2016年4月22日金曜日

【曾根毅『花修』を読む52】 評者を読む / 曾根 毅



2015年9月下旬、筑紫磐井様より今回の企画「花修を読む」についてのご連絡をいただいた。内容は以下のとおり。

「従来からBLOGに協力いただいている西村麒麟氏とか、水内氏の句集の連載鑑賞をやっております。特に締切、分量などは設けませんし、人数も無制限ですのでご自由にご検討いただければありがたく存じます。特に若い方が書かれればうれしく存じます。御寄贈者にそういう方がいらっしゃれば誘ていただければありがたく存じます」

私は即座に、メールアドレスを知る寄贈先の若手俳人らに参加を募った。当時、『花修』上梓から3ヵ月が経過しようとしていたが、反応はごく限られたものだった。後で知ったことだが、「恵まれない著者」ということで私の句集に白羽の矢が立ったのだそうだ。無名という自覚はあった。『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』に加えて、『関西俳句なう』などの実力若手アンソロジーが次々と出版され、同世代の仲間が脚光を浴びる中、私はそのどれにも入集していない。実力の問題もあるが、早く師を喪い、結社誌に次ぐ同人誌の解散、結婚と子育てに転職、数回の転勤など変化の目まぐるしい30代。特に、先のアンソロジーが出始めた頃は超多忙期にあたり、句集の中でも空白の期間となった。

執筆者を募ってみたものの、書き手は現れるだろうか。しかし意外にも、依頼後数日のうちに返信は50を超え、筑紫磐井さんに状況を連絡。前回の西村麒麟句集「鶉を読む」が全25回であったことを踏まえて、今回2名ずつで25回というのはどうかと相談し、今回の企画となった。先着順として、数名の方にはお断わりすることになるという想定外の事態。多数の反応が得られたのは、「BLOG俳句新空間」の魅力のおかげである。

今回ご執筆いただいた方々は、10代の学生から句歴20年を超える方まで、俳句に対するスタンスも様々。皆様のご感想や批評を受けて、まさに作品と同様、見事に書き手の趣向や個性が表れることの面白さを感じた次第。『花修』については、社会性を含む現代の思惟的な要素をいかに俳句として読むか、ということに様々な角度から言及をいただき、著者として大いに刺激を受けた。しかし私としては、評者の様々な視点に触れて、「花修を読む」というよりもむしろ「評者を読む」という受け取り方のほうが強かった。それは、批評は評者のためのものでもあるということだ。

俳句甲子園や芝不器男俳句新人賞などの影響で、身近にも10代20代の本当に若い世代の俳句人口が増えた。例えば、俳句甲子園におけるディベートは、その後の俳句活動における鑑賞や批評に繋がる可能性を持ちながら、それを発揮しアピールする機会は少ないのではないだろうか。今回の企画が、鑑賞批評を読み書きすることへの興味に繋がれば嬉しい。

『花修』をご指名いただき、毎週のブログアップをしていただいたBLOG俳句新空間の筑紫磐井様、北川美美様。お忙しい中、ご執筆いただいた皆様。
そして、ご愛読いただきました皆様方に心より御礼申し上げます。ありがとうございます。


【執筆者紹介】
曾根 毅(そね・つよし)
1974年生まれ。「花曜」「光芒」を経て「LOTUS」同人。現代俳句協会会員。第四回芝不器男俳句新人賞。句集『花修』(深夜叢書社)。

2016年4月8日金曜日

【曾根毅『花修』を読む51】  「花修」を読む(「びーぐる」30号より転載) / 竹岡一郎



曾根毅の第一句集「花修」を読んだ。生硬であっても、概念が先行していても、作者の懊悩や焦燥がにじみ出す句集は、好感が持てる。それは私が、俳句を、五七五で原則は季語に縛られる、誠に不自由な詩形に於いて最大限の足掻きをすべき詩として捉えているからであろう。この句集は実に様々な試みを為しているのだが、まず目についたのは「概念としての世界」であった。

玉虫や思想のふちを這いまわり

 思想というものは概念であるから、変化する。玉虫の色もまた光の加減によって変化する。だから、ここで「思想」というとき、作者は骨身を削る実体験が肉化したものという意味で使っているのではないと思う。知識人の、如何ようにも変化し得る相対的な思想について述べていると思われる。

