を歩いているのかも知れません。昔ほどには付き合いのない狐火の時の友人の顔を思い浮かべてみると、既に亡くなった人もひとり、ふたりいます。何だか自分自身の老いが実感され、ふと寂しい気持ちにとらわれたという俳句です。「狐火」という季題もそうですが、直接過去の助動詞を使って「見し」とだけ言った省略、「欠け」の脚韻の効果が、しみじみとした余韻を生んでいます。

2016年7月1日金曜日

【俳句新空間No.3】福田葉子作品評/ 大塚凱


 冬・新年の季語を交えず、次第に深まってゆく春を二十句に収めた作品である。

  砂時計未生の春を綯い交ぜて
やや観念的な句であるぶん評価が難しい句ではあるだろうが、「砂時計」の砂に「未生の春」が「綯い交ぜ」になっているというユニークな発想に乗った。これから落ちゆくべき砂に綯い交ぜになっている春。やはり、未来を感じさせる季節だ。

  蓬生に脆きけものと脆き母
脆さとは何だろうか。荒れ果てた野にけものが潜む。きっと、生き物としての脆さを孕んだけものだ。けものに明日はわからない。そんなけものと等しい生き物であるかのように、「脆き母」が存在しているのだ。作者に命を繋いだ「母」も、「脆きけもの」のひとつとして生々しく蓬生に立っている。

  初蝶のかの一頭はダリの髭
蝶の触覚や舌をダリの髭と見立てたのだろうか。奔放に飛んでいる蝶の姿が見えてきて面白い。ダリの超現実主義を思えば、飛びまわる蝶もまた静謐な狂気を帯びた存在に感じられる。ダリの絵の色彩も思われるようで、ユニークな作品である。ひとつ言うとすれば、陽炎の句の直後に初蝶の句が並ぶ季感には違和感を抱く。



2016年6月24日金曜日

【俳句新空間No.3】秦夕美作品評 / 大塚凱



  雲ながれ御用始の礼一つ
御用始は謂わば官公庁の仕事始にあたる。ひろびろと晴れた冬青空のもとで、新年はじめての公務がはじまろうとしている。正月休みで弛んだこころも、「礼一つ」で引き締まる心地がするのだろうか。ましてや官公庁、そのはじまりの「礼」の力強さはいかほどのものだろう。

  かにかくに天狼打てる御者の鞭
やや時代がかった情景ではあるが、御者の躍動感をいきいきと描いている。「かにかくに」というある種の誤魔化しが、御者の鞭のスピード感を生んでいるのかもしれない。「天狼」という文字から想起される獣の力感、そしてその光の鋭さが御者の動きに投影されているかのようである。「かにかくに」の入りから夜空の広がりを想像させ、すぐに「鞭」へと収斂させていく構図の大きさが魅力であった。

 作品全体を見ると、

死者係御中こちら八手咲く
 
御形つむ喜寿の朝まで生きようか 
冥府への定期便出づ木菟の森
のように、主に死を主題にした一連であると思われる。しかしながら、「死」を主観的に詠んだ作品よりは、掲句のような「生」の場における作品の方に力強さを感じた。

2016年6月17日金曜日

【俳句新空間No.3】中西夕紀作品評 / 大塚凱


 一島を工場とせり百合鷗
例えば東京湾湾岸には、それぞれの用途に合わせて計画された埋立地が多く存在する。具体的な名称は存じ上げないが、一島まるごと工業用地として埋め立てられた島もあるだろう。百合鷗がいかにも舞っていそうである。鷗の白さと工場の色彩も、互いにオーバーラップするかのようだ。

  弟を前へ押し出し餅配り

 一読して、石川桂郎の〈入学の吾子人前に押し出だす〉がほのかに思われた。「入学の吾子」はこの「弟」よりも幼いであろうが、作者が作中の「弟」に抱く気持ちと通ずるものが感じられる。「餅配り」に際してどこか弟の顔見せをしているような気配すらある。少しはにかむようだがぎこちない表情をしているかもしれない。そんな弟を取り囲む生活の場の有り様が想像される。

  牛肉に記す牛の名雪催
「牛の名」といっても一頭ごとの名前ではない。つまり、「ブランド」である。松阪牛なら松阪牛、と牛の個体は「牛の名」のもとに一括りにされ、埋没する。個体名があるにしても、それは数文字列にすぎず、我々消費者の意識するところではない。そんな現代性を帯びたはかなさに、雪は降りかからんとしている。

2016年6月10日金曜日

【俳句新空間No.3】仲寒蟬作品評 / 大塚凱



 確かに新年は、一年を通して最もナショナリズムを湛えた時期であるかもしれない。戦争と言えば現在は夏や初秋に詠まれることが多いが、太平洋戦争開戦直後に詠まれた俳句の中には聖戦を寿ぐ新年詠も多数含まれていた。本作は挑発的あるいは皮肉なまなざしで、戦争と平和を詠う。

  若水を闇もろともに汲み上げぬ
大抵は清冽なものとして詠まれてきた若水も、作者のまなざしは「闇もろともに」汲み上げられるものとして捉える。どこか不穏さに包まれた、それでいて闇の霊気を湛えた有り様は、若水の詠みぶりとして興味深い。作品の中において暗示的な一句である。

  喰積の海老も帆立も輸入品
風刺的な一句。ともすれば川柳の域に触れてしまいそうではあるが、作者の憂いがユーモアの中に息づいている。明るさや軽みに満ちた詠みぶりならば、めでたさを裏切るような内容も豊かな意外性として味わいたい。

 一連の作品には〈大東亜共栄圏が初夢に〉〈破魔弓をかの国へ向け放ちけり〉のような、作品の文脈や時勢を離れれば危ういと取られかねない句も含む。個人的にはこれらのやや観念に寄った句よりは、前掲のような裏切りを孕んだ句を楽しみたい。それが作者の魅力ではないか。

2016年6月3日金曜日

【俳句新空間No.3】佐藤りえ作品評 / 大塚凱



 新年詠ではない、殺風景な冬の表情で統一された二十句作品であった。〈けもの道朽ちてもゐない木を踏んで〉〈総括せよ氷湖のあをいテーブルに〉などほのかな屈託を含んだ詠みぶりである。

  ひとしきり泣いて氷柱となるまで立つ

 感覚的な詠みぶりが魅力の作者である。「氷柱となるまで立つ」という言葉の力強さに惹かれた。涙は冷たく、それこそ氷柱のような鋭さで流れていたのだ。からだが冷え、悴み、やがて凍てるまで立ち尽くす情念である。ひとしきり泣いたあとの、その涙すら渇いた心そのものが立ち尽くしているかのようだ。心まで悴んだ人間が行き着く先の感覚である。

凍鶴を引き抜く誰も見てゐない
「凍鶴を引き抜く」。多分に感覚的な詠みぶりであるが、不思議な質量を伴った表現だ。それはおそらく、「引き抜く」という作者の想像が、凍鶴という「物体」の質感を伝えるからではないのか。作者はその頭の中で、確かに硬直した凍鶴を引き抜いたのである。しかし、そんな空想は「誰も見てゐない」。氷る野の広さに立つ、一羽の凍鶴とひとりの人間。一種の暴力性を孕んだ想像は、誰にも知られていないさびしさを湛えて、作者を貫くのである。きっと凍鶴の鋭さで、「わたし」を貫くのである。

2016年5月27日金曜日

「俳句新空間」(第3号)20句作品を読む/小野裕三・もてきまり



▲俳句新空間第4号(第3号作品評)より


●俳句帖鑑賞/小野裕三

手花火に飽きて煙のなかにをり  安里琉太
ぽかんとした時空を詠んだ、ぽかんとした句。句の情報量はわりと少なくて、手花火から煙が出るのも、その煙の中に人がいるのも当たり前のことと言えるから、さらに加わる新しい情報と言えば「飽きた」くらいのことだ。しかし、このすかすかの情報密度が逆にいい。ぽかんとした気分と、それをとりまくぽかんとした時空が、ぽかんとした密度の情報形式にうまく反映されている。

夜店の灯平家の海を淋しうす  中西夕紀
栄華と零落。平家の血を彩る波乱の物語は、日本の風土のどこかに深く刻まれているのだろう。都が栄華という光の部分を象徴するものであれば、海は零落を想起させる影の場所だ。そして夜店もまた、たくさんの影に囲まれた小さな光の場所である。その対比を誰もが知っているから、夜店の明るさはどこか切ない。夜店を愉しんだ人はみな、巨大な夜の暗がりに押し戻されていく。まるで平家が落ち延びていった、あの海のような淋しさへ。

家族皆カレーはインド秋うらら  澤田和弥
この句は、いわゆる上手い句ではないだろう。家族とカレーとインドの関係はそれぞれいかにも近いし、と言って秋うららの季語も微妙な距離感だ。要するにいわゆる上手に計算された句ではない。なのだが、この凸凹した感じが、どこか俳句の生理に引っかかる。俳句の神経をざわつかせる。いかにも俳句的に消化されてしまうのを拒否しつつ、しかもどこかで俳句的構造を知悉している、そんな句だ。直接の面識はない作者だが、若くして急逝されたとのこと。謹んでご冥福をお祈りする。

風呂の中繋がっている冬の川  川島ぱんだ
一読した際に、「なるほどいいところを見ている」と感じたのだけれど、よく考えるとそんなはずもなくて、特に冬の冷たい川ともなれば、風呂と川が繋がっているはずもない。だとすれば、ぱっと句を見た時の印象として「いいところを見た」と思わせた、この不思議な錯覚は何なのか。きっと騙し絵みたいなもので、この言葉の配列をこの視点から見た時にしか、その錯覚は成立しないのだろう。なにやらカラクリめいたセンスが光る句。

厚着して紙を配つてゐる仕事  佐藤りえ
紙を配る仕事というのは基本的には単調な仕事のはずだ。仕事、という言葉でぶっきらぼうに句が終わるのは、そんな苛立たしさを言葉の行き止まりにぶつけているようでもある。だが、そんな気持ちとは裏腹に、手の動きに正確に正比例して紙束の山は着実に減っていく。そんな気持ちの停滞と物理的な進捗との間を繋ぐのが、その作業を執り行う肉体だ。なんとも板挟みのような肉体は、ただ厚い衣服に包まれるばかりだという。そんな幾層もの温度差の行き違いに、洒落た諧謔性の見える句。

●初春帖(二十句詠)鑑賞/もてきまり

火星人八手の花に隠れたり 網野月を
この「火星人」という唐突さが面白かった。八手は葉が大きく日影好みの植生である。あの裏には火星人が手だけ隠せずに身を隠しているような気がして来た。そう、あのロボットの触針のような八手の花は火星人の手かもしれない。他に〈わたくしはMr.不器用日数える〉網野さんのおおらかさを想った。

夕暮れがきて貧困を措いてゆく 大本義幸
「夕暮れ」の擬人化。「貧困」という観念の物質化に成功している。昼間は、人それぞれに生きるに忙しく、やれやれと一息つく夕暮れ時になるとなにやら佇まいの貧しさが気になるのである。あるいは人類の夕暮れ時、類としての貧困がどんと卓上に課題として措かれていく意にも取れる。時間的な遠近法といい、こうした句は作れそうでなかなか作れないものだ。他に〈ノンアルコールビールだねこの町〉日本中、どこへ行っても、やや安普請のノンアルコールビールふう町並が増えた。

久々に叩きをかける山眠る 神谷波
ここでは何に叩きをかけるのかが省略されていている事が面白い。最初布団に叩きをかけるのかなと思ったが、いや自分自身に喝をいれる意の顔に叩きをかけるかなとつぎつぎと想像してしまう。されど人が何をしようと「山眠る」。中七の「叩きをかける」の終止形と「山眠る」の二連続の「る」が句に強靭さを与えた。他句に〈初夢の鶴につつかれ覚めにけり〉そりゃあ、あなた、あの鶴の口ばしでつつかれたら起きてしまいますよ。しかし、その鶴は初夢の中のめでたき鶴で、良き目覚め。

水鳥の副葬品のごとき声 坂間恒子
うーん、秀句なり。水鳥のあのいっときも整わない群れの鳴き声と遠い時代の副葬品が発見された時の(人骨の一部やら壺の破片やらがばらばらに赤土に現れた)光景とがオーバラップしたのだ。水鳥の声(音)を「副葬品」という景(絵)に転換させた感性がすばらしい。ごとき俳句はいちようにダメなんてことはない。そうしたタブーを乗り越えている。〈のぼる陽と我の真中の浜焚火〉二〇一一年の津波後を非情にも繰り返し「のぼる陽」(極大の赤)と内在化された言葉の「我の真中の浜焚火」(極小の赤)が拮抗していて緊張感ある一句を仕立てた。

ひとしきり泣いて氷柱となるまで立つ 佐藤りえ
たぶん、若松孝二監督「実録・連合赤軍あさま山荘への道程(みち)」という映画が下敷きになって構成した二十句。一句独立の視点で読むと、この句が物語から離れても句として最も立っている気がした。「ひとしきり泣いて」という肉体性(生)から「氷柱となるまで立つ」という精神性(死)の隠喩が決まった。他句に〈霜柱踏み踏み外し別世界〉求心的な組織に、間違って入り込んでしまう悲劇。赤軍でなくても、いじめ学級やブラック企業、カルト等、どこまでも人間が抱え持つ闇というものなのだろうか。

民草のひれ伏す上を手毬歌 仲寒蝉
民草は民の震えるさま(おそれおののく)を、草に例えていう語。そのひれ伏す上を繰返される「手毬歌」。この手毬歌はピョンヤン放送、北京放送のようにも思えたが、ひれ伏すまではいかぬものの民草が萎びつつある某国のN□Kのようにも思えた。妙に怖い「手毬歌」。他句に〈若水を闇もろともに汲み上げぬ〉初詣の折に若水を柄杓で汲む。まだ明けやらぬので「闇もろともに」汲みあげた。この「闇」が戦前という闇に繋がらぬよう願うばかりだ。

土門拳亡し石炭の山もなし 中西夕紀
写真集『筑豊のこどもたち』を出した土門拳も今は亡く、またモノクロに映っていた石炭の山(ボタ山)も今はもう緑の山なのだが、土門拳と言えばモノクロ。石炭の山と言えばモノクロを想起させ、又、その述語で「亡し」「なし」と畳みかける技がすぐれて妙。他に〈彼岸から吹く北風もありぬべし〉子規、最晩年の〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉を遠く想う。子規(死者)のいる彼岸から吹く北風もあるだろうなぁというほどの意だが、彼岸から此岸へ俳句という現場に吹く北風は厳しい。

死者係御中こちら八手咲く  秦夕実
いくら長寿社会になれども、実際、七十歳を超えるとまわりに冥途へ発つ人が多くなる。そんな中、あちら様へ「死者係御中」と封書おもてに書いた。中の文面は「こちら八手咲く」つまりまだまだこちらで頑張る決意。季語「八手咲く」のみごとな使用例。題は「おさだまり」つまり「御」「定」で、最初の十句には「御」、あとの十句には「定」が兼題として入っている。冥途に発つ前に「御定(おさだまり)」ではあるが俳句でおもいっきり遊ぼうという隠し味。最後の句は〈冥府への定期便出づ木菟の森〉。

葱の鞭ときおり使う老婆いて 福田葉子
俳の象徴としての葱、それを用いての鞭。若い衆に使うのか自らに使う鞭なのか、たぶん両方に使っている。最近の老婆はとても老婆とは言えず、福田さんはもちろんのこと、金原まさ子さんはじめ、姿勢は良いしPCはこなすし、疲れた初老を凌ぐ。年を重ねることで世界の多様性に気付き自由になれる力というものがあるのではないかと最近思う。で、この鞭はけっこう痛い。他句に〈初蝶のかの一頭はダリの髭〉クールな銀の額縁に入れギャラリーに飾りたいくらい、おしゃれ。

成人の日硝子切る音どこよりか ふけとしこ
「硝子切る音」とは思わず耳を塞いでしまういやな音がするものだ。その音が成人の日にどこよりかすると云う。式典で市長がブチ切れ、騒ぐ新成人に「出て行きなさい!」と怒鳴ったニュースなどが記憶に新しいが、成人の日は祝日であるものの不穏な日。他句に〈日脚伸ぶ宗右衛門町に研師来て〉「日脚伸ぶ」という奥行きを与えられて「宗右衛門町(そえもんちょう)」「研師」という輪郭線の太い木版画のような一句。

