2016年1月15日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 28 】 終末の後に / 小林かんな



『花曜』の外にいた人間としては、曾根さんとの出会いは古い方だと思う。「北の句会」でご一緒したのは『花曜』の終刊以前だったはずだ。句会などで発表される俳句は折々目にしてきたが、句集を通読するとなると、その重量感は格別だ。

音のなき絶景であれ冬青草

冬の寒さの中、希望のように青みを帯びる草。地面をあまり離れないほどの丈の草と、開けた空間が思い浮かぶ。その明るさとうらはらに文明が滅んだ後のような虚無感が漂う。言葉を失うほど美しい光景が世界の終末にあってほしいという祈り、現れるはずだという思いだろうか。東日本大震災を直接詠った一連の作品と同じ章に置かれた句だから、「絶対的災厄の後」を想起するのは自然な読みだろう。しかし、そういう文脈から切り離しても、この句は静かな終末を思い起こさせるのだ。終末は起こりうるかもしれない事態というより、避けられない未来として描かれている。諦念と受容の冬青草である。

獅子舞の口より見ゆる砂丘かな 
ふと影を離れていたる鯉幟

 除魔招福の託される獅子舞に対しても、作者の視線はゆるまない。獅子の口の奥に砂丘を見る。獅子舞の動きにつれて、口中の砂丘も踊る。上部の砂はこぼれ、下方の砂は舞い上がる。舞う砂は打ち寄せる波のように繰り返し、いつか喧騒が消え、人々が消え、獅子そのものも消え去り、流砂だけが残るだろう。人間の営みを覆いつくし、やがて凌駕してしまう自然の勢いを見る作者の視野。この句より先に詠まれた「鯉幟」の句にも、ささやかな祝い事に潜むかもしれない危うさを見ているのだろうか。

引越しのたびに広がる砂丘かな

 そして、砂丘は日常になる。居を移しても移しても、砂丘を振り払うことはおろか、その広がりを止めることもできない。人は多かれ少なかれ、砂丘と背中合わせに生きているのかもしれない。日常を呑み込みかねない脅威でありながら、砂丘は豊かな美しさも秘めている。
大震災から時間を経て、「終末」に直面する句境からいったん落ち着き、ますます自在に遊ぶ作者の到達点は時に眩いばかりだ。

般若とはふいに置かれし寒卵 
時計屋に空蝉の留守つづきおり

『花修』のどの章にも、先師鈴木六林男の影響が読み取れる。硬質で重厚にして社会を詠むことを避けず、作者の若さを感じさせる手がかりはない。これほど大きな師に学んで、師の影を出ることの困難を思う。本人が一番その難しさを承知しているに違いない。私たちは期待とともにそのゆく道を注視せずにいられない。最後になるが、この老練に編まれた句集の中で、はからずも曾根さんの青春性がみずみずしく息づいているような一句を引いておく。

頬打ちし寒風すでに沖にあり


【執筆者紹介】

  • 小林かんな(こばやし・かんな)