暴力の直後の柿を喰いけり

 柿の果肉の色を暴力に沿わせているのだろう。熟柿ならまだわかる。腫れ上がった頬や潰れた鼻や切れた口腔の内部などを思わせるからだ。しかし、「熟柿」と置くことも出来たであろうに、敢えて「柿」と置いた。果物の中でも特に果肉の生硬なものを。この句には暴力の具体性も方向性も無い。誰が誰にどのような暴力をふるうかの情報が一切ない。これにより句中の「暴力」は「暴力一般」という概念であると取らざるを得ない。作者が暴力の主体か、客体か、傍観者かという情報は示されていないのだが、暴力を行使した後に柿を喰らえる者が(詩として)俳句を作ろうとは思わないだろうから、主体ではないと思う。客体なら、そのような余裕があるとは思えない。ならば、これは傍観者として、暴力の余韻を感じつつ柿を喰っていることになる。「直後」という語が眼目か。暴力一般と柿を「直後」で繋ぐことにより、柿を喰う行為に暴力と通底するものを感じたのではあるまいか。暴力に対して距離を置ける余裕があるから、「暴力」という概念を置ける。机上ではない「暴力」は概念として捉える余裕など無い筈だ。暴力と名指しされる行為なら、必然的に死を内蔵する筈だからだ。これは、実際に暴力の只中に身を置いたことの無い者の目線ではあるまいか。柿が象徴するのは、未だ暴力を知らないという初々しい謙遜か、それとも暴力には染まらないという知識人の矜持か。私はこの句にも、この句を誉める人々にも、暴力が肉化していない事への苛立ち(或いは羨望)を感じざるを得ない。それでも「柿」と置かざるを得ない気持ち、暴力さえも概念と見たい気持ちは伝わるのである。

冬めくや世界は行進して過ぎる

行進せず、置き去りにされて傍観している如き作者の姿を思い浮かべるのは、「冬めくや」の寂しい上五による。戦争に向かってか、金儲けに向かってか、或いは良き明るい嘘っぱちの未来に向かってか、世界は軍隊のように、或いはデモ隊のように、或いは工場に向かう労働者のように、或いは崖に向かうレミングのように、決して個人ではなく、全体として、「行進して過ぎる」。それを見ている作者はその行進から外れ、或いは外れたいと思っている。それゆえの傍観なら、先の「玉虫」の句も「柿」の句も、敢えて概念として捉えることにより事象から離れていたいという、作者の姿勢を示すものとして納得できる。

原発の湾に真向い卵飲む
西東三鬼の「広島や卵食ふ時口ひらく」の本歌取りであろう。攝津幸彦の「チェルノブイリの無口の人と卵食ふ」も念頭にあろう。原子力災害と卵が良く衝撃するのは、卵が次世代の誕生の象徴であり、遺伝子情報の具体的な塊であるからだろう。作者の句も含めて三句とも、卵が作者に摂取される対象であるのは、被曝からは子孫も含め、誰も遁れることが出来ないからだ。

ここで鳩の句群を取り上げよう。

山鳩として濡れている放射能 
西日中灰のごとくに鳩の群 
少女病み鳩の呪文のつづきおり 
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん

一句目は、福島の原発災害の句であろう。色々なものが放射能を発している、或いはセシウムを浴びているという句は数多ある。その中で、この句が容認できるのは山鳩の可憐さ、哀れさによる。高屋窓秋の「山鳩よみればまはりに雪がふる」を、昨今の状況を踏まえて、絶望と皮肉を以て詠えば、このようになろうか。この句の良さは、作者の「鳩」への思い入れに依るのではなかろうか。そういう言外の想いは意外と伝わるものだ。二句目の、灰の如く群れている鳩は、作者のばらばらにならんとする魂であるか。「灰のごとくに」とは、鳩を形容しているのであるが、実は西日の惨たらしさをも浮かび上がらせている。「灰は灰に、塵は塵に」と、基督教の埋葬の言を思い出しても良いだろう。三句目では、鳩は病める少女に為す術もなく近く在る。鳩のあの単調なリフレインである鳴き声を呪文と聴く作者は、鳩と一緒に呪文を唱えている。少女が癒えるようにという呪文でもなければ、少女の身代わりとなる呪文でもない。只、少女を見ている、それだけの行為が続くための呪文なのだと思う。四句目、これは句集の掉尾に置かれている句である。火を焚かんと志すのは作者、火へ向かう契機となるのは、鳩の、闇に鳴くゆえに永遠に続くような声である。鳩が作者であると読めば、それは一通りの読みなのだが、更に読み込むなら、句群中の殆ど動かないように見える鳩は、世界に対する昨今の人間一般の諦めた態度なのだ。やがて世界は闇に覆われるだろうし、もうすでに闇は晴れる事無く覆っているのかも知れない。そこで作者が志す行為はあくまでも「静かに」火を焚く事、静かに闇を照らし、闇の一部なりとも破らんとする試みである。(しかし、人間一般に留まっている限り、その試みはどこまで果たせるだろうか。)