声のみをまじわらせおる花すすき 堀本吟
「花すすき」穂がでたすすきに出会うたびに、いにしえ人がすでに白髪となり老婆老翁となり群立っているように見える。中にはあの五百年生きている安達ヶ原の鬼婆もまじっているように思えるのは私だけだろうか。そこは、古語ともつかぬ声がかすかに聞こえる幽玄の世界。他句に〈その真ん中に空蝉の観覧車〉「その真ん中に」なので都心梅田ファションビルのあの真っ赤な観覧車か。観覧車のゴンドラを「空蝉」に見立てた吟さんの内的世界を想う。


苔むして落葉の中のタイヤかな 前北かおる
題は「日光・湯西川」。古タイヤは再利用されよく小公園などで見かける。見ると落ち葉の中のタイヤが「苔むして」いた。キッチュな景の発見。他句に〈踏む人のなくて汚き霜柱〉句意は明瞭。「踏む人のなくて」というひねりが効いて、自然界「霜柱」を堂々と「汚き」と詠む。この眼差しはなかなかに貴重。嘱目吟とは不条理劇の一場にあるリアルさとどこか通ずるような気がする。


初夢の瓢箪鯰という構図 真矢ひろみ
瓢箪鯰は辞書に瓢箪で鯰をおさえるように、捕え所のない要領を得ぬ男をいうとあった。ここでは「という構図」とあるので、具体的な絵としての瓢箪と鯰であろう。初夢から滑稽まじる複雑な夢。具象画を提出しておいてアナロジーがいくらでもきく「という構図」。しかも中七のぬるぬる感を保証するべく下五で句の重心を効かせた技術的したたかさに感服。他句に〈三界の無明を照らす初茜〉凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する三界(欲界、色界、無色界)の真っ暗闇が少しずつ茜色に染まりゆく。極めてアイロニーの効いた一句。

西行をクリックすれば花ふぶき 夏木久
夏木さんのPCのデスクトップには「西行」というアイコンがあり、そこをクリックすると「花ふぶき」のごとく沢山の作品がでてくる様子を想像した。最近、『神器に薔薇を』というハンドメイドの句集を上梓されたのだが、句集自体そのものがオブジェのようであり、所収されている句も攝津幸彦が生きていたら、思わずニヤリとするだろう句が並んでいる。他句に〈鮮明な義眼の夢を水中花〉「鮮明な義眼の夢を」というひねりようといい、下五の「水中花」をさらにゆらゆらと揺らす効果として格助詞「を」で切る技が冴えている。季語を手放すことなく前衛的な試みをしている作家だ。


桜ひとくくりに活ければ 日の丸 豊里友行
沖縄の桜は緋色で、一月末頃から咲きほこり、それはソメイヨシノの満開とは全く違う赴き。生きているうちに一度は見ておきたい光景の一つだ。豊里さんは沖縄の写真家で俳人。季語ということに中央主権的なものを感じ、それに強く違和を表明している。他句に〈撮始めみんな月と太陽(ティダ)のワルツ〉彼の撮る被写体はさぞいきいきとした静止態として仕上がるのだろう。明るい躍動感が伝わる。確かに沖縄の太陽は本土のとは違う「ティダ」なのだ。又、沖縄へ行ってみたい。


チリ紙・水・電池を積みし宝船 北川美美
東日本は、本当に地震が多く宝船も時代により載せる荷物が違ってくるのだ。今は非常時持出し袋の中味であるチリ紙・水・電池などを積んでいるという諧謔。他句に〈重箱の中はしきられ都かな〉年末、デパートなどで予約するお重などは細かく仕切られている。下五の「都かな」と表現されたことでまるで京の都のような料理の華やかさが目に浮かぶ。


アガペーもエロスもつどへ盆をどり 筑紫磐井
おおまかに言えばアガペーとは神の愛、無償の愛。エロスは異性間にある愛と言えるか。まぁ、ここでは色々な愛が集え(命令形)と言っている。そして「盆をどり」をご一緒にということなのだ。この「盆をどり」とは、句会、吟行、結社、同人誌の集い諸々である。俳句は、奇しくも他者がいなければ成立しない表現形式なのだ。加えて〈一流であつてはならぬ俳の道〉なるほどと思った。俳句で一流、二流というのはないのかもしれない。大先生も、時にとてつもない駄句(しかし駄句の魅力というものはある)を発表するし、攝津幸彦のように母上(攝津よしこ:S55角川賞受賞・代表句〈凍蝶に夢をうかがふ二日月〉)に攝津の句を電話で披露したら「なんだい酔っ払いの句かい?」と言われたエピソードなどを思い出した。この無記名の句が真ん中にある表現形式の不思議さとその恩寵のようなものをいつも感じさせられている。 


 顧みてみれば、私のような者が、俳句歴の長い諸先輩の俳句を怖いもの知らずとはいえ、よくもまぁ、書きまんな~と(なぜか突然、関西弁で)私の中の誰かが呟く。ふだん怠惰な私に、このような機会を頂き、読むという事により大変勉強になった事と、最後の磐井氏の二句には勇気付けられた事を申し添えて終りとしたい。深

2016年5月20日金曜日

【俳句新空間No.3】神谷波作品評 / 大塚凱



 「師走」から新年詠を経て「木守」まで。新春帖に相応しい、去年から今年への移り変わりを真正面から詠んだ二十句作品である。

  大声に師走の猿の逃げつぷり
作品の第一句目。「走」と「逃」は連想としてはやや手近なところではあるが、簡潔な述べ方が良い。「逃げっぷり」の「っぷり」が師走の猿の様子をユーモラスに想像させてくれる。

  数え日の棚からだるま落ちてくる
前掲の句に続く二句目。棚からだるまが落ちてくるという、何とも言い難い「数え日」感。生活に即しているような軽い詠みぶりが、魅力的である。続く〈あまりにも近すぎ除夜の鐘の音〉と続くところを見ると、ユーモアにあふれた作風であると評価したい。他の句はおそらく旧仮名遣いで書いているので、「数へ日」に正したいところではある。

  鷹晴れと呼びたきほどの二日かな
「鷹晴れ」という表現も、作者独特のものである。晴れていることのめでたさは誰しもが感じ得るところ。「鷹晴れ」という言葉を得たことで、そのスケールの大きさを生んだ。「二日」は、まさに種々の物事をはじめるべき日。なんと良い一年を予感させてくれることだろう。



2016年5月13日金曜日

【俳句新空間No.3】 大本義幸作品評 / 大塚凱



 二十句の連作作品として、貧困や災害、老いといった社会的な主題性に富んだ作品であった。

  年収200万風が愛した鉄の町
上五の「年収200万」にやや饒舌な印象をもったことや「風が愛した」という表現にお洒落すぎる危うさを感じたことは否定できないが、「鉄の町」と止めたことで句になった。風に吹かれている人物まで、景が立ちあがってくるようだ。

  やわらかき右脳路地裏の猫よ
誰の右脳がやわらかいのか。作者か。人間みんなか。猫か。否、右脳のやわらかさのイメージが、「路地裏の猫」にオーバーラップされているように読みたい。猫はやわらかに、しなやかに、苦しみに満ちた人間の生活の端っこで自らの生を営んでいる。そんなぼんやりとした生き様の猫に、一種の救いを感じるのだ。

  天災と朝顔ポストは右へと曲がる

 この連作の中で最も惹かれた句であった。とある路地に、朝顔が咲いている。おのずから、曲がって捻じれている。この町ではポストもまた、天変地異によって右曲りになってしまったようだ。朝顔とポスト、この異質な二物の姿が重ね合わせられている歪さに惹かれる。天災という見えない力が、街を歪めてしまったのか。

2016年5月6日金曜日

抜粋「俳句新空間」(第1~2号)20句作品を読む/小野裕三・もてきまり



「抜粋広告」を載せ始めたので、自分自身である「俳句新空間」の広告も載せてみようと思う。「俳句新空間」では前号作品評を載せているが、特に小野裕三氏、もてきまり氏は、時代性をもったユニークな作品評を毎号書いて頂いている。

雑誌になった記事であるが、雑誌を読んでいる人も少ないし、雑誌そのものが捨てられたりしているから今こうした形で再読することも意味があるであろう。

意外な平成の名句が潜んでいるかもしれない。

20句作品(新春帖、夏行帖)を中心に読んでみる。   

(記と稿選:筑紫磐井)

▲俳句新空間第2号(第1号作品評)より

★小野裕三選評(2014/03/31『俳句新空間No.1』)

 鳥は風つないで来たり冬木立     内村恭子 
 神のみな目の垂れてゐる宝船     しなだしん 
 日が落ちて正月映画回り出す     三宅やよい 
 田楽が田楽のまま冷めてゐる     太田うさぎ 
 三面鏡蝶を押し潰してしまふ     仙田洋子 
 雲行きに早々しまふ氷旗       小早川忠義 
 パソコンときゆつと消えけり春の闇  中西有紀 
 ワイシャツの父が舟漕ぐこどもの日  三宅やよい 
 かき氷メニュー三十全て読む     小沢麻結 
 扇風機部屋中の書の付箋そよぐ    関悦史 
 順接の団扇逆接の扇風機       三宅やよい 
 大なるを月小なるをたましひと言ふ  仲寒蝉 
 見られてしまひ蜩が木の裏へ     西村麒麟 
 山眠る間際のひかり一人占め     近恵 
 手にとりて鈴のごとくに冬の鮨    外山一機 
 貸衣装に身体を通しクリスマス    藤田るりこ 
 聖夜劇ほんものの馬引き出さる    仲寒蝉 
 皺くちやな紙幣に兎買はれけり    中西有紀 
 双六に勝つ夭折のごとく勝つ     堀田季何

 俳句新空間と書こうとすると、俳句真空管と変換してしまうのがちょっと面白い、新雑誌。「ブログから紙媒体へ」ということを意図したということだが、ブログの方で興行的(?)に開催された「歳旦帖」以下のシリーズは、僕も欠かさず参加させてもらっている。ブログに投稿されたものをまとめて発表しているだけ、と言ってしまえばまあそれまでなのだけれど、なんとなくそれ以上に企画性というか、盛り上がり感があって面白い。時を追うごとに参加者が少しずつ増えてもいるようで、そんなことも盛り上がり感を密かに支えている。なんとなく、〝風狂〟という言葉がぴったり来るような印象を持ったのは僕だけか。

 この企画は、「江戸時代」ということを強く意識しており、江戸からインスパイアされたことを文字通り現代に蘇らせている。まさしく江戸の時空へと向かってするすると釣瓶を落としているわけだが、僕はその行為自体にどこか共感する。俳句は古い文芸であると言いながらもどこか明治になって再整理されたようなところがあって、そのパースペクティブは強く明治によって規定されている。そんな明治なんて知りませんよとばかり、すっとばして江戸にアクセスする。

 実は日本古来の伝統のような顔をしながら明治になって作られたものである、というものは数多い。典型的なものが国家神道としての神道だ。西洋に対抗するためのひとつの支柱として作られたそれは、日本の伝統という顔をしながらも〝キリスト教の日本国版〟みたいな印象がどこかにある。議論の多い靖国神社も、明治になって作られたもので、歴史的には実は新しい部類に属する。明治から昭和初期までの天皇制も、言うまでもなく日本古来のものというよりは、プロイセン王制やあるいは中華思想を摸したものという面が強い。そのように、明治になって新たに時間を遡行するかのように〝日本の伝統〟として再編されたものは数多い。そして言うまでもなく、そのようなものの同列に俳句もある。

 だから私たちが江戸の俳句について直接考える時、つまり明治の視点を通して再編された芭蕉や一茶を見るのではなく、そのような明治的パースペクティブを排して江戸の俳句と直接に繋がる時、どこか気分に解放感が漂う。その解放感は極めて本能的なものかも知れないが、俳人の本能としては正しい本能でもある。さらに言うまでもないが、太陽暦に変わる以前という意味で、そこでの季語の含意もまったく違う面がある。だから、江戸に惹かれるという俳人の本能はいろんな意味で正しいと感じる。

※小野裕三公式ブログ『ono-deluxe』
http://www.kanshin.com/user/42087より転載

▲俳句新空間第3号(第2号作品評)より
★「俳句新空間NO.2」特別作品鑑賞/もてきまり

風が喰(は)む硝子の歯ぎしりブラザー軒 大本義幸

 その昔、いぶし銀のような声の高田渡というフォーク歌手がいて「ブラザー軒」を歌った。〈♪東一番丁ブラザー軒♪硝子簾がキラキラ波うち〉その向こうには死んだ親父と妹がいるというような設定の歌詞だったと思う。〈高田渡的貧しい月がでる〉無欲天然のその声にはファンが多かった。そしてカメラは急にパンして作者の現在形に。〈わっせわせ肋(あばら)よ踊れ肺癌だ〉〈さらば地球われら雫す春の水〉私達もいずれは「雫す春の水」なのだが、「わっせわせ」と自分の癌を皮肉な手つきであやし、句をむしろ明るい絶望に化けさせた。耕衣の言葉を借りて言えば自己救済と他己救済が同時になされている秀句だ。

水無月の汐留駅は黄泉の駅 秦夕美

 確かに地下にある駅は、夜昼の区別なく煌々と照明がつき、まして雨の季節ともなると濡れた傘と雨に裾などを少し汚した人々が行き交う景は背景に雨が見えないだけに虚構の舞台のようで、なるほど黄泉のようだ。そんな中、自画像として〈ぽつねんと私雨の鉄砲百合〉異界にまぎれこんでぽつねんとしながらもあちこちと首をふり観察を怠らぬかのような鉄砲百合的痩身の作者を想像してしまう。そして〈波布と会ふたそがれ熱のままの指〉「波布」とはあの猛毒の蛇のことだ。この句には妖気ただようエロスがあり凡者には怖いほどだ。

夏木立ルソーを蒼くぬってみる 神山姫余

 眼前には夏木立がある。それを表現しようとすると作者の潜在意識にあるアンリ・ルソー(あの素朴派ともいわれた葉の一枚一枚に輪郭線を克明に画き、同時代の潮流とは遠く隔たっていた画家)の絵がせりあがってきたのだ。そしてルソーの絵の中の葉を作者が持っている内面的なパレットから「蒼」を選び出しぬってみるというほどの句意なのだが、夏木立を二重、三重の位相で表出しながら不思議なさやけさがある。他に〈若鮎の眼の中にある死界かな〉〈終戦記念日 無数の針が立っている〉等、異界から覗こうとする眼(まなこ)の持ち主としての姿勢を感じた。 

品なしと鯰が泥鰌笑ひけり 仲寒蝉

 〈泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 耕衣『悪霊』〉の本歌取りである。が、観察眼の効いた皮肉な表現がたまらなくうれしい。実は鯰も泥鰌も句会仲間。で、おのずと鯰は太り気味なので動作が遅い。そこいくと泥鰌は感性的にもすぐ反応し軽い身のこなし(たぶん女性陣にも評判がいい)。そこで鯰氏は泥鰌氏のことを「品なし」と言って「笑ひけり」。この「けり」が物語の虚構性に一役かっていて妙。〈釣り人の夏を釣らむとしてゐたり〉の良質な俳味。〈浮巣から見ゆる自分がまざまざと〉と詠む作者の立ち位置はなかなかにクールなものだ。

一時間時計をもどし街薄暑 前北かおる

 「香港」という題がなければ、一瞬「えっ!」と思うのだが、なるほど香港時間は日本より一時間ほど遅いのだ。でも俳句って一句独立で読ませるので、この句はなかなかに不思議なテイストを持っている。外部=内部という世界観からか、作者は多作な写生派。その多作の中にコツンと日常の結界に言葉がぶつかる時がある。〈ぶらんこを捨てて帰国の荷を詰めに〉の「ぶらんこ」がそんな例だ。カシャと撮ったスナップ写真に作者さえ意図しない無意識の領域の小道具がバッチリ映る面白さがある。(尚この詳細は『断想』関悦史「ロータス25号」参照の事)

誘拐現場十薬の花の浮き ふけとしこ

 まず俳句現場ではあまり見かけない「誘拐現場」という言葉に「えっ」と思わせるものがある。俳句用語に作者の既成概念のなさを感じた。そして「十薬の花が浮き」とは襲ってくる人の恐怖心をアナロジーしていて、それを宙吊りにしたままの終わり方もうまい。〈包帯の伸びきつてゐる夏野かな〉この句もたぶん夏野を前に洗濯物として伸びきった包帯が干してある光景なのだろうが省略効果からか、夏野と伸びきった包帯がフェイドイン、フェイドアウトしてまるでヌーヴェルヴァーグの映画の出だしのような不安や不穏を内包した景を提出している。

