2016年6月10日金曜日

【俳句新空間No.3】仲寒蟬作品評 / 大塚凱



 確かに新年は、一年を通して最もナショナリズムを湛えた時期であるかもしれない。戦争と言えば現在は夏や初秋に詠まれることが多いが、太平洋戦争開戦直後に詠まれた俳句の中には聖戦を寿ぐ新年詠も多数含まれていた。本作は挑発的あるいは皮肉なまなざしで、戦争と平和を詠う。

  若水を闇もろともに汲み上げぬ
大抵は清冽なものとして詠まれてきた若水も、作者のまなざしは「闇もろともに」汲み上げられるものとして捉える。どこか不穏さに包まれた、それでいて闇の霊気を湛えた有り様は、若水の詠みぶりとして興味深い。作品の中において暗示的な一句である。

  喰積の海老も帆立も輸入品
風刺的な一句。ともすれば川柳の域に触れてしまいそうではあるが、作者の憂いがユーモアの中に息づいている。明るさや軽みに満ちた詠みぶりならば、めでたさを裏切るような内容も豊かな意外性として味わいたい。

 一連の作品には〈大東亜共栄圏が初夢に〉〈破魔弓をかの国へ向け放ちけり〉のような、作品の文脈や時勢を離れれば危ういと取られかねない句も含む。個人的にはこれらのやや観念に寄った句よりは、前掲のような裏切りを孕んだ句を楽しみたい。それが作者の魅力ではないか。