2016年11月25日金曜日

【俳句新空間No.3】 佐藤りえの句 / もてきまり


ひとしきり泣いて氷柱となるまで立つ 佐藤りえ

 たぶん、若松孝二監督「実録・連合赤軍あさま山荘への道程(みち)」という映画が下敷きになって構成した二十句。一句独立の視点で読むと、この句が物語から離れても句として最も立っている気がした。「ひとしきり泣いて」という肉体性(生)から「氷柱となるまで立つ」という精神性(死)の隠喩が決まった。他句に〈霜柱踏み踏み外し別世界〉求心的な組織に、間違って入り込んでしまう悲劇。赤軍でなくても、いじめ学級やブラック企業、カルト等、どこまでも人間が抱え持つ闇というものなのだろうか。

2016年11月18日金曜日

【俳句新空間No.3】 福田葉子の句 / もてきまり


葱の鞭ときおり使う老婆いて 福田葉子
俳の象徴としての葱、それを用いての鞭。若い衆に使うのか自らに使う鞭なのか、たぶん両方に使っている。最近の老婆はとても老婆とは言えず、福田さんはもちろんのこと、金原まさ子さんはじめ、姿勢は良いしPCはこなすし、疲れた初老を凌ぐ。年を重ねることで世界の多様性に気付き自由になれる力というものがあるのではないかと最近思う。で、この鞭はけっこう痛い。他句に〈初蝶のかの一頭はダリの髭〉クールな銀の額縁に入れギャラリーに飾りたいくらい、おしゃれ。

2016年11月11日金曜日

【俳句新空間No.3】ふけとしこ作品評 / 大塚凱



  オリオンの腕を上げては星放つ
冬の澄明な夜空を見ていると、瞳にはオリオン座の、否、オリオンの姿そのものが浮き上がってくるように感じたのだろう。そのオリオンが腕を上げていると意識したとき、星座をなす星々の輝きが放たれた。本来は星が光を放つと述べるべきところを「星放つ」と敢えて強引に書いたこと、そして、オリオンの姿が浮かび上がるかのように感じられるさまを「腕を上げては」と表現したことが句のスケールを広げた。

常識に即して考えるならば、オリオン座の腕を表現する星を見つけたときにオリオンの「腕」を脳裏に描くのが素直な把握であろう。しかし、この句においては「腕を上げては星放つ」という逆転的かつ大胆な発想が魅力となっている。星の鋭い光とともに、その「腕」の力感がダイナミックに伝わってくる。

  雪の日を眠たい羊眠い山羊
雪の日には不思議な眠気を感じる。その静けさのせいか、あるいは体温が低下して疲労するからか。羊や山羊も雪を戴くかのようなその白い毛でからだを覆っているのかと思うと、いかにもあたたかそう。「眠たい羊眠い山羊」という措辞も頷ける。上五のさりげない「を」に技巧が光る。

2016年11月4日金曜日

【俳句新空間No.3】 中西夕紀の句 / もてきまり



土門拳亡し石炭の山もなし 中西夕紀
写真集『筑豊のこどもたち』を出した土門拳も今は亡く、またモノクロに映っていた石炭の山(ボタ山)も今はもう緑の山なのだが、土門拳と言えばモノクロ。石炭の山と言えばモノクロを想起させ、又、その述語で「亡し」「なし」と畳みかける技がすぐれて妙。他に〈彼岸から吹く北風もありぬべし〉子規、最晩年の〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉を遠く想う。子規(死者)のいる彼岸から吹く北風もあるだろうなぁというほどの意だが、彼岸から此岸へ俳句という現場に吹く北風は厳しい。