麦秋の赤信号を牛走る 神谷波          

 本当にこんな光景がまだ日本にもあるのかも知れない。赤信号なんて人間がかってに作ったもので牛には関係ない。でも、なんとなくそこを察知して走る牛。おおらかさからくる観察のおかしみがある。〈夏の夜の時計の針が逆回り〉神谷波さんのお仲間が集まれば夏の夜など、時計の針が逆回りして、皆、〈往年の少年少女水芭蕉〉になってしまう。〈遠くまでいく蟻近場ですます蟻〉この句もコンピニですます蟻とこだわって遠くの老舗に行く蟻を思わせる一方、精神的に遠くまでいく蟻と近場ですます蟻を思わせて意味の重層性とおかしみを披露している。

夏の夜の立入禁止といふわたし 関根かな

 〈沈丁やをんなにはある憂鬱日 鷹女〉あるいは〈閉経まで散る萩の花何匁 池田澄子〉という句が示す通り、女性は周期的に訪れる悩ましい現象を抱えながら生きている。この句もそんな時の自分を茶化して出てきた句だ。「立入禁止」という言葉がとてもユニーク。〈優曇華に場所を移してよく眠れ〉そんな日は誰も来ない優曇華でよく眠るのがベストだ。〈元彼に似ているやうな飛蝗飛ぶ〉元彼≒飛蝗のポップな把握。〈軍艦の鮨はわけられないよ好き〉という口語。実に巧みな術者だ。〈太陽のちぎれて八月十五日〉の「太陽のちぎれて」というたった九音で昭和二十年八月十五日の全てを表現し得ている。なんびとも認める佳句だと思う。

ぼうたんの揺るるは虐殺プロトコル 真矢ひろみ

 〈ぼうたんの百のゆるるはゆのやうに 森澄雄〉の本歌取りである。白牡丹の沢山咲いている景はお湯がふつふつと沸いているようなというほどの意味だが、むしろ句の意味は横に置いて、漢字「百」以外は仮名表記のシニフィアン(記号表現)の美として私は享受してきた。掲句の「ぼうたんの揺るるは」というシニフィアン(ここでも意味は重要ではない)は「虐殺プロトコル」だと云う。プロトコルとはIT用語で手順とか手続きのような意味だ。想えば大量のお湯が沸騰する景は怖い。そのサブリミナル効果も入って「虐殺プロトコル」。二〇一四年五月ウクライナのオデッサで二十一世紀とは思えないほどのネオナチによる市民虐殺があった事を思い出した。他にも共鳴句が多く〈国霊やコンビニの灯を門火とす〉等。

野生種のような長女や山ツツジ 網野月を

 「野生種のような」すてきな長女さん。と言っても、もう年頃だから親としてはとても複雑。山ツツジのあの朱色を好きな方は多いのでは・・・。〈五月病むかし甕割り今ガシャン〉こちらは長男の方?大学に入りたてはとかく五月病にやられます。むかしは親と口喧嘩などしてお気に入りのアンティークの甕など割ってくれた程度でしたが、今は電話かけてもろくに会話もしないで「ガシャン」なんです。はい、我が家もそうでした。他の印象深い句に〈かたつむり殻持ち運ぶ自衛権〉。

昼顔に目覚めて口のにがきかな 中西夕紀

 夏の午後、ちょっとうたた寝して目覚めてみるとあの昼顔の花になっていた。口がにがいから確かに私なのだけどと「変身」(カフカ著)の昼顔版と読むのはおおいなる誤読なのだが、そうとも読めてしまうシュールな表出。
〈波打つて大暑の腹の笑ひをり〉ステテコ姿の七福神の一人に似た老人が檜の縁台などで大笑いしている姿。なんといっても「大暑の腹」という把握が玄人。〈混み合へる仏壇を閉じ夏布団〉実家に帰省すると時に仏間に寝かせられるときがある。老母などは「先祖代々南無むにゃむにゃチーンッ!」と拝むのだが、確かに仏壇の中には「先祖代々」が入っているのでそうとう混み合っている。

奥よりも裏側である海酸漿 佐藤りえ

 海酸漿を鳴らすのは意外に難しく、そう奥よりも舌の裏側で鳴らすのよというぐらいの句意なのだが、これは「奥」「裏側」という言葉が曲者で、ずばり言えば性的な意味で受け取る殿方も多いのではと思った。なにしろタイトルも「麝香」。作者はけっこう無意識にその領域をさらっと表出する。〈濡れている闇から帰り瓜を切る〉この句も男女の営みとしての「濡れている闇」から帰りと取れば「瓜を切る」の瓜がメロウな匂いを微かに放ち始める。攝津幸彦が密かに喜びそうな句。〈飽きられた人形と行く夏野かな〉この句の不思議さも妙。「飽きられた人形」とは作者の一部分である事は確かなのだが・・・。

ポリフォニーひそむ水田つばくらめ 堀本吟

ここでのポリフォニーは間テクスト性詩学のルーツであるバフチンのポリフォニーかなと。(←Wikipedia知識〈汗〉)「ポリフォニーひそむ」とはつまりいろいろな声、考え方、感じ方がひそんでいるくらいの意味。じゃあ「水田」とは何?となるのだが、私は、ここは大胆に俳句現場の表象としての「水田」という事にしたい。日本特有の「水田」には春夏秋冬があるし、畦でしきられるブランドもあり、♪こっちの水は甘いぞ的要素があったりする俳句のトポスとしての「水田」。でね、吟さんが、水田を高く低く飛んで批評などを書いている姿「つばくらめ」。でも時に〈超新星死に体じゃあと叫び声〉のスランプも。このキュチュな表現も又、愛すべし。

脈拍はレゲエのリズム海晩夏 福田葉子

 「レゲエのリズム」という捉え方がいい。夏も終わりの海での出来事。かなり疲れがでて脈拍が速くなってしまった経験。深刻でなくむしろ少し滑稽というかキッチュに近い味。〈死後のごと湯船に赤いバラ浮かべ〉この句もいい。白いバラでは付きすぎで、ダメ。黄色もピンクもいただけない。赤でないといけない。なんかここまで書いて作者の一側面がみえてきたような、だって「レゲエ」「赤いバラ」に次に披露するのは「恋」。〈茅花野に仮の一夜を恋わたる〉ひたむきな茅花のせつなさ。「仮の一夜を恋わたる」ああ、もう涙なくしては語れない。

水音の絶え間なき駅避暑期果つ 津高里永子

 「みなおとのたえまなきえきひしょきはつ」と読む。句の意味は自明。むしろ中七、下五に畳まれるように三つのki音の響き。それが避暑地の噴水のある駅の様子を思い起こさせて快い。漣のように寄せる一夏の思い出に耽り抒情詩の象徴のような水色のワンピースの女性が立っている。他に〈字のごとく打ちし蚊落ちて紙の上〉。

完璧な死体なるべし心太 高橋修宏

 これは寺山修司の詩、「昭和十年十二月十日にぼくは不完全な死体として生まれ何十年かかゝって完全な死体となるのである」の本歌どり(間テクスト)であるが、「心太」がなんとも巧だと思った。少し濁りある誕生。つーと突き出されてからの一生は短くて人に喰われてしまう。その喰った人間の一生もそのように又短いことをアナロジーさせる。〈日は生母月は養母の水くらげ〉この句も宮入聖の〈月の姦日の嬲や蓮枯れて後〉の句の形と響きあう。
水くらげというアンフォルメルな生命の形は精神的不安定な表象と取れる。確かにおおくの生命は太陽が「生母」。月は、その精神的なものを育み「養母」という把握。

麦畑刈られ巨人が来る気配 北川美美

 旅先で麦畑の刈られた風景にでくわした。広大な自然の中に麦藁を直径1.5mぐらいの幾何学的な円筒形に圧縮したストローベイルなるものが点々と置いて在り、初めて見る者には不思議な光景だった。確かに「巨人が来る気配」だった。それも旅人を喰う一つ目のキュクロプス。日本ばなれした麦刈り後の風景を彷彿とさせる「巨人が来る気配」。他に〈夏草を踏みしめている乗用車〉等。 

責問や金具に締めて氷掻き 堀田季何

幾つかサドマゾ的傾向の句を拾ってみた。手回し掻き氷機という責め具。「責問や」なのでここでの氷は口を割らない容疑者と見た。で、この氷(ピン)氏を金具でガチッと締めガリガリと削りあげるのである。赤いものが滲んだ自白の掻き氷が出来上がる。〈うつくしく牛飲まれゆく出水かな〉「うつくしく」と仮名表記の韜晦。「牛乳飲まれ」に錯視させんばかりの「牛飲まれゆく」と捻り「出水かな」と残酷な着地。確かに俳とは人偏に非なので、このくらい非情の眼も面白い。(いやん、嫌いという方もいるが)表現とは孤独なもの。マゾ的な句として〈うき草や楽園といふ檻の中〉〈未来にも未来あり糞ころがせる〉楽園という檻で永遠に糞ころがしでは、さぞやお辛かろう。

TOKYOや海市となりて流れ寄り 夏木久 

「見渡せば花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの秋のゆふぐれ」という藤原定家の歌が前詞として置かれている。今、繁栄の絶頂期にある東京。それを毀れやすいブロックのようなローマ字で「TOKYO」と表記。前詞の「見渡せば花ももみぢもなかりけり」に対応する部分の「TOKYO」である。榮枯盛衰は世のならいと言うが如く、そこはかとなく花も紅葉もない廃墟の東京のイメージが浮き上がる。原因は浜岡原発かどうかは、誰もわからない。すでに「海市となりて流れ」寄る東京。「TOKYOや」といちようは切れているものの、私には「TOKYO」と「海市」がオーバラップして見えた。他の好きな句に〈旅人や袖にサハラの月を入れ〉。

炎天のエミュウは我を見くびれる 筑紫磐井

 エミュウはダチョウに似て大きく、翼を失くした鳥。─ここは新宿百人町。夜8時頃、男はたまに行くバー「エミュウ」に入る。そこには炎天にいるような服装のマダム・エミュウが居て、いつものグラスを出す。黒メガネを外した顔でぽつりぽつりと会話。「そう、あんたはまだ翼を持っているのね」とエミュウ。男は密かに見くびられていると意識する。(配役/マダム・エミュウ=美輪明宏、男=筑紫磐井)Film『黒エミュウ』予告編より抜粋─この続きも書きたかったが字数制限迫り、清く諦める。次は〈賢きはをんな をとこは茸である〉納得。これは古来より普遍原理でいたしかたない。〈蒼古たる歴史の上に敗戦忌〉「蒼古たる歴史の上に」が見セ消チでわざと消されている表記。「敗戦忌」は造語。もはや戦前かも。

この稿は磐井氏より依頼され、いささか荷が重かったのだが、誤読にこそ、一つの読みがあるかも知れぬと少々開き直り、楽しみながら書かせて頂いた。深謝。

★「俳句新空間NO.2」特別作品鑑賞/小野裕三

遠くまでゆく蟻近場ですます蟻 神谷波

 蟻は身近な虫で、公園などを探せばどこにでもいる。蟻のおおよその生態は大人なら知っているだろうが、でもそれはかなりの面で耳学問でしかなく、実際に蟻の巣をほじくりかえして長時間観察したことのある人はそんなにいないだろうから、実態はやはり謎に満ちている。働き蟻とは言われるけれども、実はその労働意欲には濃淡があって、その濃淡こそが、まさにどこにでもいる蟻の分布図を作っているのだとしたら。擬人法としてもなかなか高等な部類で、江戸にも通じる俳諧味がある句。

真夜中に撫ぜて励ます冷蔵庫 北川美美

 すべてが動きを止めた夜の部屋で、それでもなにやらうめき声のような低い音を立てて動いているものがある。もはや背景音のようになってしまって、それが動いていることすらも日頃は意識しづらい。それでもたまに冷蔵庫のコンセントを抜いてみると気づく。本当に無音の世界がそこにはあったのだということに。そんなわけで、冷蔵庫はあまり注目を浴びない働き者である。けっこうけなげな存在なのだ。そんなけなげなモノと過ごす真夜中の時間。たぶん作者と冷蔵庫しかいない暗い部屋で向き合う、そんな一人と一個。人間と機械とで、心が通い合うわけもなく、それでも何かが通い合っているように見える、そんな深夜の密かな光景が面白い。

書初は遠い喇叭の水辺かな 夏木久

 書初、喇叭、水辺。この三つにいったい何の関係があるのだろう。いろいろと連想を働かせてみるが、どうにもそれぞれに縁遠い関係としか思えない。いわゆる二物衝撃というのとも違う、なんだか不思議な間合いがそこにはある。書初と喇叭と水辺と、その三つのものの間にぽっかりと空いた、まるでポテンヒットを生みそうな空間。なるほど、これはつまりポテンヒット俳句なのかも知れない。三つのものの距離感を巧みに操って、読み手の意識を思ってもいなかった空白地点へと誘導する俳句。もちろん、誰もが成功するやり方でもなく、言葉に対するセンスのようなものがないと、この企みは成功しないだろうが。

囀の上のコサックダンス隊 木村オサム

 囀のさわさわした感じとコサックダンスの動きの感じを重ね合わせた、と言えば確かにそうで、比喩としてはそんなに突飛な範囲に属するようにも思えない。だが、「隊」がついたことでぐっと映像的になる。腕を前に組んだ男の一団が、足を突きだしてリズミカルに踊る。異国語の掛け声なども掛けながら。しかも、「囀の上」ということだから、なんだか宙空のような、足場も頼りない場所で、男たちの一団はダンスを続けるのだ。そのことの映像的な面白さと言ったらない。

2016年4月22日金曜日

【曾根毅『花修』を読む52】 評者を読む / 曾根 毅



2015年9月下旬、筑紫磐井様より今回の企画「花修を読む」についてのご連絡をいただいた。内容は以下のとおり。

「従来からBLOGに協力いただいている西村麒麟氏とか、水内氏の句集の連載鑑賞をやっております。特に締切、分量などは設けませんし、人数も無制限ですのでご自由にご検討いただければありがたく存じます。特に若い方が書かれればうれしく存じます。御寄贈者にそういう方がいらっしゃれば誘ていただければありがたく存じます」

私は即座に、メールアドレスを知る寄贈先の若手俳人らに参加を募った。当時、『花修』上梓から3ヵ月が経過しようとしていたが、反応はごく限られたものだった。後で知ったことだが、「恵まれない著者」ということで私の句集に白羽の矢が立ったのだそうだ。無名という自覚はあった。『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』に加えて、『関西俳句なう』などの実力若手アンソロジーが次々と出版され、同世代の仲間が脚光を浴びる中、私はそのどれにも入集していない。実力の問題もあるが、早く師を喪い、結社誌に次ぐ同人誌の解散、結婚と子育てに転職、数回の転勤など変化の目まぐるしい30代。特に、先のアンソロジーが出始めた頃は超多忙期にあたり、句集の中でも空白の期間となった。

執筆者を募ってみたものの、書き手は現れるだろうか。しかし意外にも、依頼後数日のうちに返信は50を超え、筑紫磐井さんに状況を連絡。前回の西村麒麟句集「鶉を読む」が全25回であったことを踏まえて、今回2名ずつで25回というのはどうかと相談し、今回の企画となった。先着順として、数名の方にはお断わりすることになるという想定外の事態。多数の反応が得られたのは、「BLOG俳句新空間」の魅力のおかげである。

今回ご執筆いただいた方々は、10代の学生から句歴20年を超える方まで、俳句に対するスタンスも様々。皆様のご感想や批評を受けて、まさに作品と同様、見事に書き手の趣向や個性が表れることの面白さを感じた次第。『花修』については、社会性を含む現代の思惟的な要素をいかに俳句として読むか、ということに様々な角度から言及をいただき、著者として大いに刺激を受けた。しかし私としては、評者の様々な視点に触れて、「花修を読む」というよりもむしろ「評者を読む」という受け取り方のほうが強かった。それは、批評は評者のためのものでもあるということだ。

俳句甲子園や芝不器男俳句新人賞などの影響で、身近にも10代20代の本当に若い世代の俳句人口が増えた。例えば、俳句甲子園におけるディベートは、その後の俳句活動における鑑賞や批評に繋がる可能性を持ちながら、それを発揮しアピールする機会は少ないのではないだろうか。今回の企画が、鑑賞批評を読み書きすることへの興味に繋がれば嬉しい。