  この世には多く遺さず蟬しぐれ 
  啞蟬も天のうちなり震えおり 
  空蟬や開かれしまま忘れられ

今の若い人たちの明るい絶望感が伝わって来る。蟬は作者の自画像であろう。或いは作者を初めとする若い人たちかもしれぬ。「蟬しぐれ」とあるから、うるさいほど鳴いているのに、「多く遺さず」と観じている。確かに現実はそうであろう。ほとんどの者が虚しく滅びてゆくのだ。啞蟬、鳴かない蟬がそれでも鳴こうとして全身を震えさせているのを、「天のうち」と、「なり」の語まで使って言い切っているのは、啞蟬こそ天であって欲しいと作者が感じているからだ。空蝉が中が空洞のまま、それでも健気に蟬の形を保って、結局忘れられてしまうのは、そのまま今の一般的な人間たちの姿ではないか。蟬を真横に斬ると、腹は空洞なのである。空蝉と蝉はその空白度において、さして変わらないのだ。

時計屋に空蟬の留守つづきおり

空蟬とは、そもそも不在の物だ。羽化した後に遺された皮なのだから、不在も何も、打ち捨てられたものなのだが、其処に不在を感じるのは、蟬の形が翅以外はそっくりそのまま残っているから、又たとえ戸外に有ろうと腐りもせず一年以上も残っているから、いつか何かが帰って来るかもしれぬ錯覚を起こすからだ。空蟬とはリアルな不在、不在の具現化と言っても良い。そこに更に「留守」という語を重ねる。強調されるのは、いつか留守は終わる筈で、いつか蟬の本体が帰って来るという思いである。そのいつか終わるべき不在は時計屋を舞台に展開している。時を司る店というだけではなく、嘘の時間と本当の時間が混ざりあう場所であり、止まった時を再び進め、進み過ぎ或いは遅れ過ぎた時間を一旦止めて修正する場所でもある。ならば、蝉の本体とは、時を意識するもの或いは他者に時を意識されるものであり、即ち、作者か世界あるいはその両方であろう。

だから、多分、作者はまだ諦めていない。だが、これまで挙げてきた殆どの句に見られる受動性を鑑みるに、作者は植物的人間なのであろうか。

永き日や獣の鬱を持ち帰り
この句を読む限り、そうでもないのかもしれぬ。しかし、本当に野獣なら、わざわざ獣の鬱を意識する事はないだろう。獣は、その兇暴が発動した後に、或る虚無感と己が馬鹿馬鹿しさに鬱を発する。「獣の鬱」とは、荒ぶった後に訪れる獣の理性であろう。本来、獣臭がしない作者であるからこそ、獣の鬱を「持ち帰り」と意識するのだろう。

啄めるものに囲まれたる朝寝
朝、外では様々な鳥が鳴いている。それを蒲団の中で聞いている。鳥たちは朝、食べ物をあさっているのである。何をあさっているのか。実は鳥は至近距離にあるのではないか。寝ていると思っている自分は、実は死んでいて、鳥たちはこれから自分を啄むべく囲んでいるのではないか。そんな思いがよぎる。

五月雨のコインロッカーより鈍器
この句には、先に挙げた「玉虫」、「柿」、「冬めく」の句には感じられなかった、或る肉化が感じられる。つまり、思想、暴力、世界を詠った句にはない、或るリアリティが感じられる。ここに作者の思想、暴力、世界観は明瞭に浮かび上がっているなら、作者の秘められた実感は一種のアナーキズムに有るだろうか。「五月雨」は作者の鬱屈であり、「コインロッカー」は平均化された区別のつかない心であり、「鈍器」は勿論、暴力衝動である。この句が優れているのは、概念として世界を見る事から踏み込んで、生の欲望を暗喩しているからと取れる。或る切迫した心情が期せずして浮かび上がっていて、俳句には類型の安心感でなく、生の血肉と叫びが見たいと希む私は、こういう句を評価する。鈍器が如何に使われるか、その有様まで示してほしいものだが。

