2016年9月30日金曜日

【俳句新空間No.3】坂間恒子作品評 / 大塚凱


  侘助のひらけば水は水を呼び
まさにちいさな庭の趣きである。侘助の傍になんらかの水の仕掛けでもあるのだろうが、それを「水が水を呼び」と書いた。その水に誘われるように水が、水音が流れてゆくのか。侘びの世界を流れる、一縷の豊かさである。「ひらけば」の技巧が句を繋ぎとめている。

  数え日の貌あらわれる大硝子
大硝子は窓、おそらく作者は窓越しにある家の中を一瞥しているところなのだろうと詠んだ。その家の者は大掃除をしているのかもしれない。「貌あらわれる」という表現に、その貌の動き様にとどまらず、作者のドキッとするような一瞬までが読み取れる。「顔」ではなく「貌」と書いたことも上手い。

  血を曳いて鴨現れる勝手口
鴨が現れるような場所であるから、自ずと沼地や小流れの傍にある疎らな家々、そのひとつの勝手口だろうと想像される。「血を曳いて」という表現が読者の注意を惹きつけるが、そんな哀れな鴨をドライに捉えているところに、作者のまなざしの尤もらしさを感じるのだ。「勝手口」という下五も即物的な力強さを感じさせる。

 〈葱剥けば白の疾走燈台は〉〈陽炎のなかの釦を食べに行く〉という冒険句もあったが、この一連においては掲句のような句柄の方が魅力的に感じられた。