『花修』をご指名いただき、毎週のブログアップをしていただいたBLOG俳句新空間の筑紫磐井様、北川美美様。お忙しい中、ご執筆いただいた皆様。
そして、ご愛読いただきました皆様方に心より御礼申し上げます。ありがとうございます。


【執筆者紹介】
曾根 毅(そね・つよし)
1974年生まれ。「花曜」「光芒」を経て「LOTUS」同人。現代俳句協会会員。第四回芝不器男俳句新人賞。句集『花修』(深夜叢書社)。

2016年4月8日金曜日

【曾根毅『花修』を読む51】  「花修」を読む(「びーぐる」30号より転載) / 竹岡一郎



曾根毅の第一句集「花修」を読んだ。生硬であっても、概念が先行していても、作者の懊悩や焦燥がにじみ出す句集は、好感が持てる。それは私が、俳句を、五七五で原則は季語に縛られる、誠に不自由な詩形に於いて最大限の足掻きをすべき詩として捉えているからであろう。この句集は実に様々な試みを為しているのだが、まず目についたのは「概念としての世界」であった。

玉虫や思想のふちを這いまわり

 思想というものは概念であるから、変化する。玉虫の色もまた光の加減によって変化する。だから、ここで「思想」というとき、作者は骨身を削る実体験が肉化したものという意味で使っているのではないと思う。知識人の、如何ようにも変化し得る相対的な思想について述べていると思われる。

暴力の直後の柿を喰いけり

 柿の果肉の色を暴力に沿わせているのだろう。熟柿ならまだわかる。腫れ上がった頬や潰れた鼻や切れた口腔の内部などを思わせるからだ。しかし、「熟柿」と置くことも出来たであろうに、敢えて「柿」と置いた。果物の中でも特に果肉の生硬なものを。この句には暴力の具体性も方向性も無い。誰が誰にどのような暴力をふるうかの情報が一切ない。これにより句中の「暴力」は「暴力一般」という概念であると取らざるを得ない。作者が暴力の主体か、客体か、傍観者かという情報は示されていないのだが、暴力を行使した後に柿を喰らえる者が(詩として)俳句を作ろうとは思わないだろうから、主体ではないと思う。客体なら、そのような余裕があるとは思えない。ならば、これは傍観者として、暴力の余韻を感じつつ柿を喰っていることになる。「直後」という語が眼目か。暴力一般と柿を「直後」で繋ぐことにより、柿を喰う行為に暴力と通底するものを感じたのではあるまいか。暴力に対して距離を置ける余裕があるから、「暴力」という概念を置ける。机上ではない「暴力」は概念として捉える余裕など無い筈だ。暴力と名指しされる行為なら、必然的に死を内蔵する筈だからだ。これは、実際に暴力の只中に身を置いたことの無い者の目線ではあるまいか。柿が象徴するのは、未だ暴力を知らないという初々しい謙遜か、それとも暴力には染まらないという知識人の矜持か。私はこの句にも、この句を誉める人々にも、暴力が肉化していない事への苛立ち(或いは羨望)を感じざるを得ない。それでも「柿」と置かざるを得ない気持ち、暴力さえも概念と見たい気持ちは伝わるのである。

冬めくや世界は行進して過ぎる

行進せず、置き去りにされて傍観している如き作者の姿を思い浮かべるのは、「冬めくや」の寂しい上五による。戦争に向かってか、金儲けに向かってか、或いは良き明るい嘘っぱちの未来に向かってか、世界は軍隊のように、或いはデモ隊のように、或いは工場に向かう労働者のように、或いは崖に向かうレミングのように、決して個人ではなく、全体として、「行進して過ぎる」。それを見ている作者はその行進から外れ、或いは外れたいと思っている。それゆえの傍観なら、先の「玉虫」の句も「柿」の句も、敢えて概念として捉えることにより事象から離れていたいという、作者の姿勢を示すものとして納得できる。

原発の湾に真向い卵飲む
西東三鬼の「広島や卵食ふ時口ひらく」の本歌取りであろう。攝津幸彦の「チェルノブイリの無口の人と卵食ふ」も念頭にあろう。原子力災害と卵が良く衝撃するのは、卵が次世代の誕生の象徴であり、遺伝子情報の具体的な塊であるからだろう。作者の句も含めて三句とも、卵が作者に摂取される対象であるのは、被曝からは子孫も含め、誰も遁れることが出来ないからだ。

ここで鳩の句群を取り上げよう。

山鳩として濡れている放射能 
西日中灰のごとくに鳩の群 
少女病み鳩の呪文のつづきおり 
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん

一句目は、福島の原発災害の句であろう。色々なものが放射能を発している、或いはセシウムを浴びているという句は数多ある。その中で、この句が容認できるのは山鳩の可憐さ、哀れさによる。高屋窓秋の「山鳩よみればまはりに雪がふる」を、昨今の状況を踏まえて、絶望と皮肉を以て詠えば、このようになろうか。この句の良さは、作者の「鳩」への思い入れに依るのではなかろうか。そういう言外の想いは意外と伝わるものだ。二句目の、灰の如く群れている鳩は、作者のばらばらにならんとする魂であるか。「灰のごとくに」とは、鳩を形容しているのであるが、実は西日の惨たらしさをも浮かび上がらせている。「灰は灰に、塵は塵に」と、基督教の埋葬の言を思い出しても良いだろう。三句目では、鳩は病める少女に為す術もなく近く在る。鳩のあの単調なリフレインである鳴き声を呪文と聴く作者は、鳩と一緒に呪文を唱えている。少女が癒えるようにという呪文でもなければ、少女の身代わりとなる呪文でもない。只、少女を見ている、それだけの行為が続くための呪文なのだと思う。四句目、これは句集の掉尾に置かれている句である。火を焚かんと志すのは作者、火へ向かう契機となるのは、鳩の、闇に鳴くゆえに永遠に続くような声である。鳩が作者であると読めば、それは一通りの読みなのだが、更に読み込むなら、句群中の殆ど動かないように見える鳩は、世界に対する昨今の人間一般の諦めた態度なのだ。やがて世界は闇に覆われるだろうし、もうすでに闇は晴れる事無く覆っているのかも知れない。そこで作者が志す行為はあくまでも「静かに」火を焚く事、静かに闇を照らし、闇の一部なりとも破らんとする試みである。(しかし、人間一般に留まっている限り、その試みはどこまで果たせるだろうか。)

  この世には多く遺さず蟬しぐれ 
  啞蟬も天のうちなり震えおり 
  空蟬や開かれしまま忘れられ

今の若い人たちの明るい絶望感が伝わって来る。蟬は作者の自画像であろう。或いは作者を初めとする若い人たちかもしれぬ。「蟬しぐれ」とあるから、うるさいほど鳴いているのに、「多く遺さず」と観じている。確かに現実はそうであろう。ほとんどの者が虚しく滅びてゆくのだ。啞蟬、鳴かない蟬がそれでも鳴こうとして全身を震えさせているのを、「天のうち」と、「なり」の語まで使って言い切っているのは、啞蟬こそ天であって欲しいと作者が感じているからだ。空蝉が中が空洞のまま、それでも健気に蟬の形を保って、結局忘れられてしまうのは、そのまま今の一般的な人間たちの姿ではないか。蟬を真横に斬ると、腹は空洞なのである。空蝉と蝉はその空白度において、さして変わらないのだ。

時計屋に空蟬の留守つづきおり

空蟬とは、そもそも不在の物だ。羽化した後に遺された皮なのだから、不在も何も、打ち捨てられたものなのだが、其処に不在を感じるのは、蟬の形が翅以外はそっくりそのまま残っているから、又たとえ戸外に有ろうと腐りもせず一年以上も残っているから、いつか何かが帰って来るかもしれぬ錯覚を起こすからだ。空蟬とはリアルな不在、不在の具現化と言っても良い。そこに更に「留守」という語を重ねる。強調されるのは、いつか留守は終わる筈で、いつか蟬の本体が帰って来るという思いである。そのいつか終わるべき不在は時計屋を舞台に展開している。時を司る店というだけではなく、嘘の時間と本当の時間が混ざりあう場所であり、止まった時を再び進め、進み過ぎ或いは遅れ過ぎた時間を一旦止めて修正する場所でもある。ならば、蝉の本体とは、時を意識するもの或いは他者に時を意識されるものであり、即ち、作者か世界あるいはその両方であろう。

だから、多分、作者はまだ諦めていない。だが、これまで挙げてきた殆どの句に見られる受動性を鑑みるに、作者は植物的人間なのであろうか。

永き日や獣の鬱を持ち帰り
この句を読む限り、そうでもないのかもしれぬ。しかし、本当に野獣なら、わざわざ獣の鬱を意識する事はないだろう。獣は、その兇暴が発動した後に、或る虚無感と己が馬鹿馬鹿しさに鬱を発する。「獣の鬱」とは、荒ぶった後に訪れる獣の理性であろう。本来、獣臭がしない作者であるからこそ、獣の鬱を「持ち帰り」と意識するのだろう。

啄めるものに囲まれたる朝寝
朝、外では様々な鳥が鳴いている。それを蒲団の中で聞いている。鳥たちは朝、食べ物をあさっているのである。何をあさっているのか。実は鳥は至近距離にあるのではないか。寝ていると思っている自分は、実は死んでいて、鳥たちはこれから自分を啄むべく囲んでいるのではないか。そんな思いがよぎる。

五月雨のコインロッカーより鈍器
この句には、先に挙げた「玉虫」、「柿」、「冬めく」の句には感じられなかった、或る肉化が感じられる。つまり、思想、暴力、世界を詠った句にはない、或るリアリティが感じられる。ここに作者の思想、暴力、世界観は明瞭に浮かび上がっているなら、作者の秘められた実感は一種のアナーキズムに有るだろうか。「五月雨」は作者の鬱屈であり、「コインロッカー」は平均化された区別のつかない心であり、「鈍器」は勿論、暴力衝動である。この句が優れているのは、概念として世界を見る事から踏み込んで、生の欲望を暗喩しているからと取れる。或る切迫した心情が期せずして浮かび上がっていて、俳句には類型の安心感でなく、生の血肉と叫びが見たいと希む私は、こういう句を評価する。鈍器が如何に使われるか、その有様まで示してほしいものだが。

消えるため梯子を立てる寒の土
やはり天に憧れ天に消えたいと思うから、梯子を立てるのか。「寒の土」が悲しい。地上は寒々としているがゆえに、一層天への憧れが強まるのである。しかし、天は地上よりもなお寒く、それは重々承知の上で、それでも此処ではない何処かへ行きたいと思うのだ。ここに先ほど挙げた「鈍器」の句と同じようなリアリティを感じるのだが、してみると、あの鈍器は天に向かっては梯子であるのか。

我と鉄反れる角度を異にして
「反れる」という現象を反逆、反発などの心情として捉えるなら、自分と鉄とは、反発、反逆する角度が異なると言っているのである。鉄とは現在の文明の基礎であり、鉄を熱し、溶かし、叩くことにより、文明は発達した。鉄は、最初は戦争の為の武器として、次に恒久性のある生活用品として、更に遠くへ行き活動範囲を広げるための乗り物、今ならば、自動車や船や飛行機として欠くことの出来ないものだ。その文明の基礎である鉄と、自分は「反れる」とき、言い換えるなら自我を出すときの角度が異なるという。現在の世界から一歩距離を置く表明なのだろう。

引越しのたびに広がる砂丘かな
ここに詠われるものも、おなじく世界に対する視線である。引越しを繰り返すのは、落ち着けないからであろう。仕事の関係か、自分の意志かは知らぬが、たとえ仕事の関係だとしても、人間はその深層意識が望むものだけを手に入れる。ここではない何処かを絶えず作者は望んでいるのだが、そのどこかへ移り住む度にますます砂丘は広がる。それはそうであろう。一回引越す度に、ここもまた違うという場所が増えるから、そして「此処は違う」という意識が世界を砂丘と見做しているのだから。これは人間の普遍的な虚しさを示している。今ある夢から次の夢へと飛び移り、それが夢であると理解すれば、また次の夢に移る。諸法無我、とは、世界には実体がない意だが、それに気づかずに足掻くさまを詩的に表現すれば、掲句の如きとなる。

祈りとは折れるに任せたる葦か
人間は考える葦である、という。生物の内で、祈るのは人間だけであろう。人間だけが、止むに止まれずに、祈る対象を想定する。「折れるに任せたる葦」と定義する事により、作者は祈りを、無抵抗に等しい受動性として捉えている。植物とは受動するものである。少なくとも鳥獣虫の在り方から見れば、遙かに受動的である。(尤も、長い時間で見れば、植物の能動性は極めて緩慢ではあるが広範囲に及ぶ凶暴なものであろう。)ここで、作者が人間にしか出来ぬ祈りというものを、植物的なものとして捉えているのは面白い。それは即ち、作者が自身を植物的人間であると告白しているようなものだからだ。

作者が植物的人間であると仮定して、

落椿肉の限りを尽くしたる 
徐に椿の殖ゆる手術台
これらの生々しさを見事と思うのだ。植物に仮託して、初めて自身の肉化が示される。夥しい落椿の花弁を「肉の限り」と観ずるのは、椿の目線に立っていなければ出来ない。血が噴き出て肉が切り刻まれる場所である手術台にゆっくりと椿の花が増殖してゆくイメージもまた然り。

凭れ合う鶏頭にして愛し合う
一見、可憐に見えて、実はおどろおどろしくさえある恋愛を描写している。庭園の植物たちは、虫や風へ向かって大股に性器を晒し遠くの恋人たちと無差別に生殖し、根で以て喰らい合い、枝葉で以て愛撫し合い憎み合い、立ち尽くしたままその死体を晒す。ならば、掲句の鶏頭の肉厚の暗紅の夥しく重なり捩れつつ凭れ合う花達の、何と淫靡な事か。

くちびるを花びらとする溺死かな
入水のオフェーリアを思う。「花びらをくちびるとする」なら、溺死して流れゆく顔に花が降りかかるのだが、「くちびるを花びらとする」のであるから、実景に流れてゆく人間が居ようが居まいが、作者の心は花にあり、花の目線に立って、花の気持ちを詠う。

恋愛の手や赤雪を搔き回し
この不思議な句も、花よりも更に儚く、本来、天に属している筈の雪を肉化していると読めば、納得出来ない事も無い。肉と見るから、雪は赤く見えるのである。肉と見るのは雪の恋愛を思うからで、だから、正確には作者の恋愛の手で掻き回すとき雪は肉化して目に赤と化す、言い換えるなら雪が作者の、又は作者が恋する対象の肉として映るのである。

さて、人と生まれたからには仏陀とならねばならぬ。仏陀が最上のものであるからだ。と、踏まえた上で、作者の植物との自己同一化を観じた上で、次の句を読もう。

春すでに百済観音垂れさがり
何処にも花とは言ってないが、春の法隆寺、飛鳥仏たる百済観音を最も荘厳する日本の事物は、やはり桜であろう。「すでに」の一語で、満開の様を暗喩し、「百済観音」に桜のたおやかなる立振りと飛鳥仏特有の初々しい優美さを重ね、「垂れさがり」にその姿態と衣の流線型と手に持つ水瓶を描写すると同時に、垂れる枝に咲き充ちる花を想起させる。即ち、満開の枝垂れ桜である。それが百済観音の魂か。更に、法隆寺夢殿には有名な枝垂れ桜があり、その本尊は同じく飛鳥仏である救世観音である事を思うなら、枝垂れ桜を通じて大宝蔵院の百済観音と夢殿の救世観音が境内に響き合い、一体化する。ならば、この句は飛鳥なる磁場を詠んだものとも取れまいか。

ここで句集の冒頭の句を挙げる。

立ち上がるときの悲しき巨人かな

巨人の句の系譜が俳句にはある。高浜虚子の「草を摘む子の野を渡る巨人かな」、或いは、安井浩司の「稲の世を巨人は三歩で踏み越える」を思う。ここで「巨人」とは、人間を超えるもの、或いは超えんとする意志だ。その「巨人」を句集冒頭に持ってきた、その意図を素直に信じるなら、遠からず作者は二者択一を迫られることになろう。枠組みに許容されて平均的作家になるか、枠組みを超えて巨人たらんとする意志を貫くか。「悲しき」は謙遜であるか。立ち上がるから悲しいのだが、逆に、悲しいからこそ立ち上がる巨人とも見えよう。願わくば、どうか決然として孤独に歩み給え。孤独だからこそ、巨人を志さざるを得ないのなら、その気持ちは佳い。



【執筆者紹介】

  • 竹岡一郎(たけおか・いちろう)

昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。平成26年、鷹月光集同人。現代俳句評論賞受賞。著書句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。句集「ふるさとのはつこひ」(平成27年4月、ふらんす堂)




2016年4月1日金曜日

【曾根毅『花修』を読む50】 最後の弟子―『花修』をめぐる鈴木六林男と曾根毅 /  田中亜美




永き日や獣の鬱を持ち帰り     曾根 毅 
手に残る二十世紀の冷たさよ

暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり    鈴木六林男


 曾根さんと初めて会ったのは、二十世紀と二十一世紀の変わり目ごろ、東京・青山のビルで開催されていた宮崎斗士氏の句会だった。九堂夜想氏の紹介だった。当時、曾根さんはどちらかといえば寡黙で、さりげない気遣いを忘れない、好青年という感じだった。

今でも印象に残っているのは、酒宴が終わりに近づいたころ、曾根さんがふと立ち上がり、部屋にあったピアノで、ジャズ風の即興演奏をはじめたことだ。いい加減酔っぱらっていた私は、その演奏が巧いのかどうか、よく分からなかった。ただ、彼が執拗に繰り返す鍵盤の乱打と、分厚く滲む、鬱屈した不協和音の連続に、妙に心がざわついた。<好青年>に潜む、暗いパトスを垣間見た気がした。

もう少しお酒が入っていたら、通奏低音の部分だけでも、一緒に連弾してみたい、そんなことを思った世紀末の夜だった。


            ***

 まもなく曾根さんは仕事の関係で、関西に引っ越した。やがて鈴木六林男氏を生涯の師と決め、師の<かばん持ち>をしながら、マンツーマンの徹底した指導を仰いでいるという話を、人づてに聞いた。駆け出しの青年俳人のひたむきな情熱と、真剣にこたえる八十半ばのベテラン俳人の厳しさと優しさ。その話を聞いた時、戦後俳句、関西前衛、鈴木六林男という文学史上のタームや固有名詞が、ピアノを連打する曾根さんの横顔に、ふっと重なり、響きあった。
曾根さんと師の鈴木六林男氏の作品は、昭和の<重厚長大>を思わせる濃厚な肉体性と、エロスや暴力も包含したハードボイルド風のロマンチシズムという点において、ある種の親和性が認められるように思う。

立ち上がるときの悲しき巨人かな 
玉虫や思想のふちを這いまわり 
鶴二百三百五百戦争へ 
暴力の直後の柿を喰いけり 
快楽以後紙のコップと死が残り     曾根 毅      

<巨人>の句。「大きいことはいいことだ」といった価値観とは別に、巨象しかり巨人しかり、不自然な大きさを持つ生きものは、どこか悲しげである。とりわけ、<立ち上がる>ことによって、自らの大きさを誇示せざるをえないときには、悲しさはいっそうきわまるのだろう。

そうした悲しさは、巨きなものと対照的な存在である<玉虫>にも、どこか通底する。<玉虫>はメタリックな色彩の昆虫であるとともに、<玉虫色>の言葉にも代表されるような、どっちつかずの胡散臭い姿勢の暗喩とも考えられる。それを<思想のふち>を<這いまわ>るような存在であると断じるところに、独自の批評精神が籠もるようだ。

批評精神といえば、<右の眼に左翼左の眼に右翼>という昭和の終わりごろに発表された六林男氏の強烈な作品が思い浮かぶ。同時期には、<西日なか百年手を挙げ銅像立つ>などの作品もある。その後の冷戦崩壊まで予示したかのような透徹したまなざし(西日の中で手を挙げる銅像に、旧ソ連が崩壊したあとのレーニン像の運命を重ね合わせてしまうのは、単なる思い過ごしだろうか)、<玉虫>の表現するシニカルな世界観は、あるいは、そう遠くないところに位置しているのではないか。

戦争。暴力。エロス。人間の根源的な<業>といってもよいテーマを詠むに際しても、曾根さんは六林男氏の薫陶を受けて、独自の世界を展開している。それは、こうしたテーマがそれ自体劇薬のような訴求力を持ってしまうだけに(<劇薬>は<陳腐>という形容と常に表裏一体である)、言葉を剥き出しのままに使うのではなく、<詩>の中に、いかに深く沈潜させ、連想力を持たせるのかという、言葉に覆いをかける作業=<暗喩>の方法論にも繋がろう。

その意味では、演説で数詞を巧みに使ったことで知られるヒトラーを想起させる<鶴二百三百五百戦争へ>の主体は、<人>ではなく、<鶴>でなければならないのだろう。また、<暴力の直後の柿を喰いけり>の句では、<暴力>そのものを云々するのではなく、オレンジ色にてらてらと照る<柿>の具体性と<喰いけり>という力動的な仕草の中にこそ、真の<暴力性>が暗示され、再現されなければならないのだろう。一読素っ気ない、シンプルな切り詰めた表現であるが、<鶴>、<柿>ともに、暗喩として洗練されており、よく機能していると思う。
 一方、<快楽以後>の句は、通常のエロスとはどこか異なる、やるせない虚脱感や虚無感が残る。実際のところ、いかなるきれいごとやロマンチシズムで昇華させても、性はみじめでわびしい衝動だ。その代償としての、<快楽>。残るのは、<死>。
<かなしきかな性病院の煙出(けむりだし)>は、終戦直後の六林男氏の代表作であるが、そうしたかなしみの感受は、時代と背景の違いを超えて、平成の今も、曾根さんの句に、引き継がれているのかもしれない。

            ***

  薄明とセシウムを負い露草よ         曾根 毅

 放射能雨むしろ明るし雑草と雀        鈴木六林男

 雪解星同じ火を見て別れけり         曾根 毅

 満開のふれてつめたき桜の木         鈴木六林男

 乾電池崩れ落ちたる冬の川          曾根 毅

 天上も淋しからんに燕子花(かきつばた)   鈴木六林男


曾根さんと六林男氏の濃密な師弟関係は、しかしながら、二〇〇四年十二月、六林男氏の逝去にともない、終わりを告げる。三年余りの師弟関係であったが、曾根さんが師から受け継いだものが、いかに大きいものであったかということは、それからほぼ十年の歳月を経て、二〇一四年の第四回芝不器男俳句新人賞を受賞したことに、端的に証明されるだろう。

 公開審査会では、曾根さんの一連の作品における<震災詠>をめぐって審査員の間で激論が交わされた。その後も、管見の限りではあるが、本ブログの記事を含めて、曾根作品を論じる様々な評者の間で、この議論は続いているようだ。

さて、私は当時、連載していた角川「俳句」の現代俳句時評で、この公開審査会の様子を取り上げたのだが(「敢然として進め」角川「俳句」二〇一五年五月号所収)、そのとき頂戴した読者の意見には、<震災詠>をめぐる議論というよりは、師の死後も教えを忘れず、自分の表現を模索してきた、曾根さんの俳人としての姿勢に心を打たれたというものが多かった。そうした誠実な姿勢の延長上に、曾根さんの<震災詠>の説得力や共感が生まれるのではないかという感想も頂き、なるほどと思わされた。

たしかに、曾根さんの<震災詠>が持つ独特の迫力は、会社の仕事で出張中に東日本大震災の津波の現場に遭遇したことや、その後も「ホットスポット」と呼ばれた放射能汚染度の高い区域で幼い子どもを育てる苦悩を味わったことなど、個人的な体験に依るところが大きい。だがしかし、曾根さんが、我が身に降りかかった個人的な<偶然>を看過することなく、俳句表現を通して、時代と人びとの<必然>へと練り上げてゆく過程には、ひとりの俳句作家としての、相応の覚悟が滲んでいたことだろう。

その覚悟は、長年、鈴木六林男という師を信じてきた曾根さんの揺るぎない姿勢と決して無縁ではないはずだ。

            
***

この国や鬱のかたちの耳飾り 
暗闇に差し掛かりたる金魚売 
おでんの底に卵残りし昭和かな 
金魚玉死んだものから捨てられて     曾根 毅

二〇一〇年代も半ばを折り返した。平成は四半世紀をとうに過ぎた。若手俳人を中心に、今さら師系を云々するなどアナクロニズムだと言われることも、最近は少なくないようだ。<かばん持ち>や<雑巾がけ>も、近いうちにきっと死語となるのだろう。

私は、それでも鈴木六林男の<最後の弟子>として、戦後俳句の系譜を継ぐ者として、奮闘を重ねる曾根さんを尊敬する。

 曾根さん、これからも頑張って下さい。
連弾は無理でも、また、飲みましょう。


【執筆者紹介】

  • 田中亜美(たなか・あみ)

一九七〇年生まれ。「海程」同人。




【曾根毅『花修』を読む49】 残るのか、残すのか / 表健太郎




はっきり言って過剰である。『花修』刊行以来、一句集に対してやたらと言葉が多くはないか、ということだ。全部を読んだわけではないが、正直、この扱われ方には異様さすら覚える。もちろん、なかには興味深い評もあった。けれど、すべてがそうであったとはとても言い難い。文章量や上手い下手などは問題にしていない。不器用であっても、その作品を通じて、「俳句とは何か」を真剣(・・)()考えよう(・・・・)()する(・・)姿勢(・・)必要なのである。

好きに書いていいと言われたのかもしれない。自主的な参加ではないとの弁解もあるだろう。ただ、いかなる事情にせよ、俳句への態度が試されていたのは事実だ。その意味で、断ることも立派な批評行為の表明であると、ぼくは思っている。むしろ、仲間意識や恩義などによって止むを得ず原稿依頼を引き受け、当たり障りない感想でお茶を濁すくらいなら、沈黙を貫く方が潔い。もし、ここに作者や依頼主からの圧力が関与していたとすれば、彼らも大罪を免れることはできない。

急に書くことを躊躇してしまったり、書き手が減ることに懸念を示す者がいたとしたら、言っておきたい。馴れ合いのなかに育つ作品や批評など存在するはずがないし、仮にあったとして、そんなものにはなんの値打ちもないと。

たとえば、こんな状況を想像してほしい。
「文学」という言葉がすでに死んでしまったような今日において、俳句の延命を願って止まない者たちがいたとする。彼らは俳句を絶やすまいと必死の普及活動を続け、新人発掘にも精力を注ぐ。そんなところへ、ある句集が、しかも時代の色を反映したような作品を散りばめて登場したとしよう。彼らはすぐに飛びつくに違いない。そして力を尽くして宣伝するだろう。彼らの努力と運動は周囲の関係者の目に美徳と映り、やがて次々に共鳴者が現れる。その頃には、当の句集は注目の一冊になっている――。

「たとえば」と書いたが、現実として起こっていることではなかったか。別に『花修』を槍玉に挙げようとしたわけではない。現在の俳句世界の多くを占ているのは、上のようなシステムというか構造であるような気がしてならないのである。

「何が悪いのか」という反論に答えていこう。すでに書いておいたが、「『俳句とは何か』を真剣(・・)()考えよう(・・・・)()する(・・)姿勢(・・)」「当たり障りない感想でお茶を濁さないこと、書き手一人ひとりが、これさえ意識していれば問題はないのだ。けれど、自分の胸に手を当ててみて、本当に誤魔化しがなかったと、全員が言い切れるだろうか。

俳句も他の芸術作品と同じように、本来「残す」ものではなく「残る」ものだと思っている。「残る」というのは、人の力を借りるのではなくて、作品が自らの力で生き延びていく、という意味だ。そのためには言うまでもなく、作品が「俳句」であることの本質論を抱え込んでいなければならないし、読み手もその点に注意して、切り込んでいく必要がある。つまりは、作者の精神を通じて、作品が「俳句とは何か」という問いを誘発し、この問いに対して不断の議論が交わされるところに、作品の息衝く力が宿るものだと思うのだ。だからこそ、作者にも評者にも、俳句に対する真剣(・・)()取り組み(・・・・)が要求されるのである

もっとも「残す」運動を不要と言っているのではない。優れた作品を忘れさせないために、あるいは不遇の才能を歴史に埋没させないために、誰かが継承、発掘して「残そうとする」のは、非常に重要なことだ。ただ、このとき「優れた作品」「不遇の才能」であることが前提であってみれば、それらはもともと「残る」力を持っているものと言うことができる。

先の例に話を戻すと、俳句を「残したい」という切実な思いは十分に理解できる。しかし、その思いが「残す」ことばかりを優先させ、「残る」ものであるかの検証を怠っていたとしたら、作品は歪められた形で流通することになるだろう。俳句の延命を願う思いのなかに、少しでも気遣い的な要素が混じり込んでしまった時点で、作品を正面から見る視点は失われてしまうからだ。このことに鑑みれば、作者の顔色を窺う文章など、もってのほかであることは言うまでもない。作品を前にしての善意というのは、それに温かな寝床を与えながら、却って生命力を奪っているのである。そしてぼくには、現在の俳句が、こうした不幸な言説空間を疑うことなく受け入れ、ますます衰弱しているように思われて仕方がない。「文学」が死んでしまったも同然の状態とすれば、首を絞めたのは誰なのかを、考える必要がある。

そろそろ方々から、「ではお前は一体、『花修』についてどう思っているのだ」という声が聴こえてきそうなので、最後にその点に触れて本稿を閉じることにする。

実は、この執筆に先立ち、ぼくは自らが所属する俳句同人誌において、短いながら『花修』評を書いた(LOTUS32号)。詳しくはそれに譲るが、概要は以下のようなものである。

作者の言葉を信じるなら、作品はほぼ制作年順に収録されているので、全体を見渡せば、現在までの、作者の俳句に対するなんらかの思想の変化を読み取れるのではないかと思った。
そう思って繰り返し読むうち、最初の二章(「花」「光」)と、それ以降の章(「蓮Ⅰ~Ⅲ」)との間に、微妙な違いが生じていることに気づいた。作品は〈イメージ〉重視のものから始まって、「蓮Ⅰ」を過ぎると、わずかにではあるが〈見る主体〉とでも呼ぶべきものの影がチラつき始める。

〈イメージ〉重視というのは、言葉の結びつきに比重が置かれ、単語の取り合わせによって、意外性や違和感などを生じさせようとする企みが感じられる作品のことだ。対して〈見る主体〉とは、作者がまず対象に向き合い、凝視して、その過程で把捉される像を描こうとしたように思われる作品のことである。たとえば前者には「鶴二百三百五百戦争へ」(花)、後者には「水吸うて水の上なる桜かな」(蓮Ⅰ)といった句を、具体例として挙げておいた。

上のような変化を、ぼくは仮に「眼差し変容」と呼んでみて、今後の展開に期待を寄せた。作者のこうした俳句行為が、「俳句とは何か」を追究しようとする姿勢を彷彿させたからである。
ただ、ぼくはあくまでも、作者の俳句行為を通じて見た「未来の作品」に期待したのであって、現在の、つまり『花修』の収録句については、満足していない。厳しい言い方をすると、俳句史に「残る」という意味では、まだ力が弱いと思っている。一句あるいはなにかのテーマが通底した数句、いや、句集であってもいい。そうした単位は、特に限定していない。とにかく、「俳句とは何か」を問いかけてくるような作品を、ぼくは渇望しているのだ。

これまで書いてきたことは、即、自分自身に跳ね返ってくる。それだけに、恐ろしくもあり、告白すれば、なん度も発言を撤回しようとした。けれど、ぼくもまた俳句を「残したい」と望む者の一人であってみれば、偽ることなど許されないのだ。他者の作品を語るというのは、自分を斬りつけるのと同じことなのである。血を流さない表現行為など、一切信用していない。

【執筆者紹介】
  • 表健太郎(おもてけんたろう)

1979年東京生まれ
LOTUS』同人、編集担当

第四回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞受賞

2016年3月25日金曜日

【曾根毅『花修』を読む48 】 得体のしれないもの / 山岸由佳



曾根毅句集『花修』には得体のしれないものが漂っている。

誰もがいつか訪れるだろう「死」が色濃く存在し、そこはかとない空虚感、不安・畏れ、鬱屈とした感情が渦巻いている。この感情の渦がある強いエネルギーとなり、異様な空気を放っているようだ。そのことは本句集に一貫して言える事であるが、東日本大震災が与えた影響は大きい。震災という未曽有の体験は作者を大きく揺さぶり、より内面の奥深くにまで迫っていく様子が伺える。

玉虫や思想のふちを這いまわり

本句集のある一面、或いは作者自身を象徴している句ではないだろうか。思想の中心部には、闇が深く広がっているだけで何もないようにも思われる。永遠に中心には辿りつけないと知りながら、もがき続けているようだ。