消えるため梯子を立てる寒の土
やはり天に憧れ天に消えたいと思うから、梯子を立てるのか。「寒の土」が悲しい。地上は寒々としているがゆえに、一層天への憧れが強まるのである。しかし、天は地上よりもなお寒く、それは重々承知の上で、それでも此処ではない何処かへ行きたいと思うのだ。ここに先ほど挙げた「鈍器」の句と同じようなリアリティを感じるのだが、してみると、あの鈍器は天に向かっては梯子であるのか。

我と鉄反れる角度を異にして
「反れる」という現象を反逆、反発などの心情として捉えるなら、自分と鉄とは、反発、反逆する角度が異なると言っているのである。鉄とは現在の文明の基礎であり、鉄を熱し、溶かし、叩くことにより、文明は発達した。鉄は、最初は戦争の為の武器として、次に恒久性のある生活用品として、更に遠くへ行き活動範囲を広げるための乗り物、今ならば、自動車や船や飛行機として欠くことの出来ないものだ。その文明の基礎である鉄と、自分は「反れる」とき、言い換えるなら自我を出すときの角度が異なるという。現在の世界から一歩距離を置く表明なのだろう。

引越しのたびに広がる砂丘かな
ここに詠われるものも、おなじく世界に対する視線である。引越しを繰り返すのは、落ち着けないからであろう。仕事の関係か、自分の意志かは知らぬが、たとえ仕事の関係だとしても、人間はその深層意識が望むものだけを手に入れる。ここではない何処かを絶えず作者は望んでいるのだが、そのどこかへ移り住む度にますます砂丘は広がる。それはそうであろう。一回引越す度に、ここもまた違うという場所が増えるから、そして「此処は違う」という意識が世界を砂丘と見做しているのだから。これは人間の普遍的な虚しさを示している。今ある夢から次の夢へと飛び移り、それが夢であると理解すれば、また次の夢に移る。諸法無我、とは、世界には実体がない意だが、それに気づかずに足掻くさまを詩的に表現すれば、掲句の如きとなる。

祈りとは折れるに任せたる葦か
人間は考える葦である、という。生物の内で、祈るのは人間だけであろう。人間だけが、止むに止まれずに、祈る対象を想定する。「折れるに任せたる葦」と定義する事により、作者は祈りを、無抵抗に等しい受動性として捉えている。植物とは受動するものである。少なくとも鳥獣虫の在り方から見れば、遙かに受動的である。(尤も、長い時間で見れば、植物の能動性は極めて緩慢ではあるが広範囲に及ぶ凶暴なものであろう。)ここで、作者が人間にしか出来ぬ祈りというものを、植物的なものとして捉えているのは面白い。それは即ち、作者が自身を植物的人間であると告白しているようなものだからだ。

作者が植物的人間であると仮定して、

落椿肉の限りを尽くしたる 
徐に椿の殖ゆる手術台
これらの生々しさを見事と思うのだ。植物に仮託して、初めて自身の肉化が示される。夥しい落椿の花弁を「肉の限り」と観ずるのは、椿の目線に立っていなければ出来ない。血が噴き出て肉が切り刻まれる場所である手術台にゆっくりと椿の花が増殖してゆくイメージもまた然り。

凭れ合う鶏頭にして愛し合う
一見、可憐に見えて、実はおどろおどろしくさえある恋愛を描写している。庭園の植物たちは、虫や風へ向かって大股に性器を晒し遠くの恋人たちと無差別に生殖し、根で以て喰らい合い、枝葉で以て愛撫し合い憎み合い、立ち尽くしたままその死体を晒す。ならば、掲句の鶏頭の肉厚の暗紅の夥しく重なり捩れつつ凭れ合う花達の、何と淫靡な事か。

くちびるを花びらとする溺死かな
入水のオフェーリアを思う。「花びらをくちびるとする」なら、溺死して流れゆく顔に花が降りかかるのだが、「くちびるを花びらとする」のであるから、実景に流れてゆく人間が居ようが居まいが、作者の心は花にあり、花の目線に立って、花の気持ちを詠う。

恋愛の手や赤雪を搔き回し
この不思議な句も、花よりも更に儚く、本来、天に属している筈の雪を肉化していると読めば、納得出来ない事も無い。肉と見るから、雪は赤く見えるのである。肉と見るのは雪の恋愛を思うからで、だから、正確には作者の恋愛の手で掻き回すとき雪は肉化して目に赤と化す、言い換えるなら雪が作者の、又は作者が恋する対象の肉として映るのである。

