2016年3月4日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 41 】 2016年2月、福岡逆立ち歩きの記―鞄の中に『花修』を入れて―   / 灯馬




曾根コルトレーンさま、もとい曾根毅さま。

記念すべき第一句集『花修』の書評もどきの原稿、やっぱり〆切を過ぎてしまいまして、申し訳ありません。

正直な話、ずっと気には懸けていたのです。先日の出張の際にも、句集はちゃんと荷物に入れていたんですよ!ぽっかりと空いた自由時間に、部屋に籠もって原稿を完成させておけばよかったのでしょうけれど、ついつい脱走してしまったのです。でも、その際にも、句集は携えていったのです。や、ホントですってば!

脱出先はミュージアムでした。忙しい最中に、ほとんど急き立てられるように早春の空の下へ飛び出してしまったのは何故だったのか。いえ、断じて現実逃避ではなかったと思います。ひょっとしたら、『花修』というレンズを透かしてうつくしいものを眺め、その感覚を確かめてみたくなった…のでしょうか。

曾根さんのこの句集には、淡い死の匂いと、しずかな生への希求、生命に対する肯定感とが、当然のような顔で隣り合わせに存在しています。そうした曾根さんの独特の視角―「ニューグランドホテルズ」の真っ黒なサングラスよりも明度が高いレンズの入ったメガネ―を借りて世界を見渡せば、常日頃から見慣れたモノさえも、いつもと少し違う表情を見せてくれそうな気がするのです。

永き日のイエスが通る坂の町

桃の花までの逆立ち歩きかな

一日目は、博多駅から太宰府行きの都市高速バスに乗りました。窓越しに水城や政庁跡などを眺め、天満宮の参道と境内を通って、「黄金のアフガニスタン展」に辿り着きました。紛争が続く中、アフガニスタン国立博物館員たちの文字通り命がけの努力によって破壊や略奪を免れたり、国外流出後に心ある人々の手に渡り、保存・修復されたりした、貴重な文化財が展示されていました。
東西の交流の豊かさを物語る財宝の中でも、遊牧民の王族たちの墳墓の遺跡から人骨とともに発掘された黄金の装飾品の数々は、溜息が出るほど繊細で愛らしく、洗練されています。「王妃のしるし」の豪奢な冠―移動に便利な分解・組立て式!―に眼を凝らすと、厳重に温湿度管理された展示ケースの中、金貨大のスパンコールを連ねた垂飾りが、空調機の風に微かに揺れていました。1世紀につくられた遺物が今、21世紀の風に触れている!もしも曾根さんがこの光景を眼にされたなら、一体どんな句が生まれていたでしょうか。苛烈な暴力を逃れて輝きを放つ黄金の宝物は、句集の中で不穏な気配を漂わせるいくつかの句を連想させました。

鶴二百三百五百戦争へ

この国や鬱のかたちの耳飾り

その翌日は大濠公園へ、モネ展を観に行きました。モネといえば有名な「睡蓮」。その本当の魅力は、花そのものよりもむしろ、周囲の草木や橋や空を映しこんだ鏡のような水面の描写にあるのだそうです。
『花修』にも水をモチーフにしたうつくしい句がいくつか収められていました。曾根さんの句も「睡蓮」の池のようです。仄暗い水の中をふと覗きこめば、繁茂した水草がゆらゆらと揺れて、引き込まれてしまいそうになるのです。

春の水まだ息止めておりにけり

くちびるを花びらとする溺死かな

水吸うて水の上なる桜かな

しかしこの日、いちばん鮮烈に印象に残ったのは、ジヴェルニーの庭を描いたらしき最晩年の作品でした。86年の生涯のうちに得た二人の妻にも、彼が幼少期の姿を描いた息子たちにも先立たれたあと、視力の悪化が進んだ時期に描かれた風景画は、「芸術はバクハツだ!!」の岡本太郎も顔負けの荒々しさで、前衛的な抽象画のよう。何が描かれているのかはもとより、完成作なのか未完の状態なのかさえも判別困難だと、キャプションにも明記されていました。それらの画に、孤独な老画家の悲哀ではなく、原始的なエネルギーと一抹の不思議な明るさを感じ取ることが出来たのは、生と死が等価に描かれた『花修』というレンズの効果ではなかったかと思うのです。

冬薔薇傷を重ねていたるかな

昔、何かの本の中で「正の無常」ということばを眼にしました。生命あるものはいつか必ず滅ぶが、それと同時に、この世の在る限り生命の誕生は絶えることなく続く、それもまた「無常」のうちなのだ―確かそんな意味だったと記憶しています。

雪解星ふっと目を開く胎児かな

原子まで遡りゆく立夏かな

滝おちてこの世のものとなりにけり

身の周りに溢れる正と負の「無常」を人一倍鋭敏な感覚で捉えながら、曾根さんは、それを思いもよらぬかたちに結晶させ、私たちの前に示してくれます。これからもずっと、出来れば一生、俳句を続けて下さい。そう、どんなことがあっても絵を描く喜びを持ち続けたであろうモネのように。

人の手を温めており涅槃西風



【執筆者紹介】

  • 灯馬(とうま)

1970年生まれ、ほぼ福岡育ち。2001年、松山へ赴任。
2014年、第3回「大人のための句集を作ろう!コンテスト」優秀賞受賞。