立ち上がるときの悲しき巨人かな 
くちびるを花びらとする溺死かな 
暴力の直後の柿を喰いけり 
快楽以後紙のコップと死が残り 
この国や鬱のかたちの耳飾り 
佛より殺意の消えし木の芽風

人間が元来持っている淋しさや醜さ・残酷さ、この世の不条理、目には見えない力への畏れ、これらと向き合い続けるには強靭な精神力が必要だろう。事実、私は本句集を開くたび、どこかが消耗していくのである。答えの見つからないもどかしさに、考えないことを選択することも可能だろう。また、ストレスを回避するために、無意識に考えることをやめてしまうこともある。しかし、曾根氏は、一見するとマイナスのイメージを持つ、見えない何かと絶えず格闘し続けてきた。
そして、その姿勢は震災後も変わることはない。

音のなき絶景であれ冬青草 
桜貝いつものように死んでおり 
山鳩として濡れている放射能 
少女また桜の下に石を積み

眼前に起きていることを詠まないことの方がむしろ不自然であるかのように、
震災も放射能も作者の体験に基づいた等身大のものとして詠まれている。そして詠み続けてゆく中で、感情の更なる深化がみられるのである。

少女病み鳩の呪文のつづきおり

前半の花、光の章では、「暴力」「快楽」「殺意」「鬱」といったように言葉が剥きだしになっているものに佳句が多く見られたが、掲句は表現としての質が明らかに異なっている。震災を体験し、時間と共に内面の奥深くに沈潜したものから作り出された幻影のようにさえ思われる。事実か事実ではないかは、もはやどちらでも良いだろう。感情や現象を書き留める、又は思想を投影するといったものから、内面の真実を「表現」するものへと昇華し、最終章に進むにつれ、作者の感受性と想像力を持って独特な世界を獲得しつつある。

徐に椿の殖ゆる手術台 
山猫の留守に落葉の降りつづく
能面は落葉にまみれやすきかな 
次の間に手負いの鶴の気配あり 
肉よりも遠くへ投げるアルミ缶 
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん

ある物語の一場面のように、何か不吉さを予告しているようだ。言葉は柔らかくなっているものの、相変わらず得体のしれないものが漂い、むしろ世界はより複雑なものになっている。

『花修』に漂う得体のしれなさは、読み手に、(少なくとも私に)やさしく寄り添ってきてはくれない。本句集はひどく孤独であり、作者のもがき続けた痕跡は、この先も私達に疑問を投げかけ続けるだろう。そういった点において非常に稀有な句集であったと言えるのではないだろうか。

最後に、本句集の中で、少し異質だと思った句を。

獅子舞の口より見ゆる砂丘かな

獅子舞の口から見えた砂丘は、時空を超え、どこまでも広がっていく。見たことのないはずの景色なのに、懐かしく感じるのはなぜだろう。砂丘は留まることを知らず、今も尚、広がりつづけている。


【執筆者紹介】

  • 山岸由佳(やまぎし・ゆか)

「炎環」同人、豆の木参加。第33回現代俳句新人賞



【曾根毅『花修』を読む47 】 夜の端居 / 西村麒麟




立ち上がるときの悲しき巨人かな

作者の詠む幻はくっきりと見える。読者はこの悲しき巨人をただただ見送るしかない。巨人を見送る時間は、どこか安らかな感じがする。

夕焼けて輝く墓地を子等と見る

平凡な内容の句に見えるが、この句集を何度か読み返す時、不思議と立ち止まる一句。私も、子ども達も、必ず墓におさまる時がくる。墓地を見て、墓地を穏やかだと思う心は、さみしいけれど確かにある。

夜の秋人生ゲーム畳まれて

私もまた、人生ゲームの駒のように、何者かに操られたり、畳まれたりする存在ではなかろうか。なんてことまで考えはしないが、人生ゲームの片付けは妙なものだ。

朧夜の人の頭を数えけり

頭がぼんやりと浮かんでいて、それぞれに大した違いが無いようにも見える。作者も、読者もぷかぷかした頭の一つ。

秋風や一筆書きの牛の顔

すっきりと、穏やかなに、優しく、現実にはなかなかそうはいかない。この牛は作者の理想美だろう。

日本を考えている凧

どうなることやら。まぁ、いいか、と考えている凧。凧が作者のようにも見えて可笑しい。考えているような、考えていないような、そんな具合がいい。

鰯雲大きく長く遊びおり

空には壮大なものが遊んでいると思うと嬉しくなる。天上も地上も、遊びは大きな方が良い。

頭とは知らずに砕き冬の蝶

いつまでも心にこびり付くような思い出というものがある。ここでの「砕き」は最適の言葉だろう、それだけに哀しい。

闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん

ささいなことで、目前の景色を異界と感じることがある。作者にとって、そこは静かで穏やかな場所なのだろう。鳩も火も闇も現実であって、異界でもある。その境界線はぼんやりしている。

他にも

影と鴉一つになりて遊びおり 
さくら狩り口の中まで暗くなり 
ぬつと来てぬつと去りたる鬼やんま 
どの部屋も老人ばかり春の暮


の句に惹かれた。

惹かれた句には、夜風のような良さがある。夜風は変に励ましたりしないところが良い。目を細めて夜風を味わう。夜の端居をしていると、素敵な幻も見えてくる。

あぁ、そうか。

『花修』はどこか、夜の端居のようだ。


【執筆者略歴】

  • 西村麒麟(にしむら・きりん)

1983生まれ。「古志」同人。

2016年3月18日金曜日

【曾根毅『花修』を読む46 】 Giant Steps / 九堂夜想




   毅兄へ

拝啓

 君が関東から関西へ居を移してからもうどれくらいになるだろうか。久しく会う機会を持たなかったが、先日、都内で行われた某俳句勉強会にて図らずも再会を果たした時は嬉しく思ったものだった。

 ところで、君の本『花修』のことだが、告白すれば、上木からこの方さほど多く繙いたわけではない。それは、同じ俳句会に属している手前ほとんどの作品が未だ記憶に新しいということ、そして、それ以上に(殊に初期の作品に“その思い”は強いのだが)およそ二十年になんなんとする君との付き合いがもたらす抑えがたい昔日の感が、ともするとページを繰る手を鈍らせていたということもあるかもしれない。

 そうした些かセンチメンタルな読みのうちに、『花修』が湛える或るテクスチュアに絡んで私的にいくつか思い出されることがあった。まあ、他愛のない些細なエピソードだが、それでも僕にとっては或る懐かしさとともにささやかながら作品理解(あるいは作者理解といった方が正しいか)に繋がる事柄のようにも思えるのだ。それは、およそ次のようなことである。

「曾根です」―と言って、その都内にある某ミュージックスクールに君がやってきたのは‘90年代半ばの春だったか秋だったか。当時、世間は一種のプチ・サックスブームで、その音楽学校のサックス科も仕事帰りのサラリーマンやOLの生徒らで一時の賑わいをみせていた。エリック・ドルフィーと阿部薫にかぶれていた僕がそこに籍を置いてからしばらくして、君が先述の挨拶を伴いあらわれた時の様子を思い起こすのはそれほど難しいことではない。大方の生徒が基本スタイルとしてアルトを手にする中、君はシブい関西弁とともに数少ないテナーサックスの徒としてレッスンルームにやってきたのだった。ともに、まだ20代だった。その後、いくたびかのセッションと音楽談義の中で、君がかのジョン・コルトレーンの楽曲に触発されてテナーを始めたことを知るに及んで少しく頷けるものを覚えた。そうか、ソニー・ロリンズでもなく、ウェイン・ショーターやマイケル・ブレッカーでもなく、ましてやレスター・ヤングでもない、「私は聖者になりたい」と嘯き不惑の若さで亡くなったあのジョン・コルトレーンか―。

 年齢が近いせいもあってかお互い打ち解けるのにさほど時間を要さなかったが、正直、君がどのような経緯で俳句を始めるに至ったかよく覚えていない。サックスと並行して俳句を始めていた僕がその頃参加していた『海程』や某超結社句会の冊子などを君に見せていたことが多少なりとも影響したものか。直接、君に俳句作りを勧めたことはなかったと思うが、そのうちに君も手探りの中から五七五を紡ぎ始めたということは俳句の持つ何かが君の感覚に触れたということだろう。

 その時からだろうか、音楽と並んで俳句や文学談義を交わすようになったのは。「あまり本に馴染んでこなかった―」とは当時の君のセリフとして耳に残っているが、こちらも人に自慢できるほどの文学的内容があるわけではない。ただ、僕の場合、昔から「本」「音楽」「映画」をエンゲル係数として生活してきた由、“食べた”モノについてはいくらか語れたろうからそうした貧しい情報量の中から君に目ぼしい本や作家を紹介したことはあるかもしれない。そうした中で、僕が君に何を勧めたかは大よそ忘れてしまったが、君から勧められて読んだ本のことは今でも覚えている。それは松下竜一の『狼煙を見よ』というノンフィクションである。かつて、「東アジア反日武装戦線“狼”」を中心とする新左翼系活動グループが起こした連続企業爆破事件(‘74~‘75)の内幕とテロ事件前後の「“狼”」メンバーほかの動向を丹念に取材したものだ。実はこの手合いは決して得意な方ではなく、当時は思想的興味からわずかにフーリエやクロポトキン、トロツキーや北一輝、チェ・ゲバラ等に触れるのみだった。松下竜一にしても決して良い読者とは言えず、その頃の記憶では彼が実家の豆腐屋を手伝いながら綴ったデビュー作である歌集『豆腐屋の四季』と、甘粕大尉に虐殺されたアナキスト大杉栄と伊藤野枝の娘・伊藤ルイの半生を記した『ルイズ―父に貰いし名は』を辛うじて掠めていたに過ぎなかった。ちなみに「“狼”」のリーダー格である大道寺将司は、現在、死刑囚として東京拘置所に収監されているが、数冊の句集を持つ俳人としても“活動”しており、今思えば、どこか奇妙な因縁を感じないでもない。そして、『狼煙を見よ』を読み終えた時、僕はまたしても君に対して少しく頷けるものを感じたのだった。

ジョン・コルトレーンと松下竜一『狼煙を見よ』―この二つに直接的な絡みはない。また、この二要素のみをもって君や『花修』を語りきるつもりもない。だが、君という人間との関連性において、それぞれに或る共通性は窺えるなと思った。コルトレーンの音/松下竜一の文、いずれも武骨で不器用なギャロップでありながらそこはかとないナイーヴさを秘めつつ或る信念への揺るぎない強さに満ち溢れている。そのエッセンスは「愚直なまでの誠実さ」ということ。かつて「曾根毅という男はこういうところに共鳴するのだな」という感懐を抱いたが、星霜を経て今、それは君や『花修』のイメージを些かも裏切らない。

 さて、長すぎる思い出話もここまでに、『花修』評について、である。僕の意見は至ってシンプルなものだ。すなわち―次の次なる作品に期待する、と。

 物書きというものは、大方はじめの二、三編は自分の“持ち物”で書けるものだろうという考えを抱いて久しい。その意味で君の『花修』とは、それなりの内容を有し、それを書けるだけの力量を持つ人間が、それを発揮したという“証明”であり、また俳句作家・曾根毅のやや遅きに失した俳句界へのささやかな“挨拶”に過ぎない。ゆえに、僕からすれば『花修』とは褒めるも貶すもなく、言わば批評以前の句集なのである。といっても得心がいかないかもしれない。こう記せば伝わりやすいだろうか。『花修』は、君の私的俳句史からは五年、公的俳句史からは五十年の遅れを取っている。前者の年数は便宜上のものだ。五年であろうと十年であろうと、要は君の内実に比して刊行が“遅きに失した”ということが理解されれば良いのだから。後者については、賢明な君ならば気付いていないはずはない。君の直接の師である鈴木六林男をはじめ、君が決定的な影響を受けたかつての新興俳句の作家たちの句業を熟知していれば「宜なるかな」と思わない方がおかしいのだ。
 先刻、僕は君のことを「俳句作家・曾根毅」と書いたが、このように記する時、僕は君の俳句行為を六林男はもちろんのこと、誓子、三鬼、白泉、窓秋、赤黄男、または鬼城、蛇笏、石鼎、普羅、水巴、さらには子規、虚子、碧梧桐、はては芭蕉にまで連なる同一線上の批評軸において見ているのだ。これまで数多くの評者が『花修』について書いてきた。それぞれに真摯な、また友愛的な態度で書かれたものだろう。だが、それらが如何なるスタンスだとしても他者の毀誉褒貶など僕には一向与り知らぬことだ。僕にとって問題なのは、『花修』が1ミリたりとも僕を“殺さない”ということなのだから。

「俳句を書く」ということを、君はどのように考えているだろうか。それは、あたかも鏡に自身を映すように季語と五七五に己を仮託し移してゆく自己投影の営み―すなわち「自己表現」であろうか。以前、別のところでも書いたが、僕はその“短さ”と“定型”ゆえに主体をその主体自体から切り離しつつあらたな創造へと向かう「脱自‐超俗」の道と考えている。<書く>とは、いわば終わりなき“私殺し”であり、その度ごとに自己を超えてゆく「超脱」の法ということだ。「秘すれば花」―これは君が自身の本のタイトルモティーフとした『風姿花伝』の中で最も人口に膾炙した言葉だが、僕流に換言すれば、それは差し詰め「弑すれば花」といったところだ。君が討つべき相手は、師・六林男であり、新興俳句の作家たちであり、そして何より己自身である。

2011年3月11日。あの日、かの地で、君は何を見たか。東日本一帯を突如襲った未曾有の大地震と大津波―その日、偶然、仕事の出張先である東北にいた君は、そこで一体何を体験し、何を感じたか。それは他者が不用意に踏み込めぬ領域ではあろうけれども、人間・曾根毅としての君が確実に“何か”に討たれたであろうことは想像に難くない。が、『花修』ではそのテーマが表層レベルに止まっていることは否めない。急いで付け加えれば、ここでいうテーマとは「震災」や「原発」などといった瑣事(!)ではない。諸々の「存在」と「時間」、その変容と大いなる可能性のことだ。むろん、君ならば所謂「震災詠」なるものをコルトレーン張りの“シーツ・オブ・サウンド”で書きまくることも可能だろう。事実、そのような作家連もいた。ここでは、そうした作家および作品への論評は控えるが、敢えて言えば、そうした“地上的”かつ“人間的”な視点や感覚での表現は疾うに先達が試行していることである(たとえば戦火想望俳句)。ともあれ、君が“持ち物”をすべて吐き出したところから俳句作家・曾根毅の本当の俳句行為は始まるだろう。

ところで、ここまで『花修』の作品を一つも出さずにきたが、出来如何とは関係なく心に深く刻印された一句がある。

立ち上がるときの悲しき巨人かな

作家の本質はその処女作によくあらわれる―とは僕の今一つの持論だが、『花修』冒頭の掲句を読むたびに、曾根毅は図らずも自身(または人類?)の“運命”を書いてしまったのではないかという複雑な気持ちにとらわれる。むろん、誰しも順風満帆な人生など送れるはずもなく、僕の見方もたんに人間的甘さからくるロマンティシズムに過ぎない。が、俳句においても、実人生においても、そのような“とき”が君にたびたび訪れるのではないか。しかし、それが君の大いなる足跡 Giant Stepsのプロセスと考えるならば、むしろそれは歓待すべき“とき”かもしれない。

最後に蛇足ひとつ。時折、君から周囲の“雑音”についての悩み(?)を聞かされることがある。第四回芝不器男俳句新人賞を受賞して以来、宝くじの当選者に急に新しい“親戚”が増えるように、様々な人たちが君の周りを取り囲んだことだろう。それに連れて耳触りのよくない雑多な“ノイズ”も飛び交ったに違いない。言えば「選ばれてあることの恍惚と不安」といったところだろうが、これも“とき”のひとつと考えればいくらかの達観にはなるだろうか。あるいは助け舟代りにひとつ僕が言っておこうか―「曾根毅をナメんなよ。彼は『花修』程度で終わる作家じゃねぇんだ!」
さて、布石(放言?)は打っておいた。あとは君がそれを証明するだけだ。切に君の健康を祈る。                     

敬具  

夜想拝



【執筆者紹介】


  •  九堂夜想(くどう・やそう)