さて、人と生まれたからには仏陀とならねばならぬ。仏陀が最上のものであるからだ。と、踏まえた上で、作者の植物との自己同一化を観じた上で、次の句を読もう。

春すでに百済観音垂れさがり
何処にも花とは言ってないが、春の法隆寺、飛鳥仏たる百済観音を最も荘厳する日本の事物は、やはり桜であろう。「すでに」の一語で、満開の様を暗喩し、「百済観音」に桜のたおやかなる立振りと飛鳥仏特有の初々しい優美さを重ね、「垂れさがり」にその姿態と衣の流線型と手に持つ水瓶を描写すると同時に、垂れる枝に咲き充ちる花を想起させる。即ち、満開の枝垂れ桜である。それが百済観音の魂か。更に、法隆寺夢殿には有名な枝垂れ桜があり、その本尊は同じく飛鳥仏である救世観音である事を思うなら、枝垂れ桜を通じて大宝蔵院の百済観音と夢殿の救世観音が境内に響き合い、一体化する。ならば、この句は飛鳥なる磁場を詠んだものとも取れまいか。

ここで句集の冒頭の句を挙げる。

立ち上がるときの悲しき巨人かな

巨人の句の系譜が俳句にはある。高浜虚子の「草を摘む子の野を渡る巨人かな」、或いは、安井浩司の「稲の世を巨人は三歩で踏み越える」を思う。ここで「巨人」とは、人間を超えるもの、或いは超えんとする意志だ。その「巨人」を句集冒頭に持ってきた、その意図を素直に信じるなら、遠からず作者は二者択一を迫られることになろう。枠組みに許容されて平均的作家になるか、枠組みを超えて巨人たらんとする意志を貫くか。「悲しき」は謙遜であるか。立ち上がるから悲しいのだが、逆に、悲しいからこそ立ち上がる巨人とも見えよう。願わくば、どうか決然として孤独に歩み給え。孤独だからこそ、巨人を志さざるを得ないのなら、その気持ちは佳い。



【執筆者紹介】

  • 竹岡一郎(たけおか・いちろう)

昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。平成26年、鷹月光集同人。現代俳句評論賞受賞。著書句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。句集「ふるさとのはつこひ」(平成27年4月、ふらんす堂)




2016年4月1日金曜日

【曾根毅『花修』を読む50】 最後の弟子―『花修』をめぐる鈴木六林男と曾根毅 /  田中亜美




永き日や獣の鬱を持ち帰り     曾根 毅 
手に残る二十世紀の冷たさよ

暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり    鈴木六林男


 曾根さんと初めて会ったのは、二十世紀と二十一世紀の変わり目ごろ、東京・青山のビルで開催されていた宮崎斗士氏の句会だった。九堂夜想氏の紹介だった。当時、曾根さんはどちらかといえば寡黙で、さりげない気遣いを忘れない、好青年という感じだった。

今でも印象に残っているのは、酒宴が終わりに近づいたころ、曾根さんがふと立ち上がり、部屋にあったピアノで、ジャズ風の即興演奏をはじめたことだ。いい加減酔っぱらっていた私は、その演奏が巧いのかどうか、よく分からなかった。ただ、彼が執拗に繰り返す鍵盤の乱打と、分厚く滲む、鬱屈した不協和音の連続に、妙に心がざわついた。<好青年>に潜む、暗いパトスを垣間見た気がした。

もう少しお酒が入っていたら、通奏低音の部分だけでも、一緒に連弾してみたい、そんなことを思った世紀末の夜だった。


            ***

 まもなく曾根さんは仕事の関係で、関西に引っ越した。やがて鈴木六林男氏を生涯の師と決め、師の<かばん持ち>をしながら、マンツーマンの徹底した指導を仰いでいるという話を、人づてに聞いた。駆け出しの青年俳人のひたむきな情熱と、真剣にこたえる八十半ばのベテラン俳人の厳しさと優しさ。その話を聞いた時、戦後俳句、関西前衛、鈴木六林男という文学史上のタームや固有名詞が、ピアノを連打する曾根さんの横顔に、ふっと重なり、響きあった。
曾根さんと師の鈴木六林男氏の作品は、昭和の<重厚長大>を思わせる濃厚な肉体性と、エロスや暴力も包含したハードボイルド風のロマンチシズムという点において、ある種の親和性が認められるように思う。

立ち上がるときの悲しき巨人かな 
玉虫や思想のふちを這いまわり 
鶴二百三百五百戦争へ 
暴力の直後の柿を喰いけり 
快楽以後紙のコップと死が残り     曾根 毅      