 1970年生。『LOTUS』編集人。

【曾根毅『花修』を読む45 】 まぶしい闇 / 矢野公雄



吟行句会をともにする仲間として、曾根君の作風は、暗い、硬い、怖いの3Kだと思っていた。なので、送られてきた第一句集の装丁の、やけに明るいことに吃驚したことを覚えている。
しかしながら、一寸ページを繰るだけでも、溺死、墓標、暗黒、暴力、鬱、殺意、悪霊、といったボキャブラリーの氾濫にぐったりする。

3Kは蔽うべくもなく、その目で改めて装画を見ると、明るさのなかに、なにやら狂気のようなものが潜んでいるように見えてくる。

なんだか、術中にはまった感じ。

3Kなどと乱暴な言い方をしたが、それは、とりもなおさず、曾根君が、暗く、硬く、怖い現実と格闘していることの証左であろう。震災などは、もっとも目をそむけたい現実である。そうしてそれは、彼が、花鳥風月に遊ぶというアティテュードをとらない新興俳句の系譜を継ぐ、正統なる異端者だということでもある。

鶴二百三百五百戦争へ 
くちびるを花びらとする溺死かな 
木枯の何処まで行くも機関車なり 
天牛は防空壕を覚えていた 
少女また羽蟻のように濡れており

いかにも新興俳句的。

存在の時を余さず鶴帰る 
玉虫や思想のふちを這いまわり 
ロゴスから零れ落ちたる柿の種 
鶏頭を突き抜けてくる電波たち 
祈りとは折れるに任せたる葦か

これらの句群の手触りは、俳句というよりも、現代詩に近い。
実際、彼は、資質として、俳人よりも詩人に近いのではないかと思うことが、ままある。吟行中、俳人にあるまじき暴言を吐き、周囲を凍りつかせる。お茶目なことに、植物の名前に疎い。そうして、合評では、些細な言葉にも拘りぬく。

一方で、曾根君は、吟行の最中に矢鱈と「名句が出来た」と吹聴して、周りを焦らせる困った人でもある。名句を志向するということは、おのずから、不易なるものを希求しているということにほかならない。

春の水まだ息止めておりにけり 
滝おちてこの世のものとなりにけり 
頬打ちし寒風すでに沖にあり 
黒南風の松を均していたるかな 
ゆく春や牛の涎の熱きこと

これら、古典的ともいえる、骨格のしっかりとした「名句」において、彼は間違いなく俳人である。
一寸調べてみると、「かな」止めの句が38句、「けり」止めが27句ある。この二つの句形を足すと、実に全体の22%を占める。意外と古風なのである。詩人の資質を持ちながら、俳句ならではの文体を偏愛しているようである。

震災詠という非常にアクチュアルな面がクローズアップされがちであるが、むしろ、古典から、新興、前衛、詩、俳にまたがる多面性こそが曾根君の魅力であり、「花修」の奥行きではないか。

「花修」の読後感は、不思議に暗くない。
それは、曾根君が、現実の闇から取り出す言葉が、ときに不易なる光を放っているからであろう。棹尾の句が、実に暗示的である。

闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん


【執筆者紹介】

  • 矢野公雄(やの・きみお)

知っている人しか知らない俳人

2016年3月11日金曜日

【曾根毅『花修』を読む44】 伝播するもの  / 近 恵



曾根毅は何を見たい、何を感じたいと願い、そして何が見えて欲しい、何を感じて欲しいと望み、言葉を紡いでいるのだろう。

「花修」という句集、そのカバーの絵は明るい線で描かれたどこまでも長閑な緑濃い田舎の景色に思える。しかし、いざ読み進めてみるともう最初の一句目から表紙にあった長閑さはどこにもなく、不穏で不安な緊張感に溢れている。

この「花修」は東日本大震災の時期を中程に据え、時系列に沿った形で章立てされていて、震災前震災後の自分を辿り直しているように作られている。その章立てにも意味があるのであれば、私も章ごとに感じたことを書いてみようと思う。

花(平成十四年~十七年)

鶴二百三百五百戦争へ
稲田から暮れて八月十五日
いつまでも牛乳瓶や秋の風
讃美歌のどこまでつづく塀の上

敢えて句集のために、導入部としての不穏な句を集めたように感じる。この世のどちらかというとハレではなくてケの部分ばかりを想像してしまう。八月十五日の句があることから、世界中のどこかで今ある戦争というよりも、日本が敗戦した太平洋戦争の事を思い、終戦後に生まれこれまで歩いてきた自分の世界は正しかったのだろうかと疑念を抱いているように感じる。

光(平成十八年~二十年)

この国や鬱のかたちの耳飾り
さくら狩り口の中まで暗くなり
五月雨のコインロッカーより鈍器
爆心地アイスクリーム点点と
塩水に余りし汗と放射能
地球より硬くなりたき団子虫

一句づつ読めば違うのだろうが、あえてバイアスをかけて読めばどの句もなにかしらの示唆に富んでいる。昭和の時代が終わり、20世紀が終わり、新聞の見出しだけでも十分に嫌になるくらいの起こって欲しくない事件や事故。自分には関わりのないことだと目をつぶり、あるいは憐れんだりするのではなく、ただそのままに書きとめてあるような言葉の連なりが余計に様々な事を想像させ思い出させる。作者の不安が少しずつこちらに伝播してくる。こちらが一句一句に暗い意味を持たせてしまう。

蓮Ⅰ(平成二十三年~二十四年)

薄明とセシウムを負い露草よ
桐一葉ここにもマイクロシーベルト
燃え残るプルトニウムと傘の骨
山鳩として濡れている放射能
人間をすり減らしてはなめくじら
少女病み鳩の呪文のつづきをり

東日本を襲った大地震と大津波、そして東電福島原発の大事故を受けての句群である。特に目に付いたのは原発事故に関わる俳句である。大地震や大津波はこれまでも何度も日本を襲ってきた。私自身青森県の太平洋側で生まれ育ったので他人事ではないし、沿岸部に生きる人達が津波に襲われても何度も立ち上がって生きぬいてきたことも知っている。豊かな海があって山があって耕せる土地があれば悲しみを抱えても何度だって生きるのだ。だから震災にまつわる句は、悲しみの共有こそできても絶望まではゆかない。しかし原発の事故はそうはいかない。なにしろ見えないのだ。なのに否応なしに汚染されてしまったのだ。病気にだってなるかもしれない。そしてそれは自然災害ではなく人が起こしたものなのだ。それが不安であり救いのなさなのである。降り注ぐセシウム、計測器が示す数値、放射能に汚染されてしまった数多のもの。いくら季語と併せてみたって全く情緒を感じないそれらの言葉を俳句の中に象徴としてではなくダイレクトに使うことで、間違いなく不安の根がそこにあるのだと訴えてくる。

蓮Ⅱ(平成二十五年)

木枯に従っている手や足ら
少しずつ水に逆らい寒の鯉
身籠れる光のなかを桜餅
菜種梅雨鉄の匂いの腕を垂れ
人は名を呼びかけられし月夜茸
引越しのたびに広がる砂丘かな

震災や原発事故のショックから落ち着きを取り戻しかけてきているように感じる。希望も見え隠れしている。身籠りの句や子供の句がその役割を果たしている。しかし拭い去ることのできない不安や、無力感といったものも感じられる。例えば従っている手足、逆らっている鯉、垂らした腕、引越しの度に広がる砂丘。これらは自らの無力感を象徴しているように感じる。それは「花」「光」の章ではあまり感じられなかったものだ。私はこれが震災や原発事故以降に起こった作者自身の変化の表れなのだと考える。

蓮Ⅲ(平成二十六年)

日本を考えている凧
冬薔薇傷を重ねていたるかな
玉葱を刻みし我を繕わず
鶏頭を突き抜けてくる電波たち
祈りとは折れるに任せたる葦か
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん

前章よりも静かな怒りと憂いと悲しみが表出している。激しい言葉は形を潜め、一見花鳥諷詠ともとれるような句が並び始めるが、それは本当はずっとこうだったらよかったのにというもはや叶わない望みなのではないか。痛みがあるのだという事を、乾ききる前の瘡蓋を無理にでも剥いで血が滲むのを見つめながら思いだし、祈るほか何も出来ない無力なる自分を肯定しているように感じる。

人は事故や災害や不幸な出来事に遭遇し、あるいは体験した時、それを様々な形で語らずにはいられない。他人にそれを語ることで、悲しみや不安といった感情はすこしずつ発散され、薄められ、少しずつ平静を取り戻してゆく。それは人が人として生きてゆくために必要な心のシステムなのだ。自分一人の中にそれを抱え込んだままにしておくと、多分に精神衛生上よろしくなく、よく言う「話したらスッキリした」というやつなのだが、話をされた側になってみると、悲しみや不安を分かち合う訳だから、多少なりとも心を乱されてしまうということになる。「花修」を何度か読み返しているうちに、それに似た気分になっている自分がいることに気が付いた。句から感じ取れる不安なものが私の気分に微妙に影響を与えるのだ。そして、私の中にあって表面化していなかった、あるいは気付かなかったことにしておいたものが自分の中で浮き上がり、否応なしに向き合う破目となり、それは思いがあるけれども事象としては自分で解決することができないという無力感に襲われるなどという、なんとも悩ましい気分になったのである。そういう部分ではある意味とてもエネルギーを内包した作品集なのではないか。

更には作者自身も「話してスッキリ!」という状態ではちっともないように思える。それが曾根毅にとっての震災以降なのであり、この句集をもって一旦完了などとならず、現在進行形で未だ続いているということなのだろう。


【執筆者紹介】

  • 近恵(こん・けい)

 1964年 青森県八戸市生れ、東京都在住
「炎環」「豆の木」所属 現代俳句協会会員
 第31回現代俳句新人賞
 合同句集「きざし」

【曾根毅『花修』を読む 43 】 『花修』の植物と時間 / 瀬越悠矢



筆者は以前、『花修』について、約三分の一が〈植物〉の句によって占められていると指摘したことがある。またそこでは、対象となる存在の持続性とその存在自体に対する脅威との相補的な関係や、「蓮Ⅱ」「蓮Ⅲ」が前三章と異なる様相を示す要因のひとつとしての滑稽味などについて述べた。(http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/07/blog-post_19.html

ここでは『花修』における〈植物〉の句を具体的にいくつか取り上げることで、上述の点について確認してみたい。その際、前回は簡単にしか触れられなかった「蓮Ⅱ」「蓮Ⅲ」に焦点を当てる(じっさい〈植物〉の句の半数以上が含まれるのは、この「蓮Ⅱ」「蓮Ⅲ」である)。

まずは措辞の面から考えて持続性が明らかなものを、いくつか挙げてみよう。

白菜をゆでている間の襁褓かな  (蓮Ⅱ) 
白梅や頭の中で繰り返し  (蓮Ⅱ)   
鳥葬の傍らにあり蛇苺  (蓮Ⅱ) 

乳母車止め置きたる桜の根  (蓮Ⅱ)

いずれも季語と人為との取合せである。「ゆでている」「繰り返し」「傍らにあり」「止め置きたる」といった表現は、存在あるいは状態の持続性を示すものであり、そうしたければより簡潔に描くこともできただろう。しかしあえて時間にそった人間の営みを強調することで、傍らの植物の時間もともに引き延ばされ、季語はいっそう実在感を得ているように思われる。

上との対照を際立たせるため、次にあえて持続性が弱いものを選んでみよう。

徐に椿の殖ゆる手術台  (蓮Ⅱ) 

醒めてすぐ葦の長さを確かめる  (蓮Ⅱ)

季語と人為の取合せであるという点は共通しているが、季語以外で用いられる措辞が比較的限定的な時間を示唆するものとなっている。「徐に」「すぐ」といった表現によって時間およびそれにともなう場所が限定されることで、季語はむしろ瞬間的に鮮烈なイメージを与えるものとなる。

ただしこのとき、持続性が強調されていた場合とは異なって、季語の斡旋はより困難になるかも知れない。時間の幅を描かないぶん、景にふさわしい植物は何か(あるいは植物にふさわしい景は何か)という問いが、いっそう切実になる。掲句は抽象度の高い表現との取合せであり、こうした問いへの作者の応答が顕著な例と言えるだろう。

「蓮Ⅲ」からも持続性という観点からこれが明らかなものを、いくつか挙げる。

傾いている一人子や忍冬  (蓮Ⅲ) 

紫陽花や舌を震わせたるままに  (蓮Ⅲ)
  
老茄子思弁のごとく垂れてあり  (蓮Ⅲ) 

山猫の留守に落葉の降りつづく  (蓮Ⅲ)

「傾いている」「ままに」「垂れてあり」「降りつづく」といった表現は、やはり意図的に選ばれたと考えるのが妥当だろう。季語は時間の中に置かれることで、それ単独で置かれたとき以上に、確かな奥行きを得ている。そしてこうした傾向は「蓮Ⅱ」から「蓮Ⅲ」に至るにつれ、わずかながら増しているような印象を受ける。

念のため同様に、これとは反対の方向性を探るような句を取り出そう。

唐突に梅咲きはじむ二人かな(蓮Ⅲ) 

千手千眼一瞬にして紅葉山(蓮Ⅲ)

やはり「唐突に」「一瞬にして」という語句によって、時間は極小まで切り詰めされている。重要なのは、ここで時間というのがあくまでも主観的なものであり、宇宙的時間(客観的時間)ではないという点だろう。「唐突に」「一瞬にして」は日常的に用いられることばであり、とりわけ世界をそのように捉える主観に寄り添ったものである。

同じことは、ここに挙げた句のすべてについて言える。時間がその主観に即したかたちで述べられることで、ほとんど必然的に植物は主観とともに現前する。冒頭に挙げた記事のなかでは『花修』を「美しくも不気味な世界」と形容した。仮に句集に「不気味な」印象があるとすれば、それは植物の(世界の)存在とそれを時間において見つめる主観が不可避的に並在することで、それがあたかも主体と存在しかその場にないかのような感覚を読者が抱くからではないか。もちろん、その感覚が錯覚である可能性も十分に考えねばならない。

もとより読者の言語感覚によって時間の感じ方には差があり、すべての句を上述の二分法のもとに整理しようとすることには意味がないだろう。しかし『花修』に豊富な〈植物〉の句に時間を意識したものが散見されることは確かであり、それらに学ぶことは無駄ではないだろう。


【執筆者紹介】

  • 瀬越悠矢(せごし・ゆうや)

1988年兵庫県生まれ。関西俳句会「ふらここ」所属。

2016年3月4日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 42 】  世界の行進を見る目 / 大城戸ハルミ




冬めくや世界は行進して過ぎる 

こう書く作者は、過ぎゆくものをじっと見つめ、思索にふけっている。『花修』の格調と批判性を伴う作品群に何度も立ち止まらせられた。

立ち上がるときの悲しき巨人かな 
暴力の直後の柿を喰いけり 
この国や鬱のかたちの耳飾り 

そのふるまいに悲哀の宿る「巨人」。柿によって「暴力」のイメージにつながれる我々。耳飾りとしてこの世の鬱を負う「この国」。行進は軽快なものではなく、不安の様相を帯びる。
  
月明や昨日掘りたる穴の数  
欲望の塊として沈丁花  
春すでに百済観音垂れさがり 
初夏の海に身体を還しけり 
原子まで遡りゆく立夏かな

つるはしで、ドリルで、ショベルカーで、素手で―世界中に掘られた昨日の「穴」。生き残るための人の行為の跡が月光に照らされる。動物や昆虫を加えれば、昨日の「穴の数」は無限だ。この透徹したまなざしは、沈丁花の香りに欲望を観、優美な百済観音に願いの重さ、疲れを感じ取る。作者の思索は、海から陸に揚がった生命の歴史や、物質の根源にまで及ぶ。その調べは嘆きとも怒りともちがう、作者の世界観の表出である。

山鳩として濡れている放射能 
葱刻むところどころの薄明り 
祈りとは折れるに任せたる葦か

見えない放射能は、濡れた山鳩の形で提出され、読者の頭の中に不気味な揺らぎをもたらす。葱を刻む日常の「ところどころの薄明り」を希望と読むか諦めと感じるかは、読者に委ねられる。身を折る葦の「祈り」は、容赦ない時の流れを思わせ痛切だ。
句に持ち込まれる硬質な抽象語にとまどうこともあった。世界の行進を見つめる作者の目は、句集の後半、より細部をとらえ、句の奥行きが増してくる。この世界の条理・不条理、美しさ、悲しみを刻もうとする強い意志を感じた。

師・鈴木六林男の晩年、曾根さんは彗星のように「花曜」の句会に現われ、中高年が占める会員のなかで異彩を放っていた。それは、温かな希望だった。『花修』のそこここに六林男の背中を見たが、曾根さんはこれから、悠然と己の山を登っていかれることでしょう。



【執筆者紹介】

  • 大城戸ハルミ(おおきど・はるみ)

1959年生まれ。「六曜」編集同人。現代俳句協会会員。



【曾根毅『花修』を読む 41 】 2016年2月、福岡逆立ち歩きの記―鞄の中に『花修』を入れて―   / 灯馬




曾根コルトレーンさま、もとい曾根毅さま。

記念すべき第一句集『花修』の書評もどきの原稿、やっぱり〆切を過ぎてしまいまして、申し訳ありません。

正直な話、ずっと気には懸けていたのです。先日の出張の際にも、句集はちゃんと荷物に入れていたんですよ!ぽっかりと空いた自由時間に、部屋に籠もって原稿を完成させておけばよかったのでしょうけれど、ついつい脱走してしまったのです。でも、その際にも、句集は携えていったのです。や、ホントですってば!