<巨人>の句。「大きいことはいいことだ」といった価値観とは別に、巨象しかり巨人しかり、不自然な大きさを持つ生きものは、どこか悲しげである。とりわけ、<立ち上がる>ことによって、自らの大きさを誇示せざるをえないときには、悲しさはいっそうきわまるのだろう。

そうした悲しさは、巨きなものと対照的な存在である<玉虫>にも、どこか通底する。<玉虫>はメタリックな色彩の昆虫であるとともに、<玉虫色>の言葉にも代表されるような、どっちつかずの胡散臭い姿勢の暗喩とも考えられる。それを<思想のふち>を<這いまわ>るような存在であると断じるところに、独自の批評精神が籠もるようだ。

批評精神といえば、<右の眼に左翼左の眼に右翼>という昭和の終わりごろに発表された六林男氏の強烈な作品が思い浮かぶ。同時期には、<西日なか百年手を挙げ銅像立つ>などの作品もある。その後の冷戦崩壊まで予示したかのような透徹したまなざし(西日の中で手を挙げる銅像に、旧ソ連が崩壊したあとのレーニン像の運命を重ね合わせてしまうのは、単なる思い過ごしだろうか)、<玉虫>の表現するシニカルな世界観は、あるいは、そう遠くないところに位置しているのではないか。

戦争。暴力。エロス。人間の根源的な<業>といってもよいテーマを詠むに際しても、曾根さんは六林男氏の薫陶を受けて、独自の世界を展開している。それは、こうしたテーマがそれ自体劇薬のような訴求力を持ってしまうだけに(<劇薬>は<陳腐>という形容と常に表裏一体である)、言葉を剥き出しのままに使うのではなく、<詩>の中に、いかに深く沈潜させ、連想力を持たせるのかという、言葉に覆いをかける作業=<暗喩>の方法論にも繋がろう。

その意味では、演説で数詞を巧みに使ったことで知られるヒトラーを想起させる<鶴二百三百五百戦争へ>の主体は、<人>ではなく、<鶴>でなければならないのだろう。また、<暴力の直後の柿を喰いけり>の句では、<暴力>そのものを云々するのではなく、オレンジ色にてらてらと照る<柿>の具体性と<喰いけり>という力動的な仕草の中にこそ、真の<暴力性>が暗示され、再現されなければならないのだろう。一読素っ気ない、シンプルな切り詰めた表現であるが、<鶴>、<柿>ともに、暗喩として洗練されており、よく機能していると思う。
 一方、<快楽以後>の句は、通常のエロスとはどこか異なる、やるせない虚脱感や虚無感が残る。実際のところ、いかなるきれいごとやロマンチシズムで昇華させても、性はみじめでわびしい衝動だ。その代償としての、<快楽>。残るのは、<死>。
<かなしきかな性病院の煙出(けむりだし)>は、終戦直後の六林男氏の代表作であるが、そうしたかなしみの感受は、時代と背景の違いを超えて、平成の今も、曾根さんの句に、引き継がれているのかもしれない。

            ***

  薄明とセシウムを負い露草よ         曾根 毅

 放射能雨むしろ明るし雑草と雀        鈴木六林男

 雪解星同じ火を見て別れけり         曾根 毅

 満開のふれてつめたき桜の木         鈴木六林男

 乾電池崩れ落ちたる冬の川          曾根 毅

 天上も淋しからんに燕子花(かきつばた)   鈴木六林男


曾根さんと六林男氏の濃密な師弟関係は、しかしながら、二〇〇四年十二月、六林男氏の逝去にともない、終わりを告げる。三年余りの師弟関係であったが、曾根さんが師から受け継いだものが、いかに大きいものであったかということは、それからほぼ十年の歳月を経て、二〇一四年の第四回芝不器男俳句新人賞を受賞したことに、端的に証明されるだろう。

 公開審査会では、曾根さんの一連の作品における<震災詠>をめぐって審査員の間で激論が交わされた。その後も、管見の限りではあるが、本ブログの記事を含めて、曾根作品を論じる様々な評者の間で、この議論は続いているようだ。

さて、私は当時、連載していた角川「俳句」の現代俳句時評で、この公開審査会の様子を取り上げたのだが(「敢然として進め」角川「俳句」二〇一五年五月号所収)、そのとき頂戴した読者の意見には、<震災詠>をめぐる議論というよりは、師の死後も教えを忘れず、自分の表現を模索してきた、曾根さんの俳人としての姿勢に心を打たれたというものが多かった。そうした誠実な姿勢の延長上に、曾根さんの<震災詠>の説得力や共感が生まれるのではないかという感想も頂き、なるほどと思わされた。

たしかに、曾根さんの<震災詠>が持つ独特の迫力は、会社の仕事で出張中に東日本大震災の津波の現場に遭遇したことや、その後も「ホットスポット」と呼ばれた放射能汚染度の高い区域で幼い子どもを育てる苦悩を味わったことなど、個人的な体験に依るところが大きい。だがしかし、曾根さんが、我が身に降りかかった個人的な<偶然>を看過することなく、俳句表現を通して、時代と人びとの<必然>へと練り上げてゆく過程には、ひとりの俳句作家としての、相応の覚悟が滲んでいたことだろう。

その覚悟は、長年、鈴木六林男という師を信じてきた曾根さんの揺るぎない姿勢と決して無縁ではないはずだ。

            
***

この国や鬱のかたちの耳飾り 
暗闇に差し掛かりたる金魚売 
おでんの底に卵残りし昭和かな 
金魚玉死んだものから捨てられて     曾根 毅

二〇一〇年代も半ばを折り返した。平成は四半世紀をとうに過ぎた。若手俳人を中心に、今さら師系を云々するなどアナクロニズムだと言われることも、最近は少なくないようだ。<かばん持ち>や<雑巾がけ>も、近いうちにきっと死語となるのだろう。

私は、それでも鈴木六林男の<最後の弟子>として、戦後俳句の系譜を継ぐ者として、奮闘を重ねる曾根さんを尊敬する。

 曾根さん、これからも頑張って下さい。
連弾は無理でも、また、飲みましょう。


【執筆者紹介】

  • 田中亜美(たなか・あみ)

一九七〇年生まれ。「海程」同人。




【曾根毅『花修』を読む49】 残るのか、残すのか / 表健太郎




はっきり言って過剰である。『花修』刊行以来、一句集に対してやたらと言葉が多くはないか、ということだ。全部を読んだわけではないが、正直、この扱われ方には異様さすら覚える。もちろん、なかには興味深い評もあった。けれど、すべてがそうであったとはとても言い難い。文章量や上手い下手などは問題にしていない。不器用であっても、その作品を通じて、「俳句とは何か」を真剣(・・)()考えよう(・・・・)()する(・・)姿勢(・・)必要なのである。

好きに書いていいと言われたのかもしれない。自主的な参加ではないとの弁解もあるだろう。ただ、いかなる事情にせよ、俳句への態度が試されていたのは事実だ。その意味で、断ることも立派な批評行為の表明であると、ぼくは思っている。むしろ、仲間意識や恩義などによって止むを得ず原稿依頼を引き受け、当たり障りない感想でお茶を濁すくらいなら、沈黙を貫く方が潔い。もし、ここに作者や依頼主からの圧力が関与していたとすれば、彼らも大罪を免れることはできない。

急に書くことを躊躇してしまったり、書き手が減ることに懸念を示す者がいたとしたら、言っておきたい。馴れ合いのなかに育つ作品や批評など存在するはずがないし、仮にあったとして、そんなものにはなんの値打ちもないと。

たとえば、こんな状況を想像してほしい。
「文学」という言葉がすでに死んでしまったような今日において、俳句の延命を願って止まない者たちがいたとする。彼らは俳句を絶やすまいと必死の普及活動を続け、新人発掘にも精力を注ぐ。そんなところへ、ある句集が、しかも時代の色を反映したような作品を散りばめて登場したとしよう。彼らはすぐに飛びつくに違いない。そして力を尽くして宣伝するだろう。彼らの努力と運動は周囲の関係者の目に美徳と映り、やがて次々に共鳴者が現れる。その頃には、当の句集は注目の一冊になっている――。

「たとえば」と書いたが、現実として起こっていることではなかったか。別に『花修』を槍玉に挙げようとしたわけではない。現在の俳句世界の多くを占ているのは、上のようなシステムというか構造であるような気がしてならないのである。

「何が悪いのか」という反論に答えていこう。すでに書いておいたが、「『俳句とは何か』を真剣(・・)()考えよう(・・・・)()する(・・)姿勢(・・)」「当たり障りない感想でお茶を濁さないこと、書き手一人ひとりが、これさえ意識していれば問題はないのだ。けれど、自分の胸に手を当ててみて、本当に誤魔化しがなかったと、全員が言い切れるだろうか。