脱出先はミュージアムでした。忙しい最中に、ほとんど急き立てられるように早春の空の下へ飛び出してしまったのは何故だったのか。いえ、断じて現実逃避ではなかったと思います。ひょっとしたら、『花修』というレンズを透かしてうつくしいものを眺め、その感覚を確かめてみたくなった…のでしょうか。

曾根さんのこの句集には、淡い死の匂いと、しずかな生への希求、生命に対する肯定感とが、当然のような顔で隣り合わせに存在しています。そうした曾根さんの独特の視角―「ニューグランドホテルズ」の真っ黒なサングラスよりも明度が高いレンズの入ったメガネ―を借りて世界を見渡せば、常日頃から見慣れたモノさえも、いつもと少し違う表情を見せてくれそうな気がするのです。

永き日のイエスが通る坂の町

桃の花までの逆立ち歩きかな

一日目は、博多駅から太宰府行きの都市高速バスに乗りました。窓越しに水城や政庁跡などを眺め、天満宮の参道と境内を通って、「黄金のアフガニスタン展」に辿り着きました。紛争が続く中、アフガニスタン国立博物館員たちの文字通り命がけの努力によって破壊や略奪を免れたり、国外流出後に心ある人々の手に渡り、保存・修復されたりした、貴重な文化財が展示されていました。
東西の交流の豊かさを物語る財宝の中でも、遊牧民の王族たちの墳墓の遺跡から人骨とともに発掘された黄金の装飾品の数々は、溜息が出るほど繊細で愛らしく、洗練されています。「王妃のしるし」の豪奢な冠―移動に便利な分解・組立て式!―に眼を凝らすと、厳重に温湿度管理された展示ケースの中、金貨大のスパンコールを連ねた垂飾りが、空調機の風に微かに揺れていました。1世紀につくられた遺物が今、21世紀の風に触れている!もしも曾根さんがこの光景を眼にされたなら、一体どんな句が生まれていたでしょうか。苛烈な暴力を逃れて輝きを放つ黄金の宝物は、句集の中で不穏な気配を漂わせるいくつかの句を連想させました。

鶴二百三百五百戦争へ

この国や鬱のかたちの耳飾り

その翌日は大濠公園へ、モネ展を観に行きました。モネといえば有名な「睡蓮」。その本当の魅力は、花そのものよりもむしろ、周囲の草木や橋や空を映しこんだ鏡のような水面の描写にあるのだそうです。
『花修』にも水をモチーフにしたうつくしい句がいくつか収められていました。曾根さんの句も「睡蓮」の池のようです。仄暗い水の中をふと覗きこめば、繁茂した水草がゆらゆらと揺れて、引き込まれてしまいそうになるのです。

春の水まだ息止めておりにけり

くちびるを花びらとする溺死かな

水吸うて水の上なる桜かな

しかしこの日、いちばん鮮烈に印象に残ったのは、ジヴェルニーの庭を描いたらしき最晩年の作品でした。86年の生涯のうちに得た二人の妻にも、彼が幼少期の姿を描いた息子たちにも先立たれたあと、視力の悪化が進んだ時期に描かれた風景画は、「芸術はバクハツだ!!」の岡本太郎も顔負けの荒々しさで、前衛的な抽象画のよう。何が描かれているのかはもとより、完成作なのか未完の状態なのかさえも判別困難だと、キャプションにも明記されていました。それらの画に、孤独な老画家の悲哀ではなく、原始的なエネルギーと一抹の不思議な明るさを感じ取ることが出来たのは、生と死が等価に描かれた『花修』というレンズの効果ではなかったかと思うのです。

冬薔薇傷を重ねていたるかな

昔、何かの本の中で「正の無常」ということばを眼にしました。生命あるものはいつか必ず滅ぶが、それと同時に、この世の在る限り生命の誕生は絶えることなく続く、それもまた「無常」のうちなのだ―確かそんな意味だったと記憶しています。

雪解星ふっと目を開く胎児かな

原子まで遡りゆく立夏かな

滝おちてこの世のものとなりにけり

身の周りに溢れる正と負の「無常」を人一倍鋭敏な感覚で捉えながら、曾根さんは、それを思いもよらぬかたちに結晶させ、私たちの前に示してくれます。これからもずっと、出来れば一生、俳句を続けて下さい。そう、どんなことがあっても絵を描く喜びを持ち続けたであろうモネのように。

人の手を温めており涅槃西風



【執筆者紹介】

  • 灯馬(とうま)

1970年生まれ、ほぼ福岡育ち。2001年、松山へ赴任。
2014年、第3回「大人のための句集を作ろう!コンテスト」優秀賞受賞。

2016年2月26日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 40 】 曾根毅句集『花修』を読む / わたなべじゅんこ



 『花修』落掌、さて表紙の美しさにほれぼれしつつ、悩みが始まる。
「なんて読むんだろ?」・・・・・はなおさめ?かしゅう?個人的にははなおさめと読みつつ、タイトル横に添えられているふりがな「かしゅう」に気が付く。

目次には「花」「光」「蓮Ⅰ~Ⅲ」とある。花がお好きなんだなあ、と表紙絵のごとく明るい気分で読み始める。


 立ち上がるときの悲しき巨人かな

いきなり「悲しい」と言われて、こちらもなんだか悲しくなってしまう。しかもいまはやりの進撃の巨人?『進撃の巨人』とは平成21年より別冊少年マガジン(講談社)にて連載開始。したがって、掲句とは全くの無関係であることを了解し、もう一度掲句を眺める。


古来、巨人とは獰猛だったり、理不尽だったり、あまり人間と交感しない存在。ファンタジーではトロールなどに代表されるように愚かで乱暴なだけの存在として描かれることも多い(『ハリーポッターと賢者の石』1997、『ナルニア国物語』1950『ホビットの冒険』1937・・・トロールはもともと北欧神話に登場する妖精のこと)。

ふと、シーシュポスの逸話を思い出したのは大きな岩を惨状へ運ぶ姿をいつの間にか巨人の姿に置き換えていたと見える。ギリシャ神話に於けるシーシュポスは人であって巨人とは書かれない。あえて言えば巨岩を運ぶ労苦のひとである。

鶴二百三百五百戦争へ

200+300=500?それとも、200+300+500+・・・・? 数字に意味を求めつつ、たくさんの鶴が飛んでいく様を想像するとその迫力と美しさには圧倒されるにちがいないと確信が持てる。
一方で、この鶴が折り鶴という選択肢はないのか。折り鶴は願いの象徴であり、広島の原爆の子の像にはおそらく万の単位の折り鶴が捧げられているだろう。折り鶴が祈りを象徴する存在である以上、下五は平和でなければならないはずだ。それが予定調和だといわれても、そこは譲れない。しかしながら、戦争へ向かっていくわけだから、これはやはり折り鶴であってはならないのだろう。
鶴は北の国から来て北の国に帰る。これが日本での一般的な見方。とするなら、この鶴は北の戦争に帰って行くことになる。・・・なるほど、ロシアか。チェチェンに始まり今ではウクライナでも戦闘が続く荒れた北の大地である。

存在の時を余さず鶴帰る

これも飛び立っていく鶴の姿を捉えたもの。おそらくは一羽たりとも残らぬ潔い旅立ちの姿なのだろうと思う。とはいえ「存在の時を余さず」は難解。鶴自身の存在した時間ということでいいのか。「時」のなかに何か含み込んでいるようで、その「時を余さず」の内容がもう少し明確になればいいのにと思う。

春の水まだ息止めておりにけり

春の水が息をとめているのか?それとも私自身が息を止めているのか?どちらにも読める。まだ冷たい凍ったままの水が、あるいは凍みたままの雪が溶けて行く。そのことを「息止めて」といったのならば平凡か。             (以上ブログ記事草稿)

そんなこんな考えていたら空の会に招かれ、曾根毅氏の句集『花修』についてレポートをとのこと。同じ読むなら、とほいほいお引き受けして、過日報告してきた。以下、そのときの資料と後日改めて考えたことをここに記しておきたい。少々文体やらなにやら変わるかもしれないがお許し願いたい。

発表当日、私は大雑把に見て、曾根氏の句に三つの軸を見出した。

1宗教的語彙への指向性
2社会的な指向性
3本歌取り的な指向性
これらについて強い指向性を持っているのではないか、と句集から拾い上げたものを披瀝した。それをもとに、竹中宏氏は「象徴性の高い語を使う、多義的なものを目指す」というのがこの句集の特徴ではないかとまとめられた。また会場では、加田由美氏ほか数名から鈴木六林男の作風との強い類似性が指摘された。

以下が、当日配布した引用句である。(なお、より的確性を期し当日使用した用語は変更した)

〈宗教的語彙への指向性〉宗教的な語を念頭に置き作句しているもの。



永き日のイエスが通る坂の町



佛より殺意の消えし木の芽風
神鏡に近づいてゆく大百足
憲法と並んでおりし蝸牛
阿の吽の口を見ている終戦日
天高し邪鬼に四方を支えられ
悪霊と皿に残りし菊の花

蓮Ⅰ

しばらくは仏に近き葱の花
少女また桜の下に石を積み
墓場にも根の張る頃や竹の秋
春近く仏と眠りいたるかな

蓮Ⅲ

人の手を温めており涅槃西風
涅槃の夜一雫のみ音を立て
黄泉からの風に委ねて蛇苺
秋霖や神を肴に酒を汲み


〈社会的指向性〉社会的、時事的な語を軸に作句しているもの。




立ち上がるときの悲しき巨人かな
鶴二百三百五百戦争へ
稲田から暮れて八月十五日
暴力の直後の柿を喰いけり
冬めくや世界は行進して過ぎる



この国や鬱のかたちの耳飾り
五月雨のコインロッカーより鈍器
爆心地アイスクリーム点点と
塩水に余りし汗と放射能
敗戦日千年杉の夕焼けて
温暖な地球のつるべ落としかな
手に残る二十世紀の冷たさよ
木守柿不法投棄に取り巻かれ

蓮Ⅰ

薄明とセシウムを負い露草よ
桐一葉ここにもマイクロシーベルト
燃え残るプルトニウムと傘の骨
放射状の入り江に満ちしセシウムか
布団より放射性物質眺めおり
生きてあり津波のあとの斑雪
山鳩として濡れている放射能
原子炉の傍に反りだし淡竹の子
夏風や波の間に間の子供たち

蓮Ⅱ

ところてん西へ西へと膨れけり
天牛は防空壕を覚えていた
みな西を向き輝ける金魚の尾
寒き夜核分裂を繰り返し
諸葛菜活断層の上にかな
原発の湾に真向い卵飲む

蓮Ⅲ

日本を考えている凧
殺されて横たわりたる冷蔵庫


〈本歌取り?〉先人の作品を念頭に置いている、もしくは読者に別の先人の句を想起させうるもの。

木枯の何処まで行くも機関車なり
爆心地アイスクリーム点点と
頬打ちし寒風すでに沖にあり
永き日や獣の鬱を持ち帰り
皃の無き蟷螂にして深緑

「象徴性の高い語を使う、多義的なものを目指す」という方法、つまり大きな思想(宗教や社会的時事的事象)に拠る作り方は、同世代、同時代の読者の共感は得やすい(もちろん反発も得やすい)。個人的な体験より意味を共有しやすいし、より個人的な体験へおろしてきやすいからしたがって共感もしやすい。(だから、逆に自分の感じ方と違うという反発も生じやすい)。大きな思想は抽象性が高く受け取り方の個人差が大きくなる。たとえば「神」といっても日本的な八百万の神なのか西洋的中東的な一神教の神なのかでその一句の解釈は大きくかわってくるだろう。

曾根氏の作風はそのような先にある思想や作品に大きく寄りかかっているのだ。その作り方の問題は読者を選ぶということだろうと思う。スキキライ、主義の賛成反対、そういったことももちろんだが、それだけでなく、その句の意図するところの理解について読者を選ぶのではないか、という点だ。要はわかるわからない、というところ。

それが如実に出たのが本歌取り的な指向性というカテゴリーに括ることのできる作品群。そもそも日本の和歌の伝統の中にあって本歌取りは立派な技法である。それは、先人の作品がわかっているからこそ作ることができる、そしてそれを解釈することができる、という作者読者双方の了解があってこそ成立するというもの。修辞としてはパロディーの一つと考えることができよう。

たとえば〈木枯の何処まで行くも機関車なり〉、この句については山口誓子の〈海に出て木枯帰るところなし〉や〈夏草に汽罐車の車輪来て止る〉をすぐに思い出せる。これをただの翻案だというか、その先行句をも内包した表現と捉えるかは、曾根氏の句の自立力によるのだろうと思う。もし前者であるならばそれはただの俳句連想ゲームになってしまう。後者になるならば、もはや先行句など問題にならなくなるのではないか。その意味で先の句などは成功しているとはいいがたい。ただのオマージュに過ぎない。

一方、〈永き日や獣の鬱を持ち帰り〉は芝不器男の〈永き日のにはとり柵を越えにけり〉との対比にある。鳥と獣、穏やかさと鬱。対置されたときの面白さ、が作者の意図だとするならこれは成功した部類に入れてよいと思われる。

けれど、つねに自分の句が先行句のどれかと対置されて読まれ続けるのだとしたらそれは作者にとっていずれは不本意なものになるだろうという気もする。結局、自分の表現の半分を先人の句が担っているということになるからだ。本歌取りが珍重されたのは、自身の教養や知識を暗にも明にもアピールすることができたからで、そこから独り立ちした一首をものすことができたのはごくごく限られた歌人たちだけだったのではないだろうか。


私はこの句集を読者として読む分には楽しかった。常に裏にある思想、主張、とりわけ先人の句を想起させる一種のゲームとして楽しめたからだ。あの句この句、と私は自分の知識や記憶と勝負しながらこの句集のある部分を読んだわけで、それは言い換えれば江戸時代の談林俳諧と同じありかたということでもある。その意味で、栞にある対馬康子氏のいう「俳諧師」という語は実に的確に曾根氏の立ち位置を表したものだと思われる。ある種の謎解きが俳諧の面目であり、『花修』にはその面目がふんだんに取り入れられているからだ。


ところで。
面白いのは宗教的な語彙への指向が収まるとほぼ同時に社会的な指向が始まる。つまり、自分の中の大きなテーマ(足場?)が宗教的なものから社会的なものに移動したと思われるのだ。若かりし頃の壮大な思想は、自身の属する社会に汚染され吸収されて、自身もまたより現実的になっていく。そういう人生における年代の悲哀のようなものが見え隠れするようだ。

『花修』はつねに「第4回芝不器男俳句新人賞」とともに語られる句集になるだろう。セシウムやプルトニウムといったものを超えて、次に氏がなにを詠みたいと思うのか、大いに興味あるところだ。



わたなべじゅんこ選

我が死後も掛かりしままの冬帽子
元日の動かぬ水を眺めけり
霾るや墓の頭を見尽して
ねむる子ら眠りつづけて竜の玉
水吸うて水の上なる桜かな
身の内の水豊かなり初荷馬
家族より溢れだしたる青みどろ
鳥葬の傍らにあり蛇苺
雪解星ふっと目を開く胎児かな
薄氷地球の欠片として溶ける
乳母車止め置きたる桜の根
唐突に梅咲きはじむ二人かな
指先が水に触れたる目借時
原子まで遡りゆく立夏かな
椎若葉空を違えていたるかな
罵りの途中に巨峰置かれけり
七五三錫の匂いを纏いけり
山猫の留守に落葉の降りつづく
狐火のかすかに匂う体かな



【執筆者紹介】

  • わたなべじゅんこ(わたなべ・じゅんこ)

記載なし