俳句も他の芸術作品と同じように、本来「残す」ものではなく「残る」ものだと思っている。「残る」というのは、人の力を借りるのではなくて、作品が自らの力で生き延びていく、という意味だ。そのためには言うまでもなく、作品が「俳句」であることの本質論を抱え込んでいなければならないし、読み手もその点に注意して、切り込んでいく必要がある。つまりは、作者の精神を通じて、作品が「俳句とは何か」という問いを誘発し、この問いに対して不断の議論が交わされるところに、作品の息衝く力が宿るものだと思うのだ。だからこそ、作者にも評者にも、俳句に対する真剣(・・)()取り組み(・・・・)が要求されるのである

もっとも「残す」運動を不要と言っているのではない。優れた作品を忘れさせないために、あるいは不遇の才能を歴史に埋没させないために、誰かが継承、発掘して「残そうとする」のは、非常に重要なことだ。ただ、このとき「優れた作品」「不遇の才能」であることが前提であってみれば、それらはもともと「残る」力を持っているものと言うことができる。

先の例に話を戻すと、俳句を「残したい」という切実な思いは十分に理解できる。しかし、その思いが「残す」ことばかりを優先させ、「残る」ものであるかの検証を怠っていたとしたら、作品は歪められた形で流通することになるだろう。俳句の延命を願う思いのなかに、少しでも気遣い的な要素が混じり込んでしまった時点で、作品を正面から見る視点は失われてしまうからだ。このことに鑑みれば、作者の顔色を窺う文章など、もってのほかであることは言うまでもない。作品を前にしての善意というのは、それに温かな寝床を与えながら、却って生命力を奪っているのである。そしてぼくには、現在の俳句が、こうした不幸な言説空間を疑うことなく受け入れ、ますます衰弱しているように思われて仕方がない。「文学」が死んでしまったも同然の状態とすれば、首を絞めたのは誰なのかを、考える必要がある。

そろそろ方々から、「ではお前は一体、『花修』についてどう思っているのだ」という声が聴こえてきそうなので、最後にその点に触れて本稿を閉じることにする。

実は、この執筆に先立ち、ぼくは自らが所属する俳句同人誌において、短いながら『花修』評を書いた(LOTUS32号)。詳しくはそれに譲るが、概要は以下のようなものである。

作者の言葉を信じるなら、作品はほぼ制作年順に収録されているので、全体を見渡せば、現在までの、作者の俳句に対するなんらかの思想の変化を読み取れるのではないかと思った。
そう思って繰り返し読むうち、最初の二章(「花」「光」)と、それ以降の章(「蓮Ⅰ~Ⅲ」)との間に、微妙な違いが生じていることに気づいた。作品は〈イメージ〉重視のものから始まって、「蓮Ⅰ」を過ぎると、わずかにではあるが〈見る主体〉とでも呼ぶべきものの影がチラつき始める。

〈イメージ〉重視というのは、言葉の結びつきに比重が置かれ、単語の取り合わせによって、意外性や違和感などを生じさせようとする企みが感じられる作品のことだ。対して〈見る主体〉とは、作者がまず対象に向き合い、凝視して、その過程で把捉される像を描こうとしたように思われる作品のことである。たとえば前者には「鶴二百三百五百戦争へ」(花)、後者には「水吸うて水の上なる桜かな」(蓮Ⅰ)といった句を、具体例として挙げておいた。

上のような変化を、ぼくは仮に「眼差し変容」と呼んでみて、今後の展開に期待を寄せた。作者のこうした俳句行為が、「俳句とは何か」を追究しようとする姿勢を彷彿させたからである。
ただ、ぼくはあくまでも、作者の俳句行為を通じて見た「未来の作品」に期待したのであって、現在の、つまり『花修』の収録句については、満足していない。厳しい言い方をすると、俳句史に「残る」という意味では、まだ力が弱いと思っている。一句あるいはなにかのテーマが通底した数句、いや、句集であってもいい。そうした単位は、特に限定していない。とにかく、「俳句とは何か」を問いかけてくるような作品を、ぼくは渇望しているのだ。

これまで書いてきたことは、即、自分自身に跳ね返ってくる。それだけに、恐ろしくもあり、告白すれば、なん度も発言を撤回しようとした。けれど、ぼくもまた俳句を「残したい」と望む者の一人であってみれば、偽ることなど許されないのだ。他者の作品を語るというのは、自分を斬りつけるのと同じことなのである。血を流さない表現行為など、一切信用していない。

【執筆者紹介】
  • 表健太郎(おもてけんたろう)

1979年東京生まれ
LOTUS』同人、編集担当

第四回